認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム

    認知症になりたくない人へ

    コラム町永 俊雄

    今年もまた認知症をめぐる様々な動きが目立ちそうだ。
    4月には京都で国際アルツハイマー病協会の国際会議が開かれる。世界一の認知症社会である日本での開催だけに世界から注目されるだろう。ここ10年ほどで認知症への関心は飛躍的に高まったと言っていい。認知症観の変化も大きい。認知症自体がかつての医療とケアモデルから社会モデルへと移り、「認知症とともに生きる社会」「認知症にやさしい社会」が謳われている。こうした流れをいかに着実に進めていくのかが、今年の大きな使命かもしれない。 でもね、でもあまりに前のめりに突き進むだけでなく、一旦深呼吸して周りを見回すことも大事なのでないか。

    「認知症にはなりたくない」、本音で言えばそう思っている人は少なからずいるはずである。いや割合で言えば大多数と言ってもいいかもしれない。何を隠そう(隠してどうなる)、ワタシだとて、たびたびの「エート、あれ、あれ」の物忘れに暗雲のような不安がよぎることも告白しておく。だから「なりたくない」の本音を封殺するつもりは毛頭ない。
    ただね、この「なりたくない」の本当の危うさは、認知症への想像力の一切を遮断してしまうことにある。認知症になるのは高齢化リスクだから長生きすればかなりの確率で「なる」のである。そのときに「なりたくない」の方へ自分の人生の持ち札全部を賭けてしまっておくと、いざサイコロの出目で「なる」が転がり出たなら(確率は高い)、精神的にも身ぐるみ剥がされ、不安と混乱の中に落ち込んでしまうだろう。
    この場合の不具合は、認知症に「なりたくない」と「考えたくない」を一緒くたにしてしまっていることだ。老いはどんなに頑張っても防ぐことは出来ない。しかし備えることはできる。だから、認知症になりたくない人こそ、認知症について「考えておく」「備えておく」ことが大切なのだと思う。一組の夫婦が共にめでたく翁媼(おきなおうな)の平均寿命まで生きるとしたら、そのどちらかは認知症になる時代なのだ。年若い夫婦が互いに顔見合わせて「それは、アンタ」とビシリと指差し、相手に認知症をなすりつけようとしても意味はない。それよりは、将来のどこかの時点でどちらかが認知症になることも想定してみるだけで、逆に夫婦の日常にしっかりとした重心が据え付けられるかもしれない。思いやりや気遣いと言った備えの力も想像できるかもしれない。将来の認知症を想定することで、今の夫婦という人間関係に奥行きが出て来る。
    マ、年の始めに(もう随分過ぎてしまったが)、認知症に「なりたくない」夫婦や家族で、認知症について語り合うというのが一番かもしれないね。

    私は、認知症に「なりたくない」と言う大多数(多分)の声を大切にしたい。「そんなこと言ってはいけません」という私のかつての小学校のセンセのような空疎な建前では、「認知症にやさしい社会」が空回りするだけだ。いきなり「認知症になっても大丈夫」って言われても困る。「大丈夫なのか」とか「なりたくない」と言った本音から私達の「認知症社会」を組み上げていくしかない。本音こそ、この社会の土台なのだ。
    認知症への多様な眼差しを交差させていきたい。だから「認知症EYES」なのです。
    今年もよろしく。

    第32回 国際アルツハイマー病協会国際会議(国立京都国際会館)
    共催 : 公益社団法人 認知症の人と家族の会

    |第37回 2017.1.19|