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「認知症バリアフリー社会」を創る視点

コラム町永 俊雄

▲ 2019年4月の認知症官民協議会の設立式。ここで「認知症バリアフリー社会」が呼びかけられた。オレンジTシャツの中央に根本厚労大臣、後ろに丹野智文氏、右のほうに藤田和子氏、家族の会の鈴木森夫氏も並ぶ。「認知症バリアフリー社会」での当事者性とはなんだろうか。

今年は「認知症バリアフリー社会」へとなるのだろうか。
去年4月に厚労省で、ご当地アイドルグループまで動員して、経済界、産業界あげて100近くの関係団体と共に賑やかに認知症官民協議会が設立された。
挨拶した根本厚労大臣が「令和の時代は官民あげて認知症バリアフリー社会を推進する」と呼びかけ、「認知症バリアフリー社会」が施策の目玉として押し出された。

認知症官民協議会は、その後の認知症施策推進大綱のお墨付きをもらった形で、厚労省では、各企業のトップを集めて懇談会を持ち、経済産業省では、認知症イノベーションアライアンス・ワーキンググループの会合を重ねている。

特に、認知症イノベーションアライアンス・ワーキンググループのコンセプトは斬新である。これまで認知症施策は、医療、介護中心だったが、これからはそれ以外の関係者の連携が必要だとし、企業の事業創出モデルや、そのための製品やサービスの評価指標にも取り組むとしている。
あえていえば、これまでの医療、福祉の発想を取り払い、具体的な社会実装に向けての議論を進めている。ここでの議論は今月にも認知症バリアフリー・ワーキンググループと合同の議論を経て、3月の認知症官民協議会総会で報告される予定である。

これは、この社会のシステム転換にもなりうるほどの取り組みだ。認知症の、医療福祉での縄張り争いをしている場合ではなく、官と民との社会総体の中心に「認知症」を置き、スピード感を持ってまさにイノベーションをしようというものである。

| 認知症バリアフリー社会をどう捉えるか

となれば、だからこそ私たちの側でも認知症のバリアフリー社会へのしっかりとした見解を醸成しておかなければならない。突然、誰かから「これが認知症バリアフリー社会だっ」と言われても、その社会の成員は私たちであり、その社会で認知症になるのは私たちなのである。

認知症バリアフリーということで思い浮かべることはなんだろうか。バリアフリーという言葉には馴染みがある。ほら、公共施設で段差をなくしてスロープにしたり、エレベーターの設置などがそうでしょ、と誰もが思いつく。
公共施設でのバリアフリー化は、1994年に施行されたハートビル法によるところが大きい。ハートビル法という名称も、ハートフルなビル、といった和製英語で、その時は国土交通省もなかなか洒落たことをすると思ったものだ。

ハートビル法は、2006年に交通バリアフリー法と統合されてバリアフリー新法になった。
バリアフリー新法の正式な法律名は、「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」である。
高齢者と障害者等の円滑な利用、とあるように「移動」での建物などのハードのバリアを想定している。
これまでのバリアフリーは、法律制度で先導されてきた。認知症バリアフリー社会は、そこが違う。まずは私たちの社会のあり方をそれぞれが出し合うことから始まる。

では、認知症の人にとってのバリアとは何か。
ここには二つの視点が必要だ。ひとつには、認知症にとってのバリアとは何か、ということだ。認知症の人のそれぞれの支障は個別である。それを「認知症の人」と一括した匿名の存在を対象としてバリア認定していいのだろうか。

一括りにした匿名の「認知症の人」から、それぞれの人生と暮らしと名前を持つ個としての「私」が見えているのか、「私」の声は届いているのか、そんな多様性を受容する地域であるか、施策であるか。
バリアフリーの各論の前に、このことをまず確認しておかなければならない。それが、認知症バリアフリー社会の入り口だ。

もうひとつの視点は、認知症の人にとってのバリアは誰が認定するのか。
これは認知症の人の支障になるからバリアフリーにしましょう、と誰かが決めていいのか。これでは、認知症の人は「できない人」だから「助けてあげる」という図式がそのまま投影されてしまうことになる。バリアフリーの設定に、認知症当事者の視点はどうしたら組み込まれるのか。

これは実は難しい点である。バリアフリーが認知症の人にとっての多義的な課題性を含むのは、それは「認知症バリアフリー社会」という環境が、ともすれば、あちこちに「認知症の人ができないこと」を刻印してしまいかねないことである。
認知症の人にとってのバリアとは何かという議論をするとなると、多くの人が認知症の人の不便なこと、支障のあること、つまり「できないこと」を考えるだろう。ということは、認知症バリアフリーを考えることは、皮肉にもそこに「認知症はできない人」の新たな偏見を生み出し、それぞれの心の中にバリアを築くことにもなりかねない。
認知症のバリアフリーとは、「できないことのバリアフリー」にするのではなく、「できることのためのバリアフリー」とは何かと発想することである。

認知症バリアフリーを考えるときに気をつけなければならないのは、既存の「バリアフリー」のイメージに引きずられないことだ。「段差」に象徴されるような個別のバリアというより、地域やそこに暮らす人々の側のバリアを見出していく作業が、「認知症バリアフリー」である。

| マジョリティとマイノリティの転換

それでは改めて論点を戻し、認知症バリアフリーは誰が創るのかを考察していこう。
実はここには、マジョリティ(多数派)とマイノリティ(少数派)の逆転があることを見なければならない。
これまで多くの福祉施策はマイノリティを想定していた。マイノリティとマジョリティとの数の圧倒的な格差が、社会にバリアを生んでいた。障害を社会モデルとするなら、マジョリティの側の責務として社会のバリアを取り除き公平とするために、バリアフリーを目指して来たのである。

しかし、今の社会状況は、マジョリティの側にむしろ多くのつらさや困難が生まれている。数の重量に押しつぶされるような逼塞感はマジョリティの側にあって、しかもそのソリューションは対象の数の多さに迷走するだけで見出せない。現代は、マジョリティの憂鬱が蔓延し、互いにバリアを堅固にして自分だけを抱え込んでいる。

一方で、うつ、引きこもり、認知症、精神疾患などのマイノリティである人々は、数が少ないことで結束した。せざるを得なかった。そこに生まれたのが、当事者活動である。
そうした人々は、ピア活動の中で自身のつらさや困難のありかを見出し、先行する形で世に可視化していった。多様性や共生の概念も、こうしたマイノリティによる当事者活動から必然を持って生まれたのである。
当事者活動は、それまで専門家、研究者、そしてマジョリティの側が気づかなかった視点を獲得することができた。それはこの社会の閉塞を打ち破る力を持っていたのである。

かつて、2003年以降、この国に認知症当事者が、ひとり、またひとりと社会に歩み出すことで、どれだけこの国の「認知症」が前進したのか。地域社会にどれだけの力を生み出させたのか。
この社会は、当事者性を基軸にして、マジョリティとマイノリティをグルリと反転させ、マイノリティの当事者性で時代を切り拓くしかない。認知症が時代をケアするのである。

「認知症バリアフリー社会」の本質は、当事者性を起点として、そこから社会と人々の意識の転換を促すことにある。

| 認知症バリアフリー社会を創る

「認知症バリアフリー社会」とは、誰かが誰かのために設定する社会ではない。それは相互の交流の中で生まれてくるものだ。バリアだけを見るのではなく、交流の中に互いのバリアを見出していくプロセスだ。

去年の暮れにNHK厚生文化事業団の「認知症とともに生きるまち大賞」で受賞した岩手県滝沢市の「認知症にやさしいスローショッピング」の取り組みを、「認知症バリアフリー」の視点から見てみよう。

滝沢市では、医師会、地域包括支援センター、社協、家族の会、地元スーパーなどが連携し、認知症の人の買い物支援のプロジェクトを発足させた。スーパーの店内に「くつろぎサロン」を設け、そこに常駐するボランティアの買い物パートナーと一緒にショッピングを楽しむ。お金を払うレジもスローレーンで急かされない。

この取り組みで見えてきたことがある。
取り組む前には、認知症の人は買い物でもきっと支障があるだろう、あるいはレジの計算に手間取るかもしれないなど、様々に想定して万全の対応を考えていた。
いわば認知症の人のできないところをサポートしようと多くの人々、ボランティアが意気込むようにして買い物パートナーとなったのである。

確かにまごついたり、迷ったりはあった。しかしそこには予測を上回って、認知症の本人と地域に大きな変化がもたらされた。
認知症の人が、自分であれこれと品を手にとって選び、自分の財布からお金を払って買い物をする、そのことがどれだけ多くの力になったことか。

認知症の人が生き生きと外出し、スーパーのあちこちを見て回り、今日の献立を考え、料理に想いを寄せ、とりわけ一緒に食べる人との会話を賑やかにした。今日はこんなことがあってね、買い物を一緒にした人とこんな話をした、といった具合に。
それは「買い物支援」をはるかに超えて、認知症の人の「できること」をいくつも生み出し、周りの人やスーパーの店員たちと共有することにつながったのである。
それまで他人に頼んでいた買い物を、自分自身でするだけで、これほどの変化が起こるものか、本人も周りも驚いた。

もちろん、そんなに一直線にうまくいったわけではない。
ボランティアの買い物パートナーの人々はなんとかお役に立ちたいと、ややもすれば張り切りすぎた。買い物終えた認知症の人から、「もう少し放っておいてほしかった」という声も寄せられた。

終わってのミーティングでは、そんなことも当然報告され話し合われた。
私はこうした小さなすれ違いや失敗が何より大切だと思う。初めから完成した形ではなく、認知症の人と共に創っていく実感を誰もが持ったろう。
ここにあるのは紛れもなく当事者の力なのである。一人の認知症当事者が地域にいることの意味合いがここにある。

認知症当事者というと、活発な活動をしている認知症の人というイメージを持つかもしれない。それは誤解だ。あなたの町の認知症の人の声と存在に、地域を変える当事者の力が備わっている。
あなたの町のスーパーに、いつも買い物をする認知症の人がいる。その当たり前の光景がどれほどの変革の連鎖になったことか。
実際、滝沢市では、スーパーの実施店舗が拡大し、地域の中に住民主体の市民活動として定着させようという機運が高まっているという。
ここは認知症バリアフリー社会が生まれつつある現場だ。

社会変革とは、ある一点を目指してあるべき姿を希求するのではなく、多角的な動態の中に揺り動かして生んでいくものである。
認知症バリアフリー社会とはそのようなプロセスだ。

▲ 岩手県滝沢市での「スローショッピング」の様子。「たくさん買ったわ」カートを持つ認知症の妻とその夫。オレンジのスカーフがボランティアだ。ボランティアの人と生き生きとあれこれと買い物をする妻を見て、その夫は「自分のケアや認知症の理解は間違っていた」とみんなの前で発言したという。誰もが自分のバリアを見出し、そこからバリアフリーが始まる。

|第127回 2020.1.14|