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「認知症にやさしいまち大賞」

コラム町永 俊雄

▲12月11日、東京の有楽町朝日ホールで第2回「認知症にやさしいまち大賞」の表彰式が行われた。本賞5団体、特別賞が2団体が受賞。どこの取り組みも大きな意味と役割があるが、この大賞は順位や優劣を示すものではない。ここからそれぞれが何を汲み取り、どう踏み出すかの指針となるはずだ。全部の取り組みは、NHK厚生文化事業団のHPに載っている。

「認知症にやさしいまち大賞」の表彰式が行われた。
晴れやかで楽しく、出会いと思いが交錯し自然に笑みが湧いてくる。どこかなつかしい共同体の匂いのするとてもいいイベントだった。こうした空気の式典は滅多にあるものではない。

次々に舞台にあがる全国からの受賞団体。応援にやってきた人たちも一緒だから、壇上にはかなりの人数が満面の笑顔だったり、会場に手を振ったりしている。
当然ながら、その中にかなり認知症の本人も混じっていて、存じ上げている顔の他にもいるはずなのだが、それが誰だかわからない。
わからなくてもいいのだ。司会をしていた私はそう思っていた。
この人は認知症の人です。取り立てて、そう言う必要はあるのだろうか。わからなくてもいい。ごく自然にそう思っていた。

認知症の人もそうでない人も共に地域に暮らす仲間で、まちづくりの主人公だとしたら、特にわからなくても構わない。理屈ではなく、あの場はそんなインクルーシブな光景を生み出していた。そしてそれは、今年のこの大賞が創り出した確かな「認知症にやさしいまち」の姿だ。未来形ではなく、今ここにある地域社会の姿なのだ。

「認知症にやさしいまち大賞」は、NHK厚生文化事業団の主催、厚生労働省の後援で今年で2回目だ。
しかしこの催しには前史がある。その源流は、今から14年前の2004年の「痴呆の人とともに暮らす町づくり」地域活動推進キャンペーンである。こうした「認知症とまちづくり」の活動は、実に「痴呆症」の時代から始まって、現在の認知症の地域活動としっかりと結びついている。それは先駆的であったという以上にほとんど奇跡的なことだったと言ってもいいだろう。

それを受け継いでの今回の大賞の進化の一つは、「認知症の人のため」ということが特化していないということだ。きっかけは地域の認知症の人の支援であっても、活動はそれを包み込んで、地域と日常を変えていく。

例えば、受賞した取り組みのひとつが新潟県湯沢町の「アクション農園倶楽部」だ。
認知症の人、高齢者がひきこもりがちな地域の現実があった。湯沢のリゾートマンションに定住する高齢者も気にかかる。
さて、どうしたものか。できることは何か。農作業なら誰もが出来るよね、ということで地域の一角に農園を開き、カカシに「アクション農園倶楽部」の看板を持たせて活動は始まった。まずはスタッフが農作業をしていたら、ワラワラといった感じで人が集まってきた。認知症の人も来た。何を支援するというわけでもない。
誰が認知症だかそうでないかは、当たり前の日常に溶け込んで、いつの間にか誰もが認知症のお年寄りから、作物のあれこれを教えてもらって、あちこちに笑い声が上がっている。

代表の丸山静二さんは、当初は、認知症の人が笑うので驚いたというほどに素朴に認知症のことは何も知らなかった人だ。その丸山さんは言う。
「この農園倶楽部は週一回開いている。イベントじゃないんだ。日常なんだ。そうなれば大変なことは何もない。みんなが次々に集まって勝手にやってくれる。何の力かね、自然の力か、人の力か。確かなのは、みんな人が好きなんだね」
「認知症」だけを切り出して対応しようとすれば、当たり前の日常から離れる。支援という非日常になる。そうではなく誰もが共に汗かく農作業をすることで、認知症の人も地域の人もフラットな仲間となり、認知症の人の力が発揮されていく。そんな取り組みだ。

静岡県富士宮市のDシリーズは、認知症の人たちのソフトボールの全国大会だ。
富士の麓の球場で、全国からの認知症ソフトボールチームが真剣勝負を繰り広げる。見事ヒットを打ったものの、三塁に走る人もいてただ応援しているわけにはいかない。
本気で勝負にこだわるから、各チームとも大会に向かっての練習に熱が入る。引きこもりがちだった認知症の女性は、庭でキャッチボールに励み、今やチームの主力である。
Dシリーズは、富士宮あげての春のイベントとして定着しつつある。参加チームも全国10を超える地域に広がりつつあるから、地元の市民も張り切る。前夜祭を開いて歓迎し、商店街の人たちは富士宮焼きそばを振る舞い、球場には家族だけでなく市民の応援の姿も増えた。そこには、誰も見たことがない生き生きとした地域の姿があった。
認知症の人の「やりたいこと」を応援しようとしたら、いつの間にか、認知症の人に地域が応援されていたのである。

選考委員の話し合いにはこんな提案も出た。
これこそ、2020年のオリンピック・パラリンピックの種目となってもいい。せめて関連イベントとして、世界の認知症チームも参加して、フジヤマのもとで、ディメンシア・シリーズを開催すればいい。世界の認知症の人ときっと盛り上がる。最高のおもてなしとなる。
誰か本気で考えないか。

各地の取り組みは確実に進化している。
「何かをしてあげましょう」から、「認知症の人のやりたいこと」を中心に据えての取り組みが目立った。
選考委員の丹野智文さんは、こうコメントした。
「果たして地域は、本人のやりたいことを言える環境になっているか。本人にやりたいことがないのではなく、言える地域になっていないのではないか」
「やりたいことはなんですか」と取り調べのように問い詰めても出てくるはずがない。認知症の人がやりたいことを言える環境になっているか、そう発想するだけで「認知症にやさしいまち」の扉は大きく開く。

長く高齢者や障害者の人権にも取り組んで来た弁護士で選考委員の延命政之さんは、こう語った。
「認知症の人の『やりたいこと』というのは、彼らの権利擁護である。言い換えれば、認知症の人である前に、あるがままのその人であることを認めるのが、このまちづくりの起点だろう」
「認知症にやさしいまちづくり大賞」は各地に横の広がりを見せ、そして同時に縦に深くこの社会の基盤を問い直す。

この大賞は、単なる情緒や善意の活動のレベルを超えて、各地の取り組みに、「権利の主体者」を位置づけることで、現実の暮らしの中に「認知症とともによく生きる社会」の姿を浮き上がらせる。
誰もがあるがままの人であることが保証される社会へ。
誰もが自己決定を積み重ねて、役割と立場がある社会へ。
それを、施策や既成の理念の枠組みからではなく、地域で懸命に暮らす一人一人が取り組むことで、この国の健全な未来を創り出そうとしている。
それはあたりまえの日常のかけがえのなさと、その思いが結集した地域の生活者の力だ。

それは、認知症の人が発信する「認知症でもできること」から、「認知症だからこそできること」と、どこかで深く響きあう。
誰かが語る認知症でなく、自分たちが語り合う認知症が、あの日確かに響きあっていた。

▼NHK厚生文化事業団 第2回「認知症にやさしいまち大賞」受賞団体
https://www.npwo.or.jp/info/12014

|第88回 2018.12.14|