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認知症2017、この一年

コラム町永 俊雄

▲ この一年を写真で綴るとなると膨大な記録になる。だから、ほんの断片のコラージュ。ある時には「楽しくなければ認知症じゃない」と言ってみたり、「権利」をめぐって話し合い、そして「誰もが関わること」としての「認知症」が世間に大きく踏み出した一年。認知症の一年は、あなたの一年。

今年もあとわずか。認知症をめぐるこの一年を振り返ってみたい。といっても認知症はすでに個別の課題から抜け出して社会全体とシンクロしてきている。となると認知症を語ることはこの社会を語るようなもので私の手に余る。だから、この稿はこの一年を網羅するというより、私も関わる認知症当事者の活動を支点として一年の時間軸を動かしてみたい。往々にして一点の凝視から、かえって全体の位置関係も見えてくるものである。

何といっても2017年の大きなイベントは4月に京都で開催されたADIだろう。13年ぶり2回目の京都ADIでは、認知症の当事者発信がこれまでになく活発だった。当事者参加も13年前の前回は9人だったのが、今回はこれまでの最多200人を超したという。日本の当事者たちと世界の当事者たちの交流、とりわけ「認知症の人の権利」が熱く語られたことは、その後の認知症の人の自立と自己決定への方向性を示した。京都ADIは未来のある時点で振り返れば、間違いなくここから日本の認知症をめぐる動きは転換していったと記される歴史になるだろう。
認知症の人と運転免許の課題も注目された。3月にJDWGは認知症対策強化を盛り込んだ改正道路交通法に対し疑問を投げかけ、政策提言を行った。1年前の認知症の人の踏切事故での最高裁判決に際しても提言を出すなど、新オレンジプランでの家族や本人の社会参画を実質化していく取り組みが一層進んだ。

日本で最大の認知症関連団体「認知症の人と家族の会」の高見国生氏は、共催した京都のADIの開会式で「共に新しい時代へ」と宣言し、6月に37年にわたる代表を退いた。認知症の人の発信が活発になったからこそ、家族が埋没するわけにはいかない。家族も変容する中で、改めて本人と家族や地域との新たな関係をどのように組み立てるのか。家族の会という巨大組織が日本の認知症状況の重心であり続ける以上、家族の会の役割は一層注目される。
個別の活動に触れれば、6月に、大きな問いかけにつながるイベントがあった。町田のBLGの認知症の人たちが「スペシャルトーク」と題して語り合った。
それが徹頭徹尾、仲間との日常の「おしゃべり」の再現なのである。ここにはこの数年の当事者発信での聴き手の過剰な意味づけへのアンチテーゼがあった。「感動するような素晴らしいお話」を潜在的に期待する聴き手の存在は、実は、「認知症でない人に有用でなければ、認知症の人として存在は許されないのか」という当事者たちの鋭い問い直しだった。それは「共に生きる」中で、差別とは言えなくとも区別につながらないか、と。このイベントは認知症の当事者発信の今年の到達地点を示した実は大きな出来事だったと私は思う。

認知症の人の著作出版が相次いだ。加えて、それを社会に世間に押し出そうという人々の動きが前景化した。9月には都内の大型書店で、認知症の人の出した本を集めたブックフェアが開かれた。これは認知症に関わる多くの人々が動き、書店に呼びかけ実現したものだ。関心を持つ関係者だけの当事者活動から世間一般に踏み出していくスタートを切ったと言っていい。
「認知症」は名実ともに「医療」「福祉」の枠組みから歩み出し、スティグマ渦巻く世間に社会変革の力として乗り出していく。それは6月の「注文を間違える料理店」というユニークなイベントも生み出しながら、広範なうねりとして拡大していく兆しを見せ、取り組みと議論のステージは一段上がった。

ここからは、否応なしに様々な取り組みが湧き起こる。一つ一つ路線の整合を求めるのか、それとも幅のある中での原則的な方向性を共有していくのか。来年以降は活動の深化と拡散の中で、新たな課題と議論に直面することになる。
そんな中、今年は「認知症の人基本法」の話し合いが続いた。ADIから始まった「認知症の人の権利」は、意識と動きの底流となって今年を貫いた。認知症に対する関心が様々に分化していく中で、拠りどころとしての基本法の必然はより高まる。この「基本法」をどのようにして認知症の人たちの提言として世に出していくのか、年をまたいでの新たな挑戦である。
「認知症」は、取り組みの成熟度を切り上げるにつれて、周囲に新しい風景と環境を見せていく。

|第60回 2017.12.21|