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認知症と地域・なつかしい未来を拓く「パートナーセンター・水平に支え合うしくみ」

コラム町永 俊雄

▲ 「認知症」からその人を語るのではなく、「その人」から認知症を語る。言い換えれば暮らしの中のあたりまえの感覚だ。そんな「暮らしの感覚」を地域にハメ込むようにして和田敏子さん(写真右)は活動してきた。その一つが「パートナーセンター」

東京世田谷の三軒茶屋で「パートナーセンター」の発足式があった。
三軒茶屋というのは、渋谷のお隣なのだが、ガラリと雰囲気が変わる。どこかごちゃごちゃとしている分、親密度に満ちていて、しゃれた料理を出すレストランが街角に隠れていたり、ケーキ屋さんだって閉店間際には値下げしてくれる(デパ地下のパティスリーは意地でも値下げしないからね)。

その三軒茶屋キャロットタワー26階からの夜景には輝く東京タワーが望める。
会場のフロアには美味しい料理にお酒もあって、DJのミュージックに合わせて、「イエィ」、ディスコが始まる。車イスの男性が軽快に回転し、それにあわせ、周りで若者が身体を弾ませる。

で、「パートナーセンター」とは何か。
「結婚紹介所ですか?って言われたこともあるのよ」
主宰する世田谷ボランティア協会理事の和田敏子さんは、そんな風に言われたことが嬉しくてたまらない。
「これなあに?というところから作り上げていくの。それが楽しいでしょ」

今地域での市民活動が生き生きと軽やかに、そして確かな変化を見せはじめている。これをどう言えばいいのだろう。多分、これまでの文脈で捉えることは難しい。自由で捉えどころがないだけに、この社会とその意識の何か深いところでの地殻変動の予感もある。

認知症をはじめとして、当事者の声を聴くことが地域停滞のブレークスルーとはよく言われる。しかしそのことを現実にどう転化するかは言うほど易くはない。そこには緻密な観察と分析が必要なのだが、実際に触媒機能を果たすのは「生活感覚」だ。
暮らしの中の細やかな人との交わりや声かけなどの感覚を大切にし、人が人とつながっていく時、大きな変化が生まれる。

実は世田谷という地域はそこに暮らす人々の市民活動が活発な土地柄である。その歴史も長く、活動団体の数も多い。人々の「くらし」の発想が、いわば「赤ちゃんから高齢者まで」をカバーするボランティア活動となっている。
そこに、和田敏子さんが関わる「世田谷ボランティア協会」という社会福祉法人がある。40年続く活動で(吉川英治文化賞も受けている)、地域全体に網の目のようにボランティア活動を拡大した。その複雑多様な詳細は、どこがどうなっているのかよくわからない。

和田敏子さんは様々な世田谷の活動に関わる。地域包括支援センター、これは世田谷では「あんしんすこやかセンター」と呼ぶ。略称「あんすこ」。脱力感ある絶妙なネーミング。アクセスのバリアがすっと消えるニックネームである。
ここでの取り組みはすべて、官制のいかめしさはなく、暮らしの感覚をくぐり抜けたやわらかな言葉で語られている。
「あんすこ」、これは高齢者だけではなく、障害者、子育て、ともかく身近な相談はなんでも受けるセンターである。そこに自立支援協議会が重なり、そこで和田さんは、早い段階から高次脳機能障害の人々の専門相談員として取り組む。そんな活動を続けながら、それに加えて今度は若年認知症当事者の社会参加の取り組みを始めることになった。

言ってみれば、あっちもこっちも手を出し、若いスタッフとともに奮戦の毎日が続いていた。
こんなに抱え込んでしまっていいのだろうか。ちょっと疲れたな、と感じ始めたそんな時、「子供たちにヒザを貸してほしい」というボランティアの要請があった。え? なに?と思いつつ、施設の高齢者がボランティアに保育園に行った。実はそれは保育園の子どもたちのお昼寝タイムに、おばあさんのヒザを貸してあげるというものだった。おばあさんの膝枕で寝る子供達。それは、春の陽射しのような和やかさ溢れる光景だったという。
ボランティアの高齢者は、保育園の給食にもお呼ばれした。和田さんが、その高齢者に「どうだった?」と聞いたら、「リフレッシュした!」と、とても晴れやかに答えた。

「これだ!」とその時、和田さんは思ったと言う。高齢者自身が「リフレッシュ!」という思いもかけない言葉で、はずむような喜びを表現した。自分の力を湧き出させた。
こちらが与えるのではなく、あっちとこっちの境界を外してみんな一緒になれば、当事者自身がどんどんと勝手につながって、自分を更新していくのだ。
この体験と記憶が、「パートナーセンター」につながったと和田敏子さんは発足式で報告した。
高次脳機能障害の人も若年認知症の人も、外見からではそのつらさや困難はわからない。そこを相談支援を通じて、彼らの声を聴いていく中で、こっちがあれもこれもとがんばるのではなく、そうだ、彼らの力を借りようと気づいたのである。
それが「パートナーセンター」となった。

「パートナーセンター」には、サブタイトルがつく。「水平に支え合うしくみ」。それだけだ。これだけでわかりますかね、と聞くと、さあ、どうなんでしょう、とまた和田さんはほほえむのである。最初から決めた形でなく誰もが参加して育てていく「しくみ」、というわけだ。

パートナーセンターのチラシにはこう書かれている。

「人は認知症があってもなくても、障害があってもなくても、一人では暮らすことも笑うこともできません。ここに集まる私たちは、ひとりひとり違うことを認め合いながら、パートナーという輪を握って漕ぎ出します。
「語り」「学び」「創り」、そして誰もが平らな時間と場所を紡いでいきたい」


これは紛れもなく、自分たちの地域と言葉による「人間宣言」だろう。

フロアでの、ベテランDJの担当も障害のある人だし、見事な演奏を聴かせたバンドメンバーもプロで活躍してきた障害のある人々だ。ディスコに興じる若い世代が多いのも心強いな。車椅子のカメラマンに、司会進行も若年認知症や高次脳機能障害の人なのだが、あえてそんなことを言う必要もなく、ここは誰もが水平につながる「パートナー」である。

楽しかった。何が楽しかったって、この社会の何かを変えよう動かそう、より良くしよう、というそんな気持ちが集まった感じ。そのワクワクするような楽しさ、と言ったらわかってもらえるだろうか。

かつて、地域社会が暮らしの基盤として揺るぎなかった時代の「祭り」。
あのワクワク感だ。集う人々がみんな仲間だと誰も口に出しては言わないが、染み込むように感じ取れ、子供が笑い、泣き、男も女も、語り合い酌み交わした「平らな時間と場所」の、共同体の光景が、間違いなくそこにはあった。
キャロットタワーの26階のあの光景は、ついで、今度は日常の様々な現場に流れ出していくに違いない。

これは私たちの「なつかしい未来」だ。
未来はいつも、これまで見たこともないSFの光景で語られてきた。AIとロボットで描かれる未来。それもいい。でもね、「人間」の未来は、あの「祭り」の日のような浮き立つ気持ちの、なつかしい私たちの暮らしの原風景から生まれてくる。
世代や性別、障害あるなしに関わらず、地域をみんなでちょっと動かして平らな場所と時間にすればいい。
私たちが創り育てる「なつかしい未来」が、この「パートナーセンター」だ。

そう言えば、この世田谷ボランティア協会の標語にはこう掲げられている。

Let’s Create “OTAGAISAMA” Spirits
おたがいさまを、そだてよう

▲ 「パートナーセンター」発足式でのトークイベント。NHKディレクターの川村雄次氏と町永俊雄氏、和田敏子氏。でも、参加者のお目当ては、バンド演奏とディスコ。

|第123回 2019.12.6|