さて、ここからは、いよいよ「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」を読み解いていきます。ただその前にお断りしたいことがあります。
認知症基本法は6月14日に成立しました。だからもう5ヶ月が経ったことになります。この法律ができた意味合いが大きいとされるのは一つは基本法であること、そしてもう一つには、法律タイトルに「共生社会の実現を推進するための」と云う惹句が付されていることです。
先日、横浜で地域医療をテーマに対談をした。対談相手は、横浜港南区で「つながるクリニック」というなんともぬくもりのある名称の医療法人院長の八森淳さんだ。
10月5日、東京の有楽町朝日ホールには、全国から認知症を生きる人やその家族、関わる人々が集まった。1時間前の開場から、ほぼホールは満員である。
広島県の庄原で「認知症講座」に参加してきた。庄原市は、広島県の一番奥、北に鳥取、島根に接し、山に囲まれた近畿以西では最も広大な地域である。広島空港から車でも1時間半近くかかる。
認知症基本法の勉強会が開かれた。勉強会はいつも三鷹にある認知症のクリニックで開かれるが、そこの診療が終わる夜になってだから参加者もまたそれぞれの仕事を終えてから集まってくる。学びのコモンズといった小さな志の集結である。
岡山県津山市で地域ミーティングを開いた。津山市は岡山県第3の規模の市で、津山城址のある城下町の佇まい、古くからの文化都市である。
上高地に行ってきた。8月のカレンダーも最後だから、そろそろ日本随一の山岳リゾートも息づくようにして季節が移ろうとしているに違いない。台風も一休みのこの時期を逃してなるものか。
八月も半ばを越そうとしているが、実はこの稿を記しているのはお盆の最中で、私の育った東京の下町では、お盆にはどこの家庭でも迎え火、送り火をしていた。
先日、岩手県八幡平で認知症シンポジウムに参加してきた。東北も暑かった。「会場の八幡平の体育館には冷房がないのです」と、主催の市の担当者や地域包括の人が恐縮しながらあちこちに大きな業務用の扇風機を備え、至る所に飲み物のペットボトルが置かれて、そうしてシンポジウムが開催された。
絶海の孤島に一冊の本を持っていくとしたら、それは何か、と言う設問があって、それは歎異抄、と言う人もいれば聖書という人、ある詩集とする人などそれぞれだ。
認知症基本法の「わかりやすい版」を作成した。嬉しいことに、認知症の本人から自分のホームページに載せたいとか、さまざまな人から勉強会に使いたいといった声が寄せられた。わざわざ「よろしいだろうか」と丁寧に断りや許可を求める人々もいて、かえって恐縮する。
秋田県の社会福祉会館で「地域ミーティング」を開いた。去年に続いて2回目である。コロナの日々の真っ最中だった去年、地域で何ができるか、まずはそこに住む人々の声を聴こう、去年開催した1回目は、そんな原点に立ち帰るような地域ミーティングで、大きな手応えがあった。
6月14日に認知症基本法が成立しました。認知症の当事者や関わる人々からは、ようやく自分たちの思いが形になった、画期的であるという受け止めが多かったようです。
朝のルーティンで、コーヒーを淹れる。それだけのことなのだが、何か人生に流れる時間がくっきりとするひとときである。
このところ、騒然と言った感じで論じられているのが、チャットGPTである。生成AIとも対話型GPTとかいろいろ言われていてよくわからない。そのわからなさがまた、どこか説明のつかない不安にからみとられる。
カリスマ介護福祉士として知られる和田行男さんに話を聴いた。仲間と開く認知症当事者勉強会の世話人会に来てもらったのである。来ていただいた、というべきかな。まあいいや。そういう人である。形にはこだわらない。
コロナの日々をくぐり抜けた開放感もあって、この大型連休はどこも大賑わいだったようだ。マスク外して笑顔あふれる各地の行楽地の様子がニュースに映し出された。
いよいよゴールデンウイーク突入だ。一年で一番いい季節とされる5月、まさにゴールデンウイーク、黄金週間である。しかし、私の属していた公共放送では、ゴールデンウイークとは言わない。大型連休ということになっている。
みなさんこんにちは、今ご紹介いただいたマチナガです。えーと、私はおわかりのように医者ではないし、介護職でもありません。たまたまメディアの世界で認知症というテーマに向き合ってきた立場です。