八月も半ばを越そうとしているが、実はこの稿を記しているのはお盆の最中で、私の育った東京の下町では、お盆にはどこの家庭でも迎え火、送り火をしていた。
先日、岩手県八幡平で認知症シンポジウムに参加してきた。東北も暑かった。「会場の八幡平の体育館には冷房がないのです」と、主催の市の担当者や地域包括の人が恐縮しながらあちこちに大きな業務用の扇風機を備え、至る所に飲み物のペットボトルが置かれて、そうしてシンポジウムが開催された。
絶海の孤島に一冊の本を持っていくとしたら、それは何か、と言う設問があって、それは歎異抄、と言う人もいれば聖書という人、ある詩集とする人などそれぞれだ。
認知症基本法の「わかりやすい版」を作成した。嬉しいことに、認知症の本人から自分のホームページに載せたいとか、さまざまな人から勉強会に使いたいといった声が寄せられた。わざわざ「よろしいだろうか」と丁寧に断りや許可を求める人々もいて、かえって恐縮する。
秋田県の社会福祉会館で「地域ミーティング」を開いた。去年に続いて2回目である。コロナの日々の真っ最中だった去年、地域で何ができるか、まずはそこに住む人々の声を聴こう、去年開催した1回目は、そんな原点に立ち帰るような地域ミーティングで、大きな手応えがあった。
6月14日に認知症基本法が成立しました。認知症の当事者や関わる人々からは、ようやく自分たちの思いが形になった、画期的であるという受け止めが多かったようです。
朝のルーティンで、コーヒーを淹れる。それだけのことなのだが、何か人生に流れる時間がくっきりとするひとときである。
このところ、騒然と言った感じで論じられているのが、チャットGPTである。生成AIとも対話型GPTとかいろいろ言われていてよくわからない。そのわからなさがまた、どこか説明のつかない不安にからみとられる。
カリスマ介護福祉士として知られる和田行男さんに話を聴いた。仲間と開く認知症当事者勉強会の世話人会に来てもらったのである。来ていただいた、というべきかな。まあいいや。そういう人である。形にはこだわらない。
コロナの日々をくぐり抜けた開放感もあって、この大型連休はどこも大賑わいだったようだ。マスク外して笑顔あふれる各地の行楽地の様子がニュースに映し出された。
いよいよゴールデンウイーク突入だ。一年で一番いい季節とされる5月、まさにゴールデンウイーク、黄金週間である。しかし、私の属していた公共放送では、ゴールデンウイークとは言わない。大型連休ということになっている。
みなさんこんにちは、今ご紹介いただいたマチナガです。えーと、私はおわかりのように医者ではないし、介護職でもありません。たまたまメディアの世界で認知症というテーマに向き合ってきた立場です。
NHK Eテレのハートネットテレビに「フクチッチ」という番組がある。そのコンセプトは、「福祉の知識をイチから楽しく学べます!」という教養バラエティなのだそうだ。
丹野智文さんをモデルとした映画「オレンジ・ランプ」の初号試写会に参加した。初号試写とは、編集が終わったネガから焼き付けられた最初のプリントを見ることで、スタッフや関係者の試写会である。
コロナの日々もどうやらひと区切りの気分だ。こんな時こそ自分自身を振り返りたい。しかも俯瞰的に。いや、そんなに難しいことではない。画用紙に一気にぐいっと我が人生の曲線を描いてみる。
愛知県豊田市にある高齢者のデイサービスの事業所を拠点にして、オンラインでの「交流タウンイベント・認知症とともに生きるまちづくり」を開催した。
いよいよ、マスクの着用が緩和される。そのマスクの着用について、こんな見解が報道された。「マスクを着用しなくてもよいこととすることも考慮されうる」
コロナの日々で変わったことのひとつに、オンラインの定着があります。当初は、対面でなければ互いの心情の機微がわからなくて、随分とギクシャクしたところもあったのですが、今ではすっかり馴染んでWEB上でのコミュニティの形成となっています。
山本周五郎に「ちいさこべ」というすがすがしい作品がある。舞台は江戸神田。大火で親もろとも、大工の老舗「大留」の一切合財を失った若棟梁、茂次が主人公だ。まっすぐな気性の茂次にとっては親を失うと同時に、老舗の再建が年若い自分にのしかかる。
サードプレイスという言葉がある。直訳すれば第三の場所、ということになるが、ま、何も難しい概念ではない。家庭や職場以外の第三の心地よい居場所がサードプレイスである。