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認知症治療薬の開発と「認知症とともに生きる」

コラム町永 俊雄

▲ 2010年代に入って、世界が認知症の根本治療薬の開発に取り組むことを宣言する一方で、認知症当事者の発信と活動が顕在化する。ともに認知症の「困難な部分」を取り除くということでは一致するはずで、この両者をどう重ねつなげていくのか。認知症薬の開発の難しさは、共生社会の難しさなのだろうか。(上段、下左の写真は2017年京都ADIでの認知症当事者の発表風景)

認知症の根本治療薬の開発が相次いで開発中止になった。
報道によれば3月にはエーザイが、有力視されていた治療薬候補「アデュカヌマブ」の治験を中止すると発表したばかりで、今回はノバルティス社などが手がけてきた治療薬「CNP520」の治験の中止を決めた。これは治験の最終段階の第3層試験まで進んでおり、後は結果を待つばかりだっただけに、ある研究者は、「製薬業界全体の元気がなくなっている」と語ったとされる。

「製薬業界の元気はともかく、認知症の人や家族の元気だよな」というのは、門外漢の勝手な感想だが、この背景には、国際的にも認知症の人の急激な増加に伴い、どこが最初に治療薬開発に成功するか、ということは、どこが、巨大なマーケットと権益を手中にできるか、という熾烈な国際競争がある。
2013年にロンドンで初めて開催されたG8の閣僚級による認知症サミットでは、その治療薬を2025年までに開発することを目標にすると宣言し、そのために各国は研究費を大幅に増やして取り組んできたのである。

確かにあの頃の、認知症をめぐる熱気は記憶に新しい。
2009年にはイギリスで認知症国家戦略が打ち出され、この取り組みは先進各国に展開された。2013年には、日本も参加してG8の認知症サミットが「global action against dementia」を標語に(これは直訳すれば、世界反認知症行動ということだ)開催され、ここで根本治療薬の開発目標が宣言されたのである。
ロンドンに続き、日本でも、翌2014年には東京六本木でG8の各国が参加して認知症サミットの後継イベントを開催。さらにその翌年には日本の認知症国家戦略としての新オレンジプランが出され、世界の認知症戦略はピークを迎えたのである。

こうした一連のグローバル・アクションの中から、しかし、同時にもう一つの力強い潮流が生まれた。それは、認知症に「against」を謳った主催者の思惑とは、あきらかに別の流れだったかもしれない。
それは認知症当事者の登場だった。イギリス国家戦略で埋め込まれた「エブリバディズ・ビジネス(誰もが、そして誰もに関わること)」や、アイ・ステイトメントという当事者主体のアウトカム評価が新鮮な共感で語られ、日本でも認知症の人ワーキンググループが発足し、認知症当事者の活動や発言が際立った、2017年の京都でのADI(国際アルツハイマー病協会国際会議)のうねりにつながっていったのである。

言い換えれば、国家間の戦略というより、世界の認知症の当事者、本人や家族の自律連携した発信が、国家の財政問題であり、危機としての「認知症」を塗り替え、「当事者主体」の新たな機運の中、世界に当事者発信があふれていったのがこの時期なのだった。
実際、京都ADIの会議で、日本の参加者からは「当事者」という言葉が頻発し、同時通訳では、それはそのまま「tojisha・トウジシャ」として伝えられたという。

さて、そのような文脈で、改めてこの認知症治療薬の開発物語を読み解く。
世界が認知症の根本治療薬の開発を宣言した時の機運は、国家としての社会保障と財政課題としての「認知症」であった。その2013年から6年経ってなお成功していない。いつも成功目前という情報はリリースされても土壇場で失敗する。

今回の失敗については、治療薬の対象となっているアルツハイマー病について「脳の神経細胞が壊れてから薬を使っても遅いということがわかってきた」という見解も示された。
そのために、まだ症状が出ていない診断前の人の研究も進めるという。

これをどう捉えればいいのだろう。
仮にこれが成功したとしたら、治療薬の概念自体が変わる。薬とは、症状による困難を取り除き治療してくれるもの、というのが一般の通念のはずだが、症状の出る前に使う薬とは、人々の「認知症になりたくない」心情をひたすら掻き立てる予防薬だろう。

例えば65歳以上の高齢者をスクリーニングし、この薬の予防的服用が政策的にも推進されるかもしれない。大綱で示された「予防」の究極の形である。保険適用になれば財政負担は、かえって膨大な額に増えることになる。医療経済の点から言っても、高齢者医療で予防はコスト削減につながるものではないとされている。

それともうひとつ、仮に診断前のこの薬の服用が徹底されても、すべての人が認知症にならないわけではない。現在の抗認知症薬でも、効く人の割合は限られている。
そうなると、夢の治療薬を使っても認知症になる人は必ず出るわけで、その人たちは社会の中でどう見られるのだろう。人間ドックに毎年かかっていながら、ガンになった、という次元とは全く別の課題ではないか。

治療薬の開発というのは、常に認知症を「撲滅しうる病」とすることを前提にするのだから、その薬を使いながら認知症になった人の居場所は、果たして社会にあるのだろうか。これは大綱で議論になった「予防の危うさ」をさらに強化して、私たちに突きつけるものではないのか。

実は、3年半前にも同様の趣旨で「認知症が治る日」と題したコラムを記しているのだが、現在ではさらに新たな認知症環境の局面を迎えている。
▶︎認知症EYES「認知症が治る日

それは治療薬の開発を共同宣言した2013年以降、認知症を取り囲む状況ははるかに成熟し、また変革を遂げているのである。
日本では、認知症は今や疾患の単体の課題に閉じてはいない。それまで宿命として重くのしかかるこの国の少子超高齢社会を、どう世界の成熟モデルとするか、認知症をテコとして、社会全体のあり方を変えようとする多様な模索と実践が全国規模で展開している。

実はこうした認知症観や共生モデルへの変換の中で、地域での人とのつながりや、認知症本人の社会参加と言った社会資源の誰もをケアする力に注目すれば、認知症の治療薬だけがソリューションではないというのは明白だ。
それは、薬物療法よりも、むしろ地域ケアや、本人主体のつながりといった、ある意味での非薬物療法こそがこの社会の根本治療薬なのではないかという視点の設定である。

もちろん、様々なタイプの認知症治療薬開発の成功を待ち望みたい。しかし、それはすでにここにある「認知症とともにある」社会を解体する劇薬なのか、それとも、この少子超高齢社会をケアする治療薬になりうるのか、社会と協働する新たな開発プロセスがあってもいい。

私は今回の認知症治療薬の相次ぐ開発中止の報に接して、つい、こんな想像もしてしまった。
世界各国で長年、認知症薬の開発が続いているのだから、多くの研究者、スタッフが、世界の認知症の人と緊密に触れ合っているはずである。そうした認知症をよく知る研究者たちが、認知症の人の思いや暮らしに接する過程で、新たな認知症観が、実は製薬業界に据え付けられることになりはしないか。

創薬の研究の傍ら、ひょっとして、研究者が「認知症とともにある」社会のあり方にも目を向けたとしても不思議ではない。
治療薬開発とともに、次の社会の創生につながるような提言もする、そうした製薬研究者が世界の何処かで生まれてはいないだろうか。(いないか)

|第114回 2019.9.6|