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「認知症」を語らない

コラム町永 俊雄

▲ 「地域」で語るときは少なからず緊張する。地域の抱えるずっしりとした現実。そこを踏まえながら、その重量にただ立ち向かうのではなく、地域の力のありかを聴衆と共に探すような時間になる。「気づき」と「学び合い」は共生への大切なツールだろう。

あえて、「認知症」を語らない。
過剰に「認知症」を語ることは、「認知症」を問題化するだけだ。
当たり前の認知症だから、語らない。認知症ではなく、切実な現実の「地域」を語り合おう。

「地域」を語ることで、どこかに「認知症」の存在を感じ取ってもらうのがいいのではないか。そう思った。与える「認知症」ではなく、あなたが見出す「認知症」へ。
それが「地域福祉」の力だ。

この講演には、たった一ヶ所しか「認知症」の単語が出てこない。
聴く側に、「地域」の中の「認知症」を見出してもらえたら、感じ取ってもらえたら、そのように思って語ってきた。その講演抄録です。

「自分らしく」を創るための地域力 〜私たちの共生社会〜  
この講演のタイトルには、三つのキーワードが含まれています。

自分らしく
地域力
共生社会

この三つの言葉はどれも平易で、また最近よく使われています。それだけについあたりまえに聞き流してしまいがちですが、この三つの言葉の意味を今一度考えてみます。
まず、「自分らしく」。誰もが「自分らしく生きたい」と思っているはずです。しかし、現代はどこか自分で「自分らしく」生きている実感が持てません。なぜでしょうか。
それは、誰かの価値観の「自分らしく」に依拠しているからです。「自分らしく」とは、その人の「自立と自己決定」によって成り立ちます。

SNSは確かに私たちの日常に大きな可能性と変化をもたらしました。
しかし、その一方で、そこでの交流は、極めて同質の人々、仲間内だけの痩せたコミュニケーションです。自分で決めたつもりでも、それは結局誰かの価値観なのです。みんなと同じであればいいとか、嫌われたくないとかが、自己決定の要件になっていませんか。
誰かの考える「自分らしく」は、誰かの価値観の押し付けです。誰かの価値観の「自分らしく」に、自分を合わせてはいないでしょうか。

地域医療や終末期医療が語られるフォーラムで、そうした医療の実践者が、会場の聴衆に問いかけたことがありました。
「あなたは、どのように暮らしたいのか。そしてどのように死にたいのか」
これは本質的な問いかけです。地域医療も終末期医療も、それぞれの人生の「自分らしく」に寄り添う以上、決めるのはあなたである、そう釘を刺したのです。
私たちは、まず、どのように暮らしたいのか、そしてどのように死にたいのか、一番大事な「自分らしく」を自分で決めているのでしょうか。誰かが決める人生ではなく、自分で決める人生。そんな「自分らしく」のそれぞれが、共生社会へのスタートです。

地域力を考えてみましょう。
そもそも地域とはなんでしょう。地域包括ケア、など様々に行政の用語として使われることが多いのですが、ここでは、「地域」をふるさと、と言うと分かりやすいかもしれません。あの東日本大震災の時、東北は大きな被害を負いました。
巨大津波は多くの人命を奪いました。しかし、さらに被害を大きくしたのは何か。巨大津波は人命を奪っただけではありませんでした。東北の地の、顔なじみの豊かな人間関係とふるさとの美しい光景をも根こそぎにしたのです。それがどれほどの喪失だったのか。どれほどの大きな哀しみだったのか。

東北の地は、必ずしも経済や福祉資源の潤沢な土地柄ではありません。しかし、その東北が、なぜあれほど豊かな暮らしと文化を持ち得たのか、そこには顔なじみの人々と朝な夕なに深々と人々を包み込むふるさとという「地域力」があったからです。それは計測不能な、私たちの大きな福祉の力です。

この国の未来はいつもデータで語られます。高齢化率は世界最高レベルの28%を超え、対して子供人口は限りなく縮みこみ出生率は1.42の少子超高齢社会と、お先真っ暗の壊滅的事態を示すことで誰もを震え上がらせます。しかし、そうしたデータで不安を掻き立て恫喝することで、果たして生き生きとした未来は拓けるのでしょうか。持続可能な社会のためにと語られるサービスの縮小と負担増だけが、私たちの未来なのでしょうか。

官僚でも評論家でもなく、かけがえのない暮らしの主人公である私たちは、別の語り口を持つべきです。実は、数字のデータには算入されない社会のストックというものを、私たちは持っています。それが「地域力」です。
道で出会えば「お変わりなく」「おかげさまで」と、さりげない安否確認の挨拶をし、誰か困っている人があればおもわず手を差し伸べる。そのような美質が行き交うのが、私たちのふるさと、「地域」でした。

しかし、そのかけがえのない「地域」を私たちは打ち捨ててきたのです。地方から中央へ、それは経済成長の波に押し流され、「しあわせ」を「モノの豊かさ」という金銭の尺度に置き換えることで、地方から中央へと人と物と意識が集中しました。今や、地方は、波打ち際の砂山のように、「消滅可能地域」の現実に洗われています。「地域」は、経済成長という大津波に襲われて、私たちのふるさとのかけがえのない豊かさが失われたとも言えるのです。

その「地域」を取り戻すことができるでしょうか。そこで打ち出されたのが共生社会です。
しかし、「地域包括ケアシステム」「地域共生社会」といった施策が打ち出された時、こうした受け止めがありました。
「これは公的責任の放棄であり、生活者への押し付けである」という声です。
実は、ここには根深い福祉観が投影されています。それは、福祉は誰かのやってくれることで自分は関係ない、という捉え方です。今や、やってくれる「誰か」はいないことに気づくべきなのです。少子超高齢社会というのはそういう社会です。

そもそも、地域社会というのは原初、共生の社会として誕生したはずです。
私たちの遠い祖先は、厳しい寒さと飢えのおびえに耐えるためには、互いの命を寄り添わせ、ぬくもりを確認するしかなく、そこから私たちの社会は形づくられてきたのです。

かつて、家族はその内に赤子や高齢者という社会的弱者を包摂する最小単位の共生の場でした。そうした家族が連なって、「とも生き」の地域が成立したのです。だが、まことに胸痛む現実ながら、それはすでに幻想です。そのような家族は消滅しました。私たちが消滅させたのです。経済社会適合モデルとしての核家族の選択をしたのは、私たちです。

マンモスを追って、氷雪の原野をさまよう太古の人類にとって「共生」は生き抜く武器でした。しかし、近代の人々にとっては、「共生」は複雑に絡み合う利害の中での厳しい試練でもあったに違いありません。
それは時として、地域のつながりが断絶し、自分と他者との冷ややかな関係性の中、個人の孤独であるとか、社会に満ちている苦痛や憎しみ、怒りとも向き合い、付き合わざるを得なかったからです。

孤立する子供、引きこもりの人、認知症の人、うつ、子育てや病に悩む人々、そうした人々とともに生きる地域社会、そこから立ち上げる「共生」でなければ、未来は拓けるはずはない、私はそう思っています。
「共生社会」には、なにか牧歌的な響きが付きまといます。つながり、支え合い、助け合うという仲良しイメージだけの社会は、虚像です。共生社会はどこかからやってくるはずはない。私たちが、創り上げるしかありません。イバラの道かもしれません。決意と覚悟も求められます。

しかし私たちにはできるはずです。私たちは非力ではあるが、無力ではない。ここまでそれぞれが、地域で懸命に暮らしを作り上げてきたではありませんか。私たちの地域は、そのような営為の果てに現在の姿になったはずです。
私たちには、先人から受け継いだ勤勉と、細やかな思いやりと、ふるさとへの限りない愛着があります。

それぞれの立場の人ができることを持ち寄り、一歩一歩を踏みしめるように私たちの「地域」を今一度創ることができるはずです。
それは、今の自分たちのためだけではありません。次の世代の子供達、孫たち、まだ見ぬ生命のために、私たちは汗と涙を振り払って「地域」を創るのです。
未来の何処かで、はるかな子供達の笑顔が、このふるさとの地に満ちるためなら、私たちはきっと出来るはずです。

今、こんなふうに語られています。
「ひとりの百歩より、百人の一歩」

ご清聴、ありがとうございました。


|第122回 2019.11.28|