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「認知症革命」

コラム町永 俊雄

▲ 認知症の人を交えた勉強会の様子。その時々のテーマを話し合い、それを定期的に多くの人の前で発表している。全国から人々が手弁当で仕事を終えてから集まる。ここだけでなく各地でこうした集いが開かれている。こうした結集が社会を動かしていくはずだ。(のぞみメモリークリニックにて)

今度は「人づくり革命」だそうだ。安倍内閣が掲げる看板政策は次々と変わる。女性活躍に一億総活躍、働き方改革に次いでの「人づくり革命」なのだ。まあ、「改革」に、もうイッチョ景気づけをしようとしての「革命」なのだろう。
社会政策そのものが踏み上がるたびに大きな言葉に置き換えられ、その分、空疎な響きを伴う。では「人づくり革命」とはどんな施策なのか。具体的には、教育費の負担軽減であり、学び直しの機会であり、高等教育改革であるとする。これ自体、否定するつもりは全くない。しかし、この「人づくり革命」を担うのが内閣官房の人生100年時代構想推進室だという。うーむ、どうも人づくりと教育改革と人生100年時代とがどう「革命」になるのかよくわからん。全体構想が寄せ集め的で焦点を結んでいない。

どうせ「革命」と打ち上げるなら、今掲げるべきは「認知症革命」だ。人生100年時代の長寿社会と重ねてみれば、一番的確な看板である。
そもそも国の策定した新オレンジプランが「認知症にやさしい社会」と、実はそのことを組み込んだものではないのか。
「認知症革命」とは何か。それは端的に言えば「認知症を前提とした社会」への転換である。これまで施策的には、認知症は常に対策の対象だった。言ってしまえばどこか「厄介ごと」の重しがつきまとった。その発想自体を大逆転させる。認知症そのものを社会の内懐にすべての「前提」として深々と組み込んでしまう。「認知症」を変革の原動力に据え付け、「認知症」こそをこの国の活力として捉え直す。きっぱりと私たちの社会は認知症を前提とする、と宣言することで、この社会は大きく跳躍するだろう。
これまでの社会システムでは、社会保障などの政策対応では限界がある。認知症を前提にすれば、例えばコンビニの店員のサポーター研修は当然として、駅などの公共施設の再点検。自動販売機ばかりの現状に対面サービスの新たな設置、図書館や書店での情報提供を含めた新たな施設設計の提案、さらには、高齢者の運転問題には、路面電車のLRT(ライトレール・トランジット)の導入など、認知症の当事者や誰もの創意と工夫と技術革新を掘り起こす力とする。これまでの個別対応という福祉的発想の枠から脱却し、インフラ自体を組み替え、一気にインクルーシブ社会に転換できる。
インバウンド、訪日外国人観光客だって、認知症の人と家族ウエルカムのキャンペーンを繰り広げ、観光地だけでなく各地のグループホームなど施設訪問で盛り上がるだろう。国際的にも日本の認知症ケアの評価は高いのだ。当然、2020オリンピックパラリンピックには「デメンシア・ブース」が大盛況のはずだ。世界一の認知症社会ニッポンの「おもてなし」は、世界の認知症の人々との交流で完成する。
「認知症を前提とする社会」の本当の意味合いは、この社会そのものを深いところで変えていく力があるということだ。一人ひとりの「認知症観」を変換し、自分のこととし、今取り組まれている「地域共生社会」の「我がごと、まるごと」がそのまま実体化し加速していくだろう。そこに「人権」がこれまでにない親和性を持って暮らしに馴染む。当たり前の暮らしと人生に「人権」が寄り添うとき、それはそのまま次の世代へ「持続可能な社会」を受け渡すことになる。
ほらね、認知症を前提にするということは、女性活躍も一億総活躍も働き方改革や人づくり革命も、ぜーんぶ取り込み、確実につなげていくことになるだろ。
これが、認知症と共に生きる私たちの「認知症革命」。

|第54回 2017.9.25|

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