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認知症の当事者発信という力

コラム町永 俊雄

▲ 2月17日、都内で開かれた厚労省老健事業の「本人の視点を重視した施策反映」の報告会の様子。全国各地から認知症当事者達が集まり発表した。認知症の人の声から地域が動いていく。

1月16日の朝日新聞の特集に「認知症の自分を生きる」という記事が載った。
このコラムでも取り上げた町田市の「認知症とともに歩む人・本人会議」や仙台での認知症の本人丹野智文さんの主宰する当事者活動の「オレンジドア」などが紹介された。その記事には1972年の「恍惚の人」の出版から今年のADI(国際アルツハイマー病協会国際会議)までの認知症に関わる年表と、いわゆる認知症観の変化の図表が添えられている。そこにはこうある。
「恍惚の人」の時代は認知症の人を「何もわからなくなった人」という見方だった。ついで「ケアの対象となる人」、これは医療と介護による対処が主流だったということ。そして現在、それは認知症の人を「主体的に人生を送る人」とし、本人の思いを重視した支援であるとしている。
当然ながら、このクロニクル自体は認知症の人に対する大づかみの「見方」の変遷だから、現実がこうなったわけではない。しかしこうした変遷を踏まえることで、今の自分の取り組みは時代に逆行していないか、あるいは先行指標としてなにを目指すことが出来るのかが共有できる意味は大きい。
こうした図表を見るまでもなく、改めて「認知症」は変わった。そう思う。いや、正確には認知症医療が変わり、ケアが変わり、制度施策が変わり、人びとの偏見が是正されてきたと言うべきなのかもしれないが、そのことは「認知症」それ自体が変わった、と言ってもいいのではないか。
では、誰が変えたのか。それは認知症の本人が変えたのだ。認知症当事者の発信が、認知症の医療やケアを変え、施策を変え、そして地域社会を変えようとしている。注意深く見渡せば、全国の様々な地域でそうした当事者の発信が目撃できるはずだ。

最近、「ルポ 希望の人びと」という本が出た。副題に「ここまできた認知症の当事者発信」とある。著者は朝日新聞の生井久美子記者で、20年以上にわたって日本と世界の認知症当事者の人との対話を積み重ねてきた。膨大な記録であるのだが、平たく言えば認知症の人の言行録とその歴史と言ってもいいだろう。通読して一つのことに気づく。そこには当然ながら認知症になったことの嘆き、つらさ、困難の声も記されているのだが、それ以上に認知症の人は希望を語り、現実を変えようとする力を示し、理不尽な現実には怒りの声を上げている。それは生井記者が取材を始めたずっと以前、20年前から同じなのだ。認知症の人が変わったのではない。実は認知症の本人たちの声が、この社会を、私たちの「見方」を変えたのだ。言い換えれば、私達のそれまでの「見方」が、認知症の人のつらさと困難を生んでいたのだ。この本に書かれているのは認知症の人びとの力である。かつては「絶望の病」とも呼ばれた認知症をこの本では「希望の人びと」と呼ぶ。この事の示唆は大きい。私たちの見方次第で、同じ認知症の人を「絶望の病」に追い込むし、あるいは「希望の人びと」として地域社会の大きな力とすることも出来るのだ。
本の終盤に、こんな記述がある。
『認知症の当事者発信を追いつづけて気づかされたのは、能力主義からの解放の大切さだ。何かが「できる」からよいのではなく、そこに「いる」「存在する」意味と価値の重さだ』
認知症当事者の発信は、この社会の「人間原理」への復元を問いかけている。

▲ 「ルポ 希望の人びと」の表紙。爽やかな装丁である。湖面に風景がそのまま投影しているが、それはそのまま誰もが「当事者」であるというメッセージのようだ。

|第40回 2017.3.6|

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