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認知症の人の本のブックフェア

コラム町永 俊雄

▲ 池袋ジュンク堂でのブックフェア。およそ20冊の認知症関連の本が並んでいる。初めての取り組み。ぜひ、足を運んで欲しいが、近くの本屋でも認知症の人の本を見つけて欲しい。店員さんに尋ねるのも、情報の確かな拡散につながっていく。

本屋にブラリと立ち寄るのは、魅惑的な世界に足を踏み入れるワクワク感がある。新刊の匂いに包まれて、書棚に並ぶ書籍はまだ見ぬ世界の入り口である。
あなたもまたそのようにして本屋に立ち寄ることがあるはずだ。ふんふん、鼻唄を口ずさみながら、オヤ、と立ち止まる。その一角は認知症の本ばかりだ。
確かにここは医学フロアだし、認知症の本があって当たり前。だったら著者はお医者さんのはずで、白衣に聴診器ぶら下げて、両肘椅子にふんぞり返っている写真が表紙じゃないの?ここの表紙は笑顔の人が多いし、こちらの人はとても意志的な目の輝きで私を見つめている。え、なによ、この人たちみんな認知症の人なの?へえ、これみんな認知症の人が書いた本なんだ。
かくして、あなたは私たちの時代の「認知症」と「認知症の人」と出会うことになる。

9月1日から、池袋の大型書店のジュンク堂の6階で、ブックフェア「認知症当事者の語り ~ありのままの声で~」が開かれている。今月いっぱいの開催だ。認知症の人自身が著した本の数々が集められている。
ブックフェアを働きかけたのは、こうした本に関わった出版、メディア、そして認知症当事者ワーキンググループのメンバーたちだ。彼らもまた、ある意味で世間の「認知症」と出会ったことになる。どういうことか。
確かに認知症の人の出版、発信が増えている。認知症の関心が高まっている。でもね、冷徹に見れば、そうはいっても社会全体からすればまだまだそれはごく一部。認知症の人の講演に集まるのは、やはり認知症に関心がある人だし、京都ADIだって、新橋の昼下がり、爪楊枝くわえたサラリーマンに聞けば、たぶん、ほとんどの人が知らないだろう。
ブックフェアは、そうした「世間」に認知症を押し出すことだった。そこには「認知症」に関わる人にとっての「気づき」がたくさんあった。これまでは、世間に、認知症の人の思いと真実に「気づいて」貰うことだった。今度は、逆の方向の「気づき」である。
医学フロアの一角で開かれることだって、違和感ないわけではない。これまで認知症をなんとか医療の枠組みの疾患ではなく、当事者からの視点で「認知症」をとらえなおそうとしてきた。でもね、なぜか、けしからんというのではなく、そうかそうだよな、という感じもした。「世間」に押し出すというのはこういうことなのだと「気づき」を得た。書店の担当者がとてもいい人だったと、働きかけた誰もが言った。認知症に対する世間の「伸び代」を教えてもらった感覚なのだ。売り上げだって大切な要因だ。ネットで買うより、書店に足を運んで店員さんに声をかけて購入する、流通という経済の仕組みに認知症の思いを流し込むことだってできる。

イギリスの運河観光でナローボートが川下りするとき、ロックと呼ばれる水門を通る。水位が違う運河を行き来するための名所でもある。ブックフェアは、当事者や当事者活動に関わる人と世間の間の、異なる水位をつなぐロックである。
このブックフェアが、認知症活動がまさに社会化されていく一歩になればいいなあ。当事者活動の成果が、当事者の思いが書店を通って緩やかに外へ、ほぐれるように世間に出ていく。当事者活動の、ともすれば結社的な思いとか志といったやや持ち重りのする濃密なところから、街の風の中へ軽やかに吹き渡っていく。書店は、当事者と世間との接点だ。

|第53回 2017.9.6|