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認知症の人の話を聴くということ

コラム町永 俊雄

▲ 仙台の報告会。右から丹野智文氏、パートナーの若生栄子氏、山崎英樹医師。ともにスコットランドに行ってきた。

仙台で認知症の本人、丹野智文さんの「渡英報告会」が開かれた。
世界初の当事者活動が生まれたイギリス、スコットランドから来日したジェームズ・マキロップ氏と丹野さんとでフォーラムを開いたことがきっかけとなって交流が生まれ、今度は丹野さんがスコットランドを訪問した。報告会があった仙台は丹野さんの暮らす地域であり活動の拠点だ。
報告会に参加し、ここで語られたのは「認知症と共に生きる」である以上に、この社会の仕組みそのものを自分達で柔らかくそして確かに組みなおしていこうという市民の意思であったように思う。
報告会には、ワークショップも組み込まれ、参加者がグループに分かれて話し合う。私のグループはケアマネジャーや仙台市の行政担当者がメンバーだった。ケアマネジャーの女性が口火を切る。
「ケアマネの仕事でどうしても介護保険の自立支援の枠組みにとらわれてしまう。本当に本人の声を聞いていたのかと改めて感じた」みんな、うなずく。住民のひとりが、少しおずおずと話す。
「報告を聞いて認知症のことがわかったかといえば、逆にわからないところがどんどん出てきました。だから、今はもっと知りたいと思っています」
ここにあるのは「べき論」ではない。誰もが大きな問題意識やら小さな気づきから自分自身にグッと引きつけて話し合っている。

各地で認知症の本人の話を聴く機会が増えている。そのことは何をもたらしているのか。それは「話を聴く」ということが受動ではなく能動のきっかけになっているということだ。「いい話を聞いた」「感動した」という次元から一歩も二歩も踏み出している。
それは様々な場面で確かな動きとなりつつある。以前にもこのコラムで紹介した兵庫県芦屋の「チーム・これから」代表の佐治雅子さんとメンバーの前田圭子さんを迎えて神戸でフォーラムを持った。
その時のアンケートを集計したNHK厚生文化事業団の担当者はのけぞった。満足度100パーセント。この結果も初めてのことで、しかも大半が大満足だという。コーディネートは私なので、こんなこと書くのは不遜でもあるのだが、実は注目すべきなのはアンケートの自由記述欄だ。びっしりと感想が書かれている。枠をはみ出すほどの記入が目立つ。
ほんの少し紹介しよう。感想というより、どれも暮らしの中の確かな覚悟だ。

「当事者の生の声を聞くにへえーという思いでしたが、普通に話ができていること、伝えることができることを知り自分の頭の硬さに反省です」(60代、介護関係者)
素朴な受け止めから自己検証へときちんと結びつけた感想だ。介護が変わる。

「当事者の方の声をきくことは少しハードルが高いように思っていました。聞いたからには実現しなくてはいけないとか…。でもそうではなくて、普通に人としてできることはやる、できないことはできないでやっていけばいいのだと、気づくことができてよかったです。これから何かに活かせていきたいです」(40代女性、行政関係者)
思わず、そうだそうなんだよね、と相槌を打つ。行政者の気づき。

「何を目指すか、少し考える機会となりました」(50代)
簡潔だけど、力強い決意だ。上滑りではない確かな実感。

「認知症の人としてではなく、人としてどうあるべきか考える機会になった」(30代男性、家族)
家族の思いが回復していく言葉。

認知症の人の話を聴くこと、そこからこの社会の一角がゆっくりと大きく動き出す。もう一つ紹介しておこう。

「当事者の話を聴く、その意味のとらえかたがわかった。自分の出来ることってなんやろ、と思った。当事者の自立って…、今まで間違って考えてたかもしれない」(40代女性、介護関係者)

あなたの出来ることって、なんやろ。

▲ 仙台の報告会のワークショップの様子。活発である以上に、誰もが自分の言葉で自分の思いを探り当てていた、そんな集いだった。

|第36回 2016.12.15|

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