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コロナの時代だからこそ、「認知症」にできること

コラム町永 俊雄

▲「認知症」の取り組みはまちづくりや認知症バリアフリー社会と社会変容をもたらしてきた。上段は、去年4月の認知症官民協議会での丹野智文氏と藤田和子氏。下段は、2017年に駐日英大使公邸での日本・スコットランド認知症セミナー。「認知症はエビリバデイズ・ビジネス」からセミナーは始まった。

このコラムでこのところ連続して、新型コロナウィルスがもたらしたこの社会の姿を追うように記してきました。この事態を考えるたびに気づいたことがあります。それはこの事態に対する既視感といったもので、それはたとえばこの事態について考えを巡らす時、「たしか、この思考の道筋は辿ったことがある」といった風に感じ取ることが度々あるのです。それはなぜか。それは社会の底本として認知症を考えるテクストというものを、私たちはすでに獲得していたということがあるのではないでしょうか。

ですから、「認知症」にできること、というのはいうまでもなく実際的に「認知症」が何かの「お役立ち」の機能を持っているということではないのです。認知症に関わる活動であるとか、あるいは認知症当事者たちの発言が、コロナの時代を考える重要な視点をすでに発信してきたということです。

ふりかえれば(といってもまだまだふりかえる時期ではないのですが)、この新型コロナのもたらした事態に多くの人が多くの論評を繰り出し、錯綜する情報がかえってこの事態の混迷をもたらしました。それはいってみれば、外側からこの事態を見続ける論説の限界です。こうした事態には、常に当事者ではない人ほど饒舌になるという傾向は定説なのです。

では、この事態を内側から見るということはどういうことでしょうか。
それはまずこのウィルスに感染した人の声です。しかし残念ながら、そうした声は当初ほとんど聞こえてきませんでした。感染した人の不安やつらさ、希望といった生の声はほとんど聞かれず、ただ無機的な感染者数という数字でしか現れませんでした。
そのことはまず私たちに見えない敵といった怯えの感情を植えつけました。見えない敵はウィルスであって感染者ではないのは理屈ではわかっていても、感染リスクを避けるための接触を避けることが目的化し、それは感染者と感染リスク者への排除と差別につながってしまったのはご存知の通りです。

この事態の本当の深刻なところは、善良な市民、家庭人、生活者が容易に排除と差別を行使してしまう脆弱性を持っていることをあらわにしたことです。さらにはこのネット社会には秘密警察的な監視社会への伏線が張り巡らされていることにも気づかせてしまいました。
このウィルスの怖さとは、私たちの社会の側にあるそうした負の装置と感情を揺り起こしてしまう毒性にあるのかもしれません。

事態を内側から見るということは、言い換えれば当事者であるということです。
精神科医の斎藤環さんは、パンデミックにおけるトラウマの構造を論じる中で次のように指摘しています。
「パンデミック下の常識は「自分が感染している前提で行動すること」、すなわち自分の当事者性を自覚することだ。いわば人類の汎当事者化である(パンデミックの「パン」は「汎」を意味する)」(失われた「環状島」2020/5)

以前の私のこのコラムでも、この事態は一億総当事者という稀有な共通経験をもたらしたと述べましたが、さすがに斎藤環さんはより広範明確な意識で「人類の汎当事者化」と言葉立てをしています。これがコロナの時代を内側から見るということであり、それは当事者性の自覚ということになります。

これを認知症のテクストに置き換えるなら、「誰もが認知症になることを前提とする」ということです。
私は2014年に「認知症になる「私」が考えた認知症」と題した小論を発表したことがあります。あの頃の「認知症論」の勃興期にはいかに対象化された「認知症」としてではなく、認知症を自分に内面化するかというのが起点でしたから、こうした認知症の自分への取り込みが必要でした。

誰もが認知症になることを前提とする「汎当事者化」に深化していくのは、その後に認知症当事者の発信が相次いだからです。
それまで「何もわからなくなる」とされてきた認知症は、高齢化に伴って増加するという推計値の中だけの存在でした。それはウィルス感染者数の構造と同じで、不可視化された怯えの対象だったのです。

疫病と同じく忌避の対象だった認知症を「認知症を前提とする社会」に転換した有名な標語が、2009年のイギリス認知症国家戦略で打ち出された「Everybody’s Business 」でした。
直訳すれば「誰もの仕事」で、これが伏流して、現在の地域包括ケアや地域共生社会の施策のキーワード「自分ごと」として湧き上がっています。

しかし、この「Everybody’s Business 」には現在のコロナの時代をも切り拓く多義の力が込められていました。
通訳翻訳家の馬籠久美子さんは、これを「誰もに関わること、誰もが関わること」と訳しました。私自身はこれを定訳としています。
「誰もに関わること」というのは、端的に、認知症は誰もがなりうるということです。しかし、このメッセージはその表層にとどまりません。さらに「誰もが関わること」でもあるとし、そこに「あなた」という主語を置き、主体の能動を呼びかけたのです。
ここに「認知症」は、汎当事者化への力強いメッセージを得て、「認知症とともに生きる社会」をその内側から押し開き、ここから陸続として認知症当事者の発信が飛び立つことになりました。

そして、認知症の発信は時制を超えて現在のコロナの時代に引き継がれたのです。
認知症の人は現在、「認知症だからこそ、できること」と発信しています。自らが発信点なのです。主体として灯火をかざして歩む人であり、自分で自分の認知症を引き受け、そこから「できること」を発信する。それは言い換えれば、当事者であることの汎用性を発信しているのです。

それがこの事態に、改めて認知症当事者からコロナ当事者へとバトンを受け渡すようにして、「今、私たちにできること」になったのです。
誰もが関わることとしての「今、私たちにできること」、それはコロナの時代を内側から見る当事者性の自覚から生まれたのです。
まちがいなく、「認知症」はこのコロナの時代の汎当事者性を予見していたのです。

さらにステイホームという呼びかけも認知症の視点から読み解けば、何もしないこと自体が、実は価値の創出なのだということを示します。
「認知症」を考えるということは、できるできないという生産性ではなく、ヒトとしての尊厳を基盤とします。ステイホーム、そこにいることが社会に寄与するということであり、それは、表情も言葉も乏しくなった「進行した認知症の人」が存在することの価値創出とも重なるものがあるはずです。

「今、私たちにできること」「ステイホーム」、これらはコロナの時代にすべての当事者の声をつないでいく活動に育ちました。私はそうしたことどものどこかに認知症の人々のほほえみが見えるような気がするのです。

しかし、「認知症」はこのコロナの時代に忘れてはならないことも問いかけています。
それは「私たち抜きに私たちのことを決めないで」という言葉です。
この事態に、施政者の頭のほんの片隅にでもこの言葉は響いていたのでしょうか。私たちの側もそのことを思い起こさせるような発信をしていたのでしょうか。

緊急事態の発出、延長、そして解除、その政治過程と決定にこの言葉はどのように機能したのでしょうか。もちろん、ここにはかなりセンシティブな要素が絡んできます。施策の優先度からすればこうした文言を、だからこうせよ、といった教条的な手続き論で語ろうとは思いません。
が、こうした事態にこの文言をどう位置付けられるのか、「緊急事態なのだから」と、とりあえず埒外に置いても仕方ないのか、そのことが施政者たちに一連の強権的ふるまいが許されているという錯覚を持たせてしまったのか、当事者の側にも思考の空白があったのかもしれません。
「私たち抜きに私たちのことを決めないで」、これは私たちのマグナ・カルタ、コロナの時代を生き抜くための言葉です。

コロナの時代には、勝者も敗者もいません。そしてその「コロナの時代」は始まったばかりです。
認知症の当事者たち(JDWG)は、2018年に「本人ガイド」と言う当事者としての暮らしガイドの冊子を発行しました。その表紙には「一足先に認知症になった私たちからあなたへ」とあります。
汎当事者性の宣言であるとともに、それはこの社会で「先行する者」であることの決意です。このコロナの時代の私たち当事者は、認知症の人たちを先行者として、このウィルス経験を共有することになります。

「経験」するということに、果たしてどんな意味があるのか私にはわかりません。それは、ただちに何かに役立つという実利をもたらすものではないような気がします。
言えるのは、否応なく誰もがこの事態の「経験者」であるということで、それはこの事態に「巻き込まれる」のではなく、当事者として「引き受ける」記憶を誰もが持ったということでしょう。
一足先の経験者である認知症当事者は、自らを「認知症の経験専門家」(ディメンシア・エキスパート・バイ・エクスペリエンス)と名のります。

コロナの時代は、私たちにとって忘れたい災いの日々なのか、それとも、そこに「コロナ経験専門家」とする当事者が誕生するのか。
世間に潜む新型コロナウィルスは、そのことをも冷ややかに見つめ続けるような気がしてなりません。

|第141回 2020.5.22|