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「認知症と共に生きる」は、新型コロナウィルスに真価を発揮するか

コラム町永 俊雄

▲京都の嵯峨嵐山の桜。あちらには渡月橋。桜の花は古来、日本人の深い心情に咲いた。今年の桜は、ひっそりと咲き、全国の誰もが格別の想いで眺めているだろう。緊急事態宣言の中、いつもと変わらぬ桜が、これから北に向かって進んでいく。桜に託して、つながる想いを咲かせていくようだ。(撮影:認知症の人と家族の会代表理事 鈴木森夫さん)

緊急事態宣言が出された。
私の部屋から小さな児童公園が望めるのだが、そこの桜の満開過ぎて、風に花びらが舞い、梢には瑞々しい若葉が萌え出ている。季節は確実に動いているのに、社会と暮らしは凍りついている。

つながりが途切れた地域というのは、認知症の人や障害のある人、社会的弱者と呼ばれる子供や人々にとっては、とてつもないダメージである。
このダメージへの補償は、申告先がない。支援者や家族、ケア専門職の人々は抱きしめたくても抱きしめられない。渾身の思いを込めて「つながっているよ」と、伝えるしかない。

認知症の人と家族の会の代表の鈴木森夫さんは、ご自分のSNSに連日のように京都の桜の写真をアップしている。御所、竜安寺、嵯峨野、嵐山。京都の風景や暮らしの中の桜もあれば、クローズアップの一枝の花びらが老木の幹肌に寄り添う。

私には鈴木森夫さんの気持ちがよくわかる。認知症の人や家族にとって、顔をあわせて、そこでのいつもの笑顔や涙や、なにげない声かけがどれほど、困難をのりこえる力になってきたのか。
今はただ、桜を送り届けるしかない鈴木代表のその切ない気持ちが、京の桜の写真のどれからも伝わってくるようで、私は、なんのコメントも加えずパソコンをクリックしては数々の桜に、「いいね」をそっと送る。

と同時に、この事態に何かぐったり感がつきまとう。
いや、それはこの新型コロナ蔓延の不安ももちろんなのだが、それ以上に、このコロナウィルスをめぐる情報に振り回され続けている徒労感だ。
当初は、感染力はそれほど強くはない、多くは軽症であるとか、恐れすぎずに心配しろ(?)とか、マスクだけでなく、トイレットペーパーも店から消えたとか、スーパーの棚に何もない映像を見せながら、買占めするなとか、誰もがまず情報に揺さぶられ振り回され、対策をめぐっても「国難に打ち克つ」と叫ぶ一方で、ウィルスとの共生を説かれ、一斉休校、外出自粛には、権力の暴走だと言ったかと思えば、緊急事態宣言は遅きに失したとか、その効果は危ぶまれるとか、見えない敵は、ウィルスなのか、メディアなのか、専門家なのか、政治家なのか。

いいや、私たちの側だって、ほめられたものではない。テレビのワイドショーは、まるで素人の井戸端会議だし、ネット上に飛び交うのは、又聞きなのか噂なのか、何も引き受けない何十万もの匿名の言説が溢れ、その情報をもとに人々の行動や政治的言説が作られていく。
これはひょっとして、ウィルスの思う壺なのではないか。

「共生社会」といい「まちづくり」といい、うまくいっている時には、誰もが結束し、つながり合い共に生きることを旗印に生き生きと参画していたのに、そこに潜む脆弱をウィルスは暴いたのかもしれない。
自分勝手を多様性とし、もたれ合いを共生と言いつのる私たちの側の粉飾決算を、ウィルスは見逃さなかったのかもしれない。

しかし、他方で俯瞰してみれば、新型コロナウィルスは、この国の少子超高齢社会という逃れられない宿命に侵攻してきたのである。それはどういうことを意味するのだろうか。
それはこのウィルスとの取り組みが、後退しながらの戦いだということだ。いまを生きる私たちは、戦後の長く続いた経済繁栄社会の後退局面でのしんがりといったこれまでにない経験に向き合っている。

何事もうまくいっている時には誰もがその高揚感に結束し、意気上がり、それいけドンドンで突き進む。戦後、この国はそのようにして右肩上がりの、世界の奇跡とされた経済繁栄を手にした。しかし、その無限の成長などとっくに幻想であるのに、気づかないふりをしてここまできて、いまようやくその厳正な現実に向き合わざるをえない。

だから、ウィルスとの戦いは、この国がいよいよ、後退局面で損害を最小にしながらのしんがり戦を展開するという初めての経験をすることになる。
いくさで一番難しいのが、殿軍(しんがり)の戦術なのである(と、司馬遼太郎も言っていた)。
しりぞきながら取りまとめつつ目を配り、死力を尽くして奮戦しつつ退却をしていくのである。敗走ではない。だから、指揮と情報の緻密な連携がなにより必要なのだ。

それをいまだに国や都の指揮も情報もバラバラなまま、「緊急事態宣言」がまるで突撃ラッパのように響いている。だって、終息後のV字回復をめざしての、思い切った経済対策の連発なのである。冷静に考えれば、GDPの2割にのぼる事業規模の対策費用を注ぎ込んで、終息してもそれを一気に回収できるわけがない。
この国の本当の貧しさは、結局、未来は経済対策という金勘定でしかイメージできないことなのではないだろうか。(もちろん、この事態での事業者、生活者の補償などが必要ないということでは毛頭ない)

金勘定の中の未来ではなく、私たちは私たちの暮らしから立ち上げた人々のつながりや共に生きることの手応えから、新たな構想を持つことができるはずである。
とりわけ、認知症の人たちとの活動は、実はこの殿軍の取り組みでもある。

認知症の人は、しりぞく勇気と叡智を併せ持つ。持たざるを得なかった。
なにもできなくなるという偏見の中で、たとえわからなくなることが起きても、自分は自分であろうとし、自身の希望や人生を再定義し、そのための社会システムを誰もの生きやすい共生モデルとして提示してきた。

「認知症」は、この社会の生産性と効率中心で評価される社会システムの転換を促した。
これまでの経済社会では、「大きくて速くて強い」生産と効率の論理が、ガシガシと進撃するように、この国を繁栄に導いた。
しかし、今や少子超高齢社会のこの国は、老いていく社会である。認知症の人は、老いをエイジズムから解き放ち、自覚的に暮らしの中に組み込む人々である。老いを衰退ではなく、豊かな成熟とする人々である。

それは、経済社会の「大きくて速くて強い」論理を、「小さくても弱くてもゆっくりでも共に生きる」論理へ組み直していく。経済の生産の論理を、長い人生の旅路を共にいつくしみ、はぐくむ共同体の論理に塗り替えていく。

後退局面に歩みを進めていくことは、惨めな負け戦ではない。人はやがて喪失していくその過程から何か大きなものを生み出していく、そんななつかしさに満ちた人間の世界への回復の道筋だ。人はそれを「人間の尊厳」というかもしれない。

今はただ、手の中にギュッと握りしめているしかない私たちの「つながり」は、いつの日か、この試練の先に晴れやかに両の手を開く時、桜が一斉に開花するように、ほとばしるようにつながるに違いない。

京都の美しい桜便りを届けている認知症の人と家族の会の鈴木さん、来年の桜の季節には、この写真にある京の桜を訪ね歩きに行きたい。今はひたすら、はなれてつながって、来年こそ、笑顔咲かせる花咲か爺さんの鈴木森夫さんの京の花便りを待ちたい。
その時までにきっと・・・・

|第136回 2020.4.9|

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