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友達が認知症

コラム町永 俊雄

友達が認知症になった。みんなの最初の集まりは、思い切り泣くことから始まった。誰もがその友達の異変には薄々気づいていたのに、もっと早くに診断できたのにと、悲しいというよりその悔恨に泣いた。ひとしきり泣いたあとは涙を拭って誰からともなく「これからよ」と口々に言い合い、そうして認知症の友人のサポートグループ、「チーム・corekara(これから)」が2015年6月、兵庫県に生まれた。

みんなの友人、同僚、仲間である佐治雅子さんが若年性認知症と診断されたのは彼女が54歳のときだった。活発で行動的、仕事にも遊びにも全力で取り組んできた佐治さん。多くの友人に囲まれていた。学校、職場、教会、ボランティア仲間などなど。この人々がチーム・corekaraのメンバーとなった。
中心の1人が前田圭子さんだ。佐治さんとは30数年来の親友である。前田さんがまずやったことは、佐治さんの友人、仲間に一斉メールを送ることだった。
「みんなが感じていた佐治さんの異変やくらしでの困難を教えて」と。たちまち次々にメールが帰ってきた。
「佐治さんはいつも待ち合わせ時間にとても早く来る。どうしてと聞いたら時間は正時か半でしかわからないのだって」
「アナログの時計は読めないって言っていた」
待ち合わせの時間は、例えば一時か、あるいは一時半のどちらかにすると決めた。腕時計をデジタル表示のものに変えてもらった。
「着るものの前と後ろがわからないときがある」
かぶる服をやめて大きなボタンのついたものにする。
「階段は昇るのはいいが、下るときが怖いって」
佐治さんの下り階段のときは、みんな気をつけましょう、メールに打ち込む。

佐治雅子さん、つまりマコへのサポートは既成の、誰かに教えられたものではない。メンバーの手探り、手作りのサポートばかりだ。だからマコには一番なのだと前田さんは思っている。
corekaraの定期ミーティングは月一回開かれる。いつの間にか、佐治さんの仲間として知らない人同士もつながって、毎回ワイワイキャアキャアもありで、そんな中でしっかりと佐冶さんに「私たちはいつも一緒よ」というメッセージが込められる。佐治さんは、これまで結婚せず様々な活動で充実の自分の人生を築いてきた。現在は88歳になる父親との二人暮らしだ。

チーム・corekaraの笑いの絶えないそんな友達関係のサポートについて、前田圭子さんはちょっとキリリとした顔つきになってこう言う。
「友人や仲間のサポートというのは、あまり位置づけられていません。認知症の集まりのアンケートの項目でも『家族』『施設職員』『医療者』はあっても『友人』というのは見かけません。でもこれからは佐治さんのように結婚せずひとり暮らしの人も増えていきます。とりわけまだ若い認知症単独世帯のサポートはとても手薄です。『友人』という関係性でサポートできれば、それはこれからの少子高齢社会の仕組みづくりもなると思っています」
友人、仲間がサポートするということはこれまでの認知症「支援」とは大きく違う。誰もが友人、仲間という横の関係でつながり、そこにあるのは、「自分のこと」として考えるという認知症の人との「パートナーシップ」なのである。

日本の社会福祉は「家族」を前提としてきたところがある。核家族以来、老々介護、認認介護といわれ、家族の福祉力にはすでに限界が見えている。
そのとき、家族だけでなく、仲間、友人という地域それぞれの生活者が「自分のこと」として認知症の人と共に歩み始めたのが、このチーム・corekaraの活動だ。
兵庫の一角から「認知症にやさしい社会」への扉が開こうとしている。

▲佐治雅子さん(前)と前田圭子さん(後)。「サポーターからパートナーへ」という確かな支援の形だ。女性同士というのはしなやかで強い。男同士は、どうだろう・・・・

|第33回 2016.9.29|

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