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「認知症からの回復」を考える

コラム町永 俊雄

▲ 大阪で開かれた「ひきこもりからの回復」のフォーラム。この社会の「回復」とはどういうことか。認知症と全く同じ当事者性の視点から読み解きながら、語り合いは「社会の回復」を語ることにつながった。

ひきこもりを経験し、今は全国でひきこもり女子会を開催している「ひきこもりUX会議」代表の林恭子さんはこうつぶやいた。
「私たち抜きに、私たちのことを決めないでほしい」

ああ、またこの言葉を聞いた。
自身が20年の際月というひきこもりの経験をくぐり抜けそこから今、同じ境遇の女性たちの発信の場を作り上げようとしているこの人から、この言葉を聞いた。
声をあげられなかったつらさと困難の中のひきこもりの当事者の力を集め、社会を揺り動かそうとする最前線の林恭子さんは、この言葉で未来を切り拓こうとしている。

9月8日に大阪で「ひきこもりからの回復」というフォーラムを開いた。
フォーラムを進行しながら、話し合いのいたるところで「認知症」活動と同期する言葉と思いと課題が錯綜した。いや、認知症だけではない。そこには障害のある人、自閉スペクトラム(発達障害)などと重なり合い響き合う話し合いだった。もはや、認知症は「認知症」の枠の中だけで語ることはできない。

通常、私たちの社会生活は、個人、家族、社会が同心円を描きながら、それぞれが接点を持つことで成り立っている。
「ひきこもり」には、その接点がない。本人だけでなく、家族もまたその本人と接点を持たないまま、社会にも繋がりを持てないでいる状況だ。
認知症の人の多くも「ひきこもり」を経験する。介護家族もその本人を抱きしめるようにして地域から断絶してしまうことがある。認知症のつらさより、その不安と生きづらさに家族もろとも巻き込まれる。

「ひきこもり」への対応はスモールステップをまことに注意深く刻んで行く。
「ひきこもりからの回復」とは、つまるところ、理解ある第三者とのつながりを持てるかにかかる。その時機能するのは医学としての治療よりも、ケアの力である。
登壇者の精神科医の斎藤環さんは、いち早く「ひきこもり」の課題に声をあげた人だが、斎藤さんの持論は明快である。
「治療できない患者は存在するが、ケアできない患者は存在しない」
ここにも、治す事が出来ない「認知症」に向き合った認知症医療が、ケアとの連携を深めていったのと同じ方向が示されている。ある意味で、「認知症」が先行していた部分でもある。

ケア、支援することについては、被介入感を最小限にしながら、包摂的に介入することとし、具体的には、それは「説得なきお節介のスキル」なのである。
「ひきこもりをやめよう」と説得を試みることは、こちらの価値観の押し付けであり、本人の罪悪感を刺激するだけである。まずはひきこもりすることの自由を確保することではじめて、本人はひきこもりをやめる動機を獲得する。
そしてケア、支援とは、それは「動機を与える」ことではなく、「動機の発見を助ける」ことに他ならないのである。
語り合いながら、私はこれこそ当事者性の確保であり、同時に言い交わされながら実態をつかみ得ないでいる「支え合い、助け合い」のスキルそのものだと心の内でうなずくことしきりだった。

「ひきこもりからの回復」とは、「ひきこもり」の否定の上に組み上げるものではない。ひきこもりの本人のあるがままを受け入れた上で、ともに「回復」とはどういうことかを語り合い、その動機の発見を探り当てることだ。
それは「認知症」の否定の上に組み上げるのではなく、その人のあるがままを受け入れようとする認知症当事者活動そのものでもある。

「認知症からの回復」は成り立たないだろうか。
いうまでもなく、ここでの「回復」とは、治療の成果といったことではない。奪われた権利、その人らしさ、暮らしの困難、そのことからの「回復」であるとするならば、今まさに認知症の人が訴えている「権利」や「社会参画」がよりくっきりとした輪郭を持つのではないか。

ひきこもり当事者であり、今ひきこもりの当事者活動を全国で展開、牽引する林恭子さんはフォーラム終わっての会食の席で、私の前で、膝にキチンと両手を置いて、行政も「ひきこもり」についてようやく動き始めてくれたが、地域の温度差があり、当事者の声を聴き置くだけの対応も多いと語った。そして、その時に「私たち抜きに私たちのことを決めないでほしい」と語ったのだ。

今、様々な領域の当事者たちが声をあげ、いくつもの流れが合流し大河となり潮流となって時代を動かそうとしている。それは、「ひきこもりからの回復」であり「認知症からの回復」であり、それはまた、私たちの「社会の回復」の力となって流れていく。

▲ フォーラム登壇者とディレクター。後列左町永氏、中央に精神科医の斎藤環氏。近著の「ケアとしての就労支援」はひきこもりの本というより福祉原論の深さを持つ。前列の右から二人目がひきこもり当事者で「ひきこもりUX会議」代表の林恭子氏。

|第80回 2018.9.14|

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