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一挙掲載!認知症とともに生きるまち大賞

コラム町永 俊雄

▲ 東京国際フォーラムにて。まちづくりの全国の表彰団体が一堂に会する。それだけで嬉しい。かつて、一人の認知症の人が、他の認知症の人との出会いで「自分だけじゃないんだ」と大きな力と喜びをもらったように、各地の取り組みが、点から線、そして面となって、うねりとなろうとしている今年のまちづくり大賞。

今年もまた東京国際フォーラムで「認知症とともに生きるまち大賞」の表彰式が開かれた。
これまで、「認知症にやさしいまち」や「認知症とともに生きる社会」というのはいつもどこか、この社会の目指す姿として捉えられてきた。
だが、今年の表彰式で見えたのは、今すでにここにある認知症と共に生きる町、地域の姿なのである。

表彰団体の取り組みは多彩だ。
北海道北見市の地域食堂「きたほっと」は、単に高齢者の居場所だけではない大きなイノベーションをとげた。北海道には台風は来ないと思われがちだ。しかしかつて、この地域は河川の氾濫で浸水、大きな被害を出した。その記憶を持つ一人の認知症高齢者の言葉が「きたほっと」を地域の防災拠点とした。
改めて避難経路と避難場所を行政の防災担当者と策定。「認知症の人の言葉を大切にしたおかげだ」しみじみと地域住民は語る。

新潟市西蒲区の「marugo-to・マルゴート」は地域のビニールハウスで、認知症の人だけではなく、ひきこもりの人、障がいのある人誰もが自分のやりたいことができる、まさに丸ごとの「小さな共生社会」だ。
ビニールハウスという馴染みの場所だけに、誰もがやってくる。若者が窯でピザを焼き燻製を作り、自転車で一時間以上かけて通う認知症の人は、ここが嬉しくてマルゴートの歌を作詞作曲、表彰式では二番まで歌いきって拍手喝采だった。

神奈川県相模原市のさがみはら認知症サポーターネットワークの「ウィッシュカード」は、「ウィッシュ・願い」を本人、家族、そしてサポーターそれぞれが「カード」にしてネットに出す。
かつて国体にも出た認知症の人が、「スキーに行きたい」とカードにすれば、ネットワークの担当者がマッチングし、ある家族と一緒にスキーに行くことができた。本人がスキーを楽しんだだけではない。一緒に行った家族の小さな子供達は、スキーを教えてもらった。「あんなに丁寧に、しかも無料で(笑)教えてもらってみんな大喜びです」、家族の父親の言葉だ。

京都市右京区のsitteプロジェクト。まさに「知って欲しい」というところから始まって様々なプロジェクトを展開。その一つがブランド品の創出である。企業ともコラボして、その品質、デザインにこだわりがある。まな板、カッティング・ボードを製作するのは認知症の人や障がいのある人の手作業だ。
ブランドだけに、担当者からはダメ出しも連発され、みんな懸命に磨き直しをしたりするうちにモティベーションが高まり、自信を持つようになった。施設で作るからという妥協は一切ないと、誰もが胸を張るブランド工房に育っている。

大阪門真市のゆめ伴プロジェクトは、ふるさと再発見だ。
かつて門真で盛んだった綿花栽培。綿産業で働いたことのある認知症の人の記憶が、地域を動かした。もう一度地域の名産の門真糸の綿製品を作り出そう。
「綿を育て、糸を紡ぎ、一本の強くて美しい門真糸をつなごう」それが合言葉になった。
地元の小学生と綿花を摘み取り、糸を紡ぎ、タペストリーやコースターにした。
いずれはふるさと納税の返礼品に、そんな思いも生まれている。

そしてニューウエーブ賞は2団体。
岩手県滝沢市では、スーパーのスローショッピングの取り組み。
認知症の人が「欲しいものは自分で選んで確かめて、自分でお金を払って買い物をする」ことがどれほどの自分らしい暮らしにつながるか、地域実感ある「認知症バリアフリー社会」の取り組みだ。
医師会や地域包括支援センター、社会福祉協議会にスーパーという企業や家族の会などが結集した企画。「認知症とともに生きる」その一歩を地域社会に刻んだ。

日本工業大学生活環境デザインコースでは、公共トイレハンドブックを作成。
認知症の人と家族などが外出したときの大きなバリアがトイレである。メーカーごとに仕様が違い、どのボタンがどの機能なのか、私たちでも迷うことがある。認知症の人が間違いやすいのは、流すボタンと緊急呼び出しのボタン。緊急ボタンを間違って押して警備員が駆けつけて「怖い思い」をし、そのことが外出の拒否につながりかねない。
認知症の人へのもう一つの外出支援の提案でもある。

そして、今年の表彰式の特色にも触れておこう。
とにかく認知症の人の参加が多かった。全国から仲間と一緒に認知症の人がやってきた。誰もが、実にいい笑顔を運んできた。
普段着で、と担当者はお願いしたが、そんなわけにはいかない。ある当事者は、いっちょうらの(たぶんね)礼服を着用してきた。礼装のシルバータイが映える。自分に嬉しい晴れ姿は、まわりの誰をも嬉しくした。
各地のグループはそれぞれが工夫してきた。お揃いのオレンジの(ディメンシア・シンボルカラーだ)バンダナを首に飾って、誰もがちょっと照れくさそうで、そして晴れがましい表情に満ちている。

こんな光景が思い浮かんだ。かつての祭礼の日、地域にみんな集まって、晴れ着の若い娘や子供たちがさざめき、駆け回り、老いも若きもあちこちで語り合い笑いあい、陽が傾いて夕日にあかあかと照らされた誰もの顔が、祭りの宵の幸せなひとときへの期待に浮き立つ。

そうだ。ここにあるのはあのなつかしい私たちの共同体の姿だ。そしてこれこそが、今ここにある、わたしたちの「認知症とともに生きるまち」の姿なのだ。認知症の人の家族だろうか、なぜか涙ぐんでいる人もいた。見ているこちらも胸がいっぱいになる。

「認知症とともに生きるまち」を夢見る時は過ぎて、今、私たちは私たちの手で、認知症の人と共にそんな地域社会を創ったのだ。
私たちは私たちの地域を創ることができる。令和元年の「まちづくり大賞」、この年はそんな年になった。

表彰式で、次々と認知症の当事者たちが表彰状を受け取った。これまではグループの代表や肩書ある人が、表彰状を受けることが多かったが、私と一緒に司会をお願いした仙台のオレンジドア代表の丹野智文氏は、「なるべくなら当事者に受け取ってほしい」と注文した。なるほど、気がつかなかった。丹野氏の指摘がいかに素晴らしかったかは、壇上の光景に現れた。

表彰状を頭上にかざして会場の仲間に見せ、拝むように手を合わせ、何度もなんども頭を下げ、誰もに広がっていくこの嬉しさをなんといったらいいのだろう。
受賞した嬉しさだけに止まるわけはない。ここに生きる嬉しさ。仲間と一緒の嬉しさ。自分が自分であることの嬉しさ。

もちろん、この国の少子超高齢社会の厳しい現実が、このまちづくり大賞で解決するわけではあるまい、と言うシニカルな声もあるだろう。
でも、「解決」とは何を意味するのだろう。誰が誰のために何を「解決」すると言うのか。
まちづくりとは「解決策」であるはずがない。
まちづくり、それは「ともに生きる」ことの私たちの継続する決意と覚悟だ。そしてそれは、眉間にしわ寄せ、肩怒らせてすることではなく、和やかにつながり、語り合い、微笑みながら創り上げることができると、知ることではないか。
あの東京国際フォーラムの壇上の人々の表情とそこに集う人々との雰囲気に是非一度接してみて欲しい。自分がいかにシニシズム(冷笑主義)にとらわれ、それを何もしないことの口実にしていたことを恥じるはずだ。

あとは、この全国各地の動きと想いをこの国がどう汲み上げるかである。
認知症の新オレンジプラン、大綱、そして年を越えてしまった認知症の基本法、いずれも「ともに生きる」共生モデルを謳い、協働を呼びかけてきた。

「認知症の人とともにいきるまち大賞」は、地域の人々のひとつの答えだ。あとは施策はどう応えるのか。私たちの笑顔と善意と汗に甘えるばかりは、許さない。
「私たち抜きに私たちのことを決めないで」

NHK厚生文化事業団 第3回認知症とともに生きるまち大賞

|第124回 2019.12.13|