認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム
  • くらし

災害と認知症高齢者

コラム町永 俊雄

大型の台風10号で岩手県岩泉町にある高齢者グループホームで、入所していた認知症高齢者の9人が亡くなった。入所していた全員である。あれほど台風情報が伝えられながら、なぜ?と多くの人が思っただろう。町が避難準備情報を出していることを把握していながら避難させなかったこと、避難のためのマニュアルも作成していなかったことなど、グループホームや町当局のあり方の検証はすべてこれからだろう。

しかし、私がこの一報に接した時の思いは、「またか」という既視感である。今回も運営する法人の理事は「川の氾濫スピードがあっという間の『想定外』だった」と語っている。その「想定外」の大災害だった東日本震災では、障がい者の死亡率は2.06%で、これは住民全体の1.03%の2倍である。宮城県沿岸部での障害者手帳を持つ人の死亡率調査では3.5%、これは住民全体の約4.3倍に昇る。
確かに認知症の人や高齢者の人の避難にはたくさんの課題がある。今回の場合でも詳細はまだわからない時点ではあるが、夜勤の女性スタッフ一人で想定外の災害での避難には大きな難しさがある。避難できた場合でも、認知症の人は避難所でパニックになる場合も考えられ、ぎりぎりまで避難をためらうこともあるという。更に今回の場合でも入所していた認知症の人は車いすであったり重度の人が多かったという。グループホームが地域定着の認知症対策の切り札とされた当初の入所者は軽度から中等度の「元気な」認知症の人が中心だったのが、近年重度化が進んでいる。
日本の高齢化は加速していく。当然認知症の人も増えていく。天災に潜む人災をなぜ防げなかったのか。「災害弱者」の防災を改めて問いなおすことが喫緊の課題であることは言うまでもない。

しかし、同時に一方で私たちは深呼吸するようにして、この社会総体としてこの被害に向き合わなければならないだろう。それは常に障がい者、高齢者を「災害弱者」の課題とくくり行政施策の問題と指摘し、そうしてまた災害のたびにこうしたことが繰り返される。それは「災害弱者」対策の上から下への垂直方向の施策発想では限界があるということだ。
東日本大震災時の障がい者の死亡率が何倍にもなったのは、「障害があるから逃げ遅れた」のではなく、この社会の「脆弱」さの犠牲になったと捉えるべきだろう。岩泉町の小本川の流域近くに建つ高齢者施設の空撮を見るたびに、私達の社会は、高齢者をどこか社会の一隅に寄せ集め、「災害弱者」としての対策の濃度を上げることでなんとかやり過ごそうとしている縮図のように、私には映る。
これで本当に「認知症社会」である私達の社会を未来につなげることが可能なのだろうか。
私は夢想するのだが、もしも認知症の人々それぞれが街のあちこちに地域住民と混ざって暮らしていたなら、今回の事態は随分と違っていたのではないか、と。それができれば苦労しないよ、という声がすぐ上がる。しかしそれは私達の地域社会の、あなたの未来なのだとしたら、施策に加えてフラットな生活者のつながりなくして、どう描けるのだろうか。
この痛ましい出来事を通して改めて思うのはオレンジプランで掲げられ、私達が共有している「認知症になってもできるかぎり住み慣れた地域でくらしていける」社会を歯を食いしばるように考えるしかないということだ。

|第32回 2016.9.1|