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2020「認知症」が、社会をケアする

コラム町永 俊雄

▲ あけましておめでとうございます。今年もこの「認知症EYES」をよろしく。「認知症」は今や、認知症を超えて、この社会と私たちの暮らしの再定義の言葉であり、力です。このコラムでは、最前線で何が起きているのか、どこを見るべきか。そんなことどもの小さい言葉に大きな想いを載せて、今年も発信していきます。(富士上空にて 撮影・町永俊雄)

今年の聖火ランナーに、認知症の人が町を走る。
鳥取の藤田和子さん、仙台の丹野智文さん、そして東京品川区の柿下秋男さんたちだ。柿下さんは1976年のモントリオール・オリンピックにボート競技で出場したトップアスリートだ。
高くトーチを掲げ、見守る群衆の中、聖火をリレーする。認知症の人たちそれぞれが聖火に託して何をリレーするのだろう。
丹野智文さんは、2017年の京都ADI(国際アルツハイマー病協会国際会議)で、クリスティーン・ブライデンから「バトンを渡します」と言われたことを強く思い出したと言う。
認知症の人が聖火ランナーになってこの国を走る。このことは単にトピックスとして報じられるが、実はこの社会の大きな変化のひとつの象徴だ。彼ら彼女は何を私たちに手渡すのか。

新しい年はどんな年になるだろうか。
今年はどんな年になるのだろう、と言うこと自体にどこか他人事のかけらが潜むが、今年は誰もが、今年何ができるか、何をしたいか、あるいはどんな年にしたいか、という風にどこかに「自分」を滑り込ませて考える。

いつも誰かが語る言説によるのではなく、実は自分自身のオリジナルな言葉があるはずだ。そんな風に思う人が増えている。
かつて、詰めかけた聴衆の中、認知症の人が静かに舞台袖にたたずみ、そして光の中に踏み出した時、照明の逆光に壇上のその人には聴衆の姿は見えなかったに違いない。
今、認知症の人は、あなたとその仲間の輪の中に入って語り合い、飲み交わし、笑いあう。それが当たり前の光景にもなっている。壇上で語る人ではなく、あなたの地域のあなたの隣人だ。

語り合うこと、対話することへとあなたもまた、何かに背中を押されるようにしてその輪に歩み出している。いくつもの変化が気づかないうちに重なっている。
ワークショップが盛んだ。ワークショップといっても別に技法やマニュアルに沿ったものでなくてもいい。講演や報告の後、あなたは聴く人から、語る人と変貌する。いや、語りたいことがある人になる。それがワークショップだ。語りたいことがある人の集合は地域の活力だ。それは、その地域、あるいは社会がゆっくりと確かな変化を見せている証しだ。

参加型ワークショップの祖とされるロバート・チェンバーズという人はこんな風に言っている。
読んだことの10%は覚えている。
聞いたことの20%は覚えている。
見たことの30%は覚えている。
自分で言ったことの80%は覚えている。
そして、
自分で言って、したことの90%は覚えている。

この社会を変えていくには、あなたの力が必要だ。あなたの参加が必要だ。

そうしたワークショップに参加したことがおありだろうか。できれば、同質の人々の集まりではなく、開かれて雑多で、少しカジュアルなワークショップがよろしい。居酒屋の雰囲気を持ち込んでもいいが崩さず、勉強会であってもいいが居心地よく、議論ではなくどんな発言も認め合う「対話」の場であることが大切だ。

何か特別の場のように思うかもしれないのだが、実は今こうした集いがあちこちで持たれている。そこに当然、認知症の人が参加している。
そんなワークショップに参加すると、何が起こるか。単なる知識の相互交換に止まらずに、新たな自分の発見にきっとなる。それまでの自分が、バージョンアップの変化をする。そういう場である。
そうした人々によって、今地域がつくられている。これまでの一部のアクティビスト、熱心な活動家だけでなく、ごく一般の人々の社会参画が広範な拡大を見せ、この地域社会を動かそうとしている。

「新しい公共」ということが言われて久しい。
新しい公共というのが初出したのは、民主党政権下の2010年あたりで、その頃は成長戦略の文脈で語られている。当時の内閣府の「新しい公共・円卓会議」にはこう記されていた。

20世紀は、経済社会システムにおいて行政が大きな役割を担った時代でした。しかしながら、個人の価値観は多様化し、行政の一元的判断に基づく上からの公益の実施では社会のニーズが満たされなくなってきました。
これまでの行政により独占的に担われてきた「公共」を、これからは市民・事業者・行政の協働によって「公共」を実現しなければなりません。これが「新しい公共」の考え方です。

 

読みようによっては、行政は一生懸命にやってきたと自分で持ち上げ、でも、「個人の価値観」が多様化したからもうやっていけなくなった、と匙を投げているようにも聞こえなくもない(そうとしか聞こえないという人もいるだろう)。
ここにあるのは、行政のシステムクラッシュの怯えに、あえぐようにして市民の側の協力を求めているという図式である。

それから10年たって、「新しい公共」はあまり言われなくなった。それは実はこの社会の変化が投影されている。

社会保障などの福祉政策で充実を図ろうとすれば、「社会的弱者」を規定した上でそこに財政的にも資源の重点配分がされる。ところが今の社会状況は実は誰もが自分の暮らしに精一杯で、不安感の中、満たされない自分しかいない。
そうした人々にすれば、福祉とは、それは「弱者」による社会資源の占拠ではないか、本来は自分に来るべき社会資源の分配が「弱者」に収奪されているのではないか、といった弱者が弱者をバッシングするというモラルハザードが起こる。
以前、生活保護などをめぐって、この社会の底の薄さを私たちは目撃してしまった。人々の暮らしの不全感が募り、限界的な社会保障の中では、いつでも起こりうる状況である。

「認知症」は、この社会の人々の奥底に潜む歪みをブレークスルーする。
認知症は誰もがなり得るということは、否応なく「弱者」の制度的枠組みを解消し、社会的課題を「彼ら」から「我ら」のものとして引き受けることになる。誰もが「弱者」たりうるということは、この社会の「共生」というレジリエンスに向けて動き出すことになる。
「認知症」は、地域社会を回復し、成長させるのである。

「新しい公共」の限界は、行政の側のデッドロックを、市民の側との協働によって乗り切ろうとする苦肉の策である。それにはまず行政自体が変革しなければならないのだが、その姿勢が十分だとは思えないことだ。見方によれば行政の延命のための点滴に私たちの力をよこせと言っているようでもある。

市民の側は変革する。変革せざると得ない。
私たちは、「認知症と共に生きる」を心地よい言葉として、ノーテンキに言っているわけではない。それをしなければこの「どうしようもない社会」はどうにもならないところまで来ていると見切りをつけたのである。認知症の課題にしても、孤立する単独生活の認知症の人、貧困や命の危機の瀬戸際にある人の存在など、その全てを引き受けて、だからこその「共に生きる」なのである。
新年にあえて厳しく言えば、この「どうしようもない社会」では、つながっている方が生き延びる確率が高いというその一点で、私たちはつながらざるを得ないのである。

太古の時代にマンモスを追って氷雪の大地をさまよっていた先祖の、身を寄せ合って生き延びた記憶が蘇ったようである。飢餓と戦争の時代を生き延びた私たちは、現代になって、競争で他者を蹴落とすより、つながって共に生きる戦略を選んだ。それは国家が選んだのではなく、地域に暮らす認知症の人と私たちが選択したのである。命のリレーのバトンは、暮らしにかろうじてつながった。

今、「新しい公共」の言葉と入れ替わるようにして「ケアリング ・コミュニティ」ということが盛んに言われている。
地域福祉の基盤としての概念で、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことだ。そこにあるのは「共に生きる」「当事者性」「相互支援」などを必須の核とする。「新しい公共」に代わる私たちの側からの言葉だ。
ここにある既視感は、これはすべて「認知症」の取り組みでとっくに獲得したことにある。当事者性、相互の水平の関係性、そして共に生きる、その集合体としての「地域」や「まちづくり」なのである。
この社会全体での参加型ワークショップの幕があがる。

そして、「認知症」が地域をケアする時代の扉が開く。

|第126回 2020.1.3|

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