認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム

    住民が主役

    コラム町永 俊雄

    ▲ 中央が井階友貴医師。左が介護界のカリスマ、和田行雄氏、右が町永氏。このメンバーだから、いかに賑やかなイベントだったかがわかるはず(町永)。

    11月に広島県庄原で「認知症・安心の町は市民の手で」というイベントに参加した。毎年恒例の、認知症と地域づくりをテーマとした講演とシンポジウムで、地域住民の手作り感満載のイベントだ。
    庄原市は広島空港から車で1時間半。人口3万7千人。高齢化率は40パーセントを超える。自然に恵まれた美しい風景も、旅する私とそこに住み暮らす人では受け止めが違う。美しい紅葉も、住民にとっては過疎の風景でしかない。地場産業の乏しさ、若年層の流出、広い行政域内の格差、重苦しい現実が横たわる。この現実の中に希望を描くことができるのか。日本のどこでも直面する課題だろう。

    しかし、こうした催しを毎年積み重ねるように継続していくと、庄原に確かな変化が生まれつつある。「また今年もよろしく」と一年ぶりに言い交わす人々のまなざしに力というか輝きが加わっている気がする。前夜の打ち合わせを兼ねた会食(これが絶品郷土料理で毎年楽しみ)の席上、話がはずむ。はずむと言ってもよもやま話ではなく、ここですでに地域討論が始まるのだ。
    行政担当者、社協の人、介護専門職、医療者、そして地域の人々、それぞれがそれぞれの立場から「そうは言ってもな」「でもね」と認知症への偏見、家族の変容、行政の本音が飛び交う。確か最初の頃は、迎えたゲストの話を押し黙るようにして聞くばかりだったような記憶がある。
    このイベントをきっかけにして小さく動いたものがある。地域の一角の認知症高齢者サロン。医療や施設同士の連携。認知症の人へのまなざしも暖かな陽射しのようになったという話。小さな動きが大きな広がりにつながるその手応えが、ここに集う人々の目の輝きになっている。

    そこに今年は強力助っ人を迎えた。
    「たかはまモデル」として知る人は知る福井県高浜町から、地域医療を通してのまちづくり、仲間づくりの立役者、井階友貴さんにも参加してもらったのだ。まだ青年医師の面影を持つ井階さんもまた厳しい現実の中から独自の発想でプライマリケアを中心とした地域包括ケアを作り出そうとしている。2008年に福井県高浜町に赴任した井階さんを待っていたのは、限界的な医師不足、そして住民の地域医療への無関心だった。住民は地元の診療所より隣接地域の大病院へと向かうばかりだった。やったことは徹底的な住民への働きかけだ。全国から研修医を受け入れ、ホームステイしてもらう。それが「夏だ! 海と地域医療体験ツアーin高浜」 なんかノリノリ。あまりに楽しくって研修後、町で勤務する者も現れて今では医師不足も解消した。次の一手が住民の意識改革だ。医師から住民へという流れを逆転させて、医療の主役は住民なのだから、住民が医療を守り育てて欲しいと「たかはま地域医療サポーターの会」を誕生させた。井階さんはいきなり問題解決を打ち出すより、住民を動かすことに徹した。医療問題となれば、高齢社会の大きな社会問題。評論家は眉間にシワ寄せ、ことさら深刻に語るのだが、井階医師は違う。「ダイジョブです、キット」のオーラが漂う。それは医療単独の課題としていないからだ。ここにあるのは、まず住民主体があって、そこから行政、医療とコラボレーションが繋がっていく。明るく楽しくをモットーとする井階医師のまなざしに、いたずらっぽさをたたえた輝きは絶えることはない。

    庄原と井階医師の活動に通底するのは、住民の力とそこへの信託である。
    世に出る高齢社会の将来推計値は高齢化率、認知症の人の数を並べ立てては、「消滅可能性地域」と言った壊滅的なイメージを描き出す。私たちは未来を不安と怯えの中にしか描けないのだろうか。そうではあるまい。
    無機の推計データには、何一つ地域の暮らしの豊かさと住民主体の確かな力が組み込まれていない。

    |第35回 2016.12.1|

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