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NHKスペシャル「認知症社会」を見て

コラム町永 俊雄

▲ NHKスペシャル「認知症社会~誰もが安心して暮らすために~」の番組HPより。このシリーズは「私たちのこれから」として、この社会の現実と課題を語り合う。

「言うは易し行うは難し」とはよく言われることである。「認知症でも安心の社会を」と言われれば、そりゃそうだと誰もがうなずく。でも、じゃどうすればいいのかと問われれば、エート、と顔を見合わせ、互いを小突きあうようにして「オマエ、なんとかしろよ」ということになる。言うのは簡単。ではどうすればいいのか、そこが難しい。

3月26日にNHKスペシャル「認知症社会・誰もが安心して暮らすために」が放送された。私はこのタイトルの「認知症社会」に大きな期待と意味を見た。ここには、所与の社会としての共生型未来への姿がある。これまでの課題、問題の対象とするばかりだった認知症を転換し、新たな認知症観にもとづく社会システムが語られるのだろうと、これは勝手に思ったのだ。
ところがこれまでと同じだった。「安心の社会を」の前に、安心できない思いっきりの不安材料を冷徹に述べることから始まったのだ。
2025年には認知症予備群を含めると認知症の人は1300万人、その社会的費用14.5兆円。認知症の人の交通事故や高速での逆走は増え、救急医療崩壊という「深刻な事態」となり、介護施設と人材は不足し、そのための介護離職が増え、高齢者が徘徊で野山で死ぬ痛ましい現実が到来する、と続けていく。こうしたデータ紹介の合間にハッシュ君という不思議なキャラが「危ないなあ」「それは大変だ」としかめ面をしながら合いの手を挟む。
何かとても力を入れたネガティブ・キャンペーンが繰り広げられた印象を持つ。番組ではデータの後に、そのために新オレンジプランが策定されたが財源もなく対応は難しいとそっけなく切り捨てている。その新オレンジプランの「認知症の人の視点に立って、社会の理解を深めるキャンペーンの実施」の項に「認知症に対する画一的で否定的なイメージを払拭する」とあるのは知っているのだろうか。

でもまあ、これは私が少々認知症の当事者活動などにも関わっているから違和感を持つだけで、世間の人々は番組のこのデータの羅列を見れば、当然、この深刻な事態に眉をひそめ、なんとかしなくてはと思うだろう。確かにここに述べられた現実は事実である。間違いではない。どれも私たちが立ち向かわなくてはならないことばかりだ。では、この厳しい「認知症社会」の現実をどうすればいいのか。そこに展開されたのは、それは全て濃厚な対策と支援策なのである。そこでは認知症の人々は常に対策と支援の対象者だ。もちろん、その対策それぞれは大きな役割を果たしていることは、これも間違いない。
しかし、間違っていないが、認識としては根本的に間違っている。
それは、「認知症社会」へのパラダイムシフトが語られていないことなのである。いや、語られてはいた。スタジオの認知症本人やその仲間などの言葉がまさに、この社会を認知症社会として認知症の人の視点から変えていこうと述べているのに、誰もそれを受け止めていない。いよいよ、ここから本当の「認知症社会」の議論が始まるだろうなと気合を入れて見ていても、画面はあっさりと「ハイ、それでは次の対策を」と切り替わってしまう。
少子超高齢社会の現在と未来を考えれば、旧来型の対策と支援で乗り切れるはずがない。認知症社会とは「認知症」を排除するのではなく、「認知症と共に生きる」ための社会システムに転換することなくしてはあり得ない。そこを語ってほしかった。番組に参加した人々のSNSをたどれば、認知症の人の視点を据えた議論の糸口は何回もあったはずなのだ。なんどもこの社会のパラダイムシフトを語る方向性は提示されていたはずなのだ。それが最後まで浮き上がらなかった。

「認知症社会」への一番の障壁は、「誰もが安心して暮らせる社会のため」の新たな認知症観と社会観を私たちが持っていないことにある。

NHKスペシャル「私たちのこれから #認知症社会 〜誰もが安心して暮らすために〜」 http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170326

 

|第43回 2017.4.4|

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