認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム
  • 医療
  • くらし

医療は認知症に何ができるのか

コラム町永 俊雄

▲盛岡での「認知症とともに暮らせるまちづくり」フォーラムの様子。上段左から、紺野敏昭医師、町永氏、下段左、岩手県立大学の小川晃子教授、ヤマト・スタッフ・サプライの松本まゆみ氏。それぞれ立場と職能は違うが、地域という舞台では同じ生活者、同じ現実を共有すればできることは自在である。

認知症の流れは大きな広がりを見せている。
各地に認知症カフェが開かれ、イベントには必ずオレンジ色の幟を持つ人々が街頭に立ち、認知症の本人と家族もまたつどいの場で談笑している。そんな光景をあたりまえに目にするようになった。認知症という柔らかな力が、この社会を包み込むようにして変えていく。
思えば、2012年、今から6年前に仲間たちとクリスティーン・ブライデンの講演をもとに一冊の本を出し、そのタイトルを「扉を開く人」とした。今、扉を開く人々は各地にいる。新たな認知症の物語の扉が開かれようとしている。

ここで深呼吸するようにして振り返れば、認知症の物語の始まりには必ずといっていいほど「医療」との接点があったはずだ。その接点は本人の側からすれば、どんな物語の始まりとなったのだろう。
早期診断、早期絶望ではなかったか。診断された本人に提供されたのは「5年で寝たきり」といった類のネガティブ情報だけだった。認知症の人誰もが、診断後長く引きこもり、涙と不安の時を過ごしたという現実を医療はどう見ているのか。乱暴に言えば、医療の外に置き去りだったのではないか。

心ある医療者は自身を問い直すようにして、認知症医療に向き合っている。
のぞみメモリークリニック院長で、認知症専門医の木之下徹氏は、あるインタビューで、果たして認知症の人の思いを理解した上で薬を処方しているのか、そうでなければ「医療」の名に値しないと断じ、認知症本人のための医療でなければ、医療はその存在基盤を失うことになりかねないと語っている。
私自身も、氏からよく聴くことがあるが、傍目からは痛ましいほどの自己検証である。

その一方で認知症を含むシニアマーケットは、大衆医療の草刈り場のようである。新聞の広告欄を見れば、高齢者のサプリや、たちまち墓場からも蘇るかのような健康法だとか、不安につけ込むような認知症予防本の氾濫である。

認知症医療は根治が難しいという点では、ある意味「敗北の医療」だと言われたこともある。しかし、そこから始まる医療がある。それは「治す医療」から「支える医療」への転換だ。新オレンジプランでの「本人の意思が尊重され、住み馴れた地域で自分らしく暮らせる社会」に、医療はどんな役割を果たすのか。
認知症を医学モデルの中だけで見るのではなく、認知症の社会モデル、生活モデルとして捉えるとき、医療は何ができるのか。

盛岡でのフォーラムでの事例報告にそのヒントがあった。
社会実験としての「外出支援」という取り組みだ。
岩手県立大学と岩手西北医師会、そこに宅急便でおなじみのヤマトグループのヤマト・スタッフ・サプライという企業体が参加しての異業種連携の取り組みである。
高齢者が買い物やクリニックへの通院などのための支援をするのだが、これまでなら、ボランティアや行政サービスで取り組んでいたのを、大学というアカデミア、医師会の医療、そして企業の三体が、大きく自身の枠組みを踏み越えて連携した。
この社会実験は、岩手県立大学社会福祉学部の小川晃子教授のアクションリサーチとして行われた。アクションリサーチとは、研究者が介入し、多様な関係者と連携し問題解決の手法を探るというものだ。

その背景にあったのが改正道路交通法だ。アクションリサーチにも参加した紺野クリニック院長で、岩手西北医師会認知症支援地域ネットワーク代表の紺野敏昭氏は、認知症の人が車の運転ができなくなると通院や買い物が難しくなり、新たな医療難民、生活難民が生まれると指摘する。

このアクションリサーチの特色は、複数の地域ネットワークの連結である。
県立大学の小川教授は以前から一人暮らしの高齢者の暮らしと健康を支える「お元気発信」というコミュニティーづくりを、学生や民生委員などの住民、大学も社会福祉学部だけでなくソフトウエア情報学部とも共同し、そして宅配業者や地元のスーパーなどとも連携するという独自のネットワークで創り上げてきた実績を持つ。

そこにも参加したヤマト・スタッフ・サプライのキーパーソンは、事業推進部マネージャーの松本まゆみ氏である。宅配便のドライバーは地元出身者で毎日地域を行き交うドライバーの存在自体が、地域の毛細血管のような生きたネットワークなのだとする。同時にこの取り組みは収益事業として成り立たせることで、持続可能性が担保されるとする。

とかく、福祉とビジネスに関しては、根強い「福祉は金儲けでいいのか」といったアレルギーが存在する。そうした括り方自体に、認知症を「福祉」の範疇に閉じ込めると同時に、「金儲け」という語句にもまた、高齢者や認知症の人を儲けの対象とするビジネスへの拒否感がうかがえる。それはある意味健全な感覚だとはいえ、これから必要なのは、経済で対象化される認知症ではなく、その人を中心に据えて、そこから発想する新たなビジネスモデルの構築ではないだろうか。

そしてこのネットワークに、医療の新たな役割がある。
2011年にほんの数名の有志から始まった認知症の人を支援するネットワークが、多職種の人を巻き込んで現在のやまぼうしネットワークの愛称で親しまれる「西北医師会認知症支援地域ネットワーク」となった。このネットワークは頻繁にカンファレンスという多様な勉強会や発表の場を持っている。その場はまた、認知症の現実を常にウォッチし、改正道路交通法の時のように医療から地域への発言も活発である。

地域で医療の参加の意味は大きい。地域では依然として医療への信頼は揺るぎないからだ。それは一歩間違えれば旧来の医療パターナリズムにも陥るが、その呪縛から離れて地域とともに機能する時、全体から見れば、顕在化した機能というよりむしろどっしりと後方に控えている地域の社会保障であり、それは住民にとってはなにより心強い存在だろう。
実際、西北医師会長の高橋邦尚氏は、これからの医師会は「見守る医療」を目指すと語っている。

ここでは大学、企業、そして医療それぞれが地域に根付いたネットワークを持つ。それが職能的に分離しているのはもったいない。地域という生活空間は職能で分かれてはいない。だとしたらそれぞれのネットワークを連結すれば、そのきめ細かさと自在な機動性は強力な地域資源となる。医療はそこにこそ地域の一員として参画してほしい。

さて、最初の問いに戻ろう。
医療は認知症に何ができるのか。
その問いを変えてみる。ひとつの助詞を入れ替えるだけで、認知症に向き合う医療の新たな姿が浮き上がる。
「医療は認知症に何ができるのか」から、
「医療は認知症と何ができるのか」と。

認知症の新しい時代に、医療と認知症の人と私たちは、ともに扉を押し開く。

|第87回 2018.12.5|