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仙台で認知症当事者たちとリカバリーカレッジを開く

コラム町永 俊雄

▲ リカバリーカレッジを知っているだろうか。当事者との協働のカレッジ。でも誰かが誰かを教えるだけの一方通行ではない。学び合いと気づきの場としての双方向のカレッジである。あなたは認知症当事者に何を伝えたいのか。認知症当事者はあなたから何を学ぶだろうか。「認知症」はこの社会をリカバリー(回復)する。(写真・リカバリーカレッジの参加者とその様子。右下・太平洋の白鳥と称された帆船日本丸)

小さな集まりだった。小さいけれど、凝縮された想いに満ちた集まりだった。
仙台のほっぷの森という就労支援などの草の根の福祉拠点が会場だった。その会場に三々五々、人が集まってくる。人々は誰に言われるのでもなく、室内の長机を動かしては、どう並べるのがいいか、その配置を巡って言葉を交わす。
離れすぎず近すぎず、人と人が互いの視線や表情を交わす最適の距離の感覚を、並べては修正し、実際に座ってつい微笑みを交わしたりしながら、居心地のいい地域社会のひな型を創るようにして会場の設営を終える。そのようにしてここに「リカバリーカレッジ」が開校した。

仙台での当事者活動はよく知られているように、地域に本人の視点を据えることから展開した。それはまず、丹野智文さんが代表となってのオレンジドアだった。
これは、認知症の当事者がまず当事者と出会う場が必要であるという丹野さんの実際の思いから生まれた。しかしこれはあくまでも「入り口」であり居場所ではない。この入り口をくぐり抜けて地域社会へ、という方向性を探りつつ、そこにさらにピアサポート、本人ミーティングとつなげ、そして満を持するようにして、このリカバリーカレッジなのである。
いきなり、リカバリーカレッジとなったのではないことは留意すべきだろう。

では、「リカバリーカレッジ」とは何か。
もともとイギリスで始まったとされる精神疾患支援の多様な概念だが、ここでは、認知症の当事者と私たちが主体的に学び合う場と考えていい。カレッジだからね。学びの場。
ただし、誰かが誰かを教えるという一方向の場ではない。
丹野智文氏とともに主宰した山崎英樹医師は、リカバリーカレッジを、「リカバリーに向けた当事者と関係者の“水平な”対話と学び合いの場」とした。言ってみれば「当事者の活動や思いを社会が実質的な力としなければもったいない」、そんな思いがあったと山崎医師は語る。

では、「リカバリー」とは何か。
リカバリーとは「回復」ということである。しかしこの場合、認知症からの回復ということではない。「回復」ということを診断以前の自分に戻るのではなく、診断後の自分を主体的に引き受け、そこから新たな自分の人生に挑戦していくプロセスを、リカバリーとする。
丹野智文さんがよく言う「認知症になっても終わりではない。人生は新たに作ることができる」と言う言葉が、リカバリーなのである。

そのリカバリーのプロセスは一人では困難だ。そのプロセスはともに歩む旅路である。答えがすぐそこにあるわけではない。リカバリーという旅路なのだ。
そこにどう関わるのか。認知症の当事者発信が、いわゆる「壇上で語られる認知症」でとどまっているなら、私たちは単なる「聴衆」である。関わろうとすると、そこには「支援」の枠組みしか発想できない。認知症でない私たちは「受動」としての聴衆か、「介入者」としての支援しか選択肢はないのだろうか。
リカバリーカレッジはまさに、「当事者と関係者の“水平な”対話と学び合い」を創るためにある。
丹野智文さんは、「私たちはあなたがたに聞きたいことがある。質問責めにしますよ」と語り、私たちも、今の社会の仕組みや認知症大綱の意味合いや背景など、あなたがた当事者に伝えなければならないことがある。

リカバリーカレッジが始まった。
丹野智文さんをはじめとして、9人の認知症当事者の人たちが参加。それに、私とNHKディレクターの川村雄次氏が加わり、周囲を聴講生のように関係する人々が囲む。
「何を話しましょうか」、ゆるやかにカレッジが始まる。まずは当事者から、最近思っていることを話し始める。一人の当事者が立ち上がって発言した。
「教えて欲しい。「認知症」と誰が決めたのか。なぜ「認知症」なのか。ボケでいいじゃないか」 
その人は以前も繰り返して問いかけたことがある。
「診断されて、なぜ自分は「認知症の人」となってしまったのか。別の人間とされたみたいだ。それはイヤだ。以前だったら、近所のお年寄りが、ボケちゃったねと言われても、その人はその人に変わりはなかった」そのように、その人は問いかけた。

私が答えた。痴呆から認知症への呼称変更の時期、経緯を述べ、侮蔑的な意味合いの痴呆からの変更は、その後の認知症環境を前に進めた意味合いを語り、その一方で「医学モデル」としてのイメージの定着は、その後の生活モデル、コミュニティモデルとしての認知症当事者の呼称として実態にそぐわないと私見も述べた。もちろん、言葉や表現を選び、しかし、伝えるべきレベルは、一切落とさずに話したつもりだった。

その人は「わかった」と言って着席した。多分、その人が「わかった」と言ったのは、私の語ったことは自分には「わからない」ということがわかったのだろう。あなたならどう伝えただろう。
ここから始まるカレッジの可能性は広い。次の機会には、その人は、きっと「あなたの話はわからない」と言ってくれるだろう。互いの間合いを詰めるようにして学び合いと気づき合いの場にも育っていく。そしてやがて、それは社会全体のどこかの「回復」になる。

私たちは共生と多様性の社会を目指している。だが、本当に目指しているのだろうか。
SNSのネットワークは世界中にめまぐるしくパルスのように行き交っている。何千何百もの人との交流は豊かな共生と多様性を生み出しているのだろうか。それは単に自分と同質の人の心地よい集まりの中を漂流しているだけの、賑やかだが脆弱なコミュニケーションの一面にも気づいていなければならない。

「認知症とともに生きる」、誰もがそう言うが、ではそれはどういうことか、認知症の当事者から問われたら、果たしてどう答えるのか。
「あなたは認知症の人のことをわかっていない」と問われたら、どう反論するのだろうか。それともうなだれるだけで、反論してはいけないのだろうか。

「認知症の人の声を聞く」「認知症の人から学ぶ」「認知症でも生き生きと」どれも当事者のつらさや困難の中から私たちが獲得した大切な言葉だ。
しかし理念の社会実装のためには、当事者との対話が必要だ。対話は、必ずしもなめらかに和やかな言葉だけの交換というわけにはいかない。このリカバリーカレッジの可能性は、実は、どこかざらついたり、きしみのある対話も当たり前にできるようになることだ。
彼らの主体を、私たちの客体にするのではなく、私たちの主体につなげていく。それが、リカバリーカレッジだ。

仙台でのリカバリーカレッジは、「帆船ミーティング in みやぎ」と副題がつく。
一隻の巨大帆船に私たち関係する者と認知症の当事者、家族が乗り込む。それぞれ役割や立場は違っても、目指す先は同じ。力を合わせ帆を張り、舵をとる。嵐に見舞われ、あわや遭難かと大きく船体が傾く。が、帆船の自身のリカバリーとレジリエンス(回復・復元の力)は、やがてゆっくりとその帆柱を立て直し乗組員の歓声の中、嵐すぎて、陽光に照らされた紺碧の大海原に航海を続けていく。「認知症とともに生きる」という共生の社会に向けて。

「そんなイメージで、帆船ミーティングと名づけました」と山崎英樹医師は語る。緻密な考察と論考の人としては、想いとロマンあふれる言葉ではないか。

リカバリーカレッジは、この社会を「回復」させる。

|第117回 2019.10.9|