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「認知症を祝福する」 スコットランドの認知症活動をフィリー・ヘアと語り合う

コラム町永 俊雄

▲オンラインでつながった仲間たち。左上イギリス認知症当事者ネットワークDEEPコーディネーターのフィリー・ヘアさん。その隣が町永、通訳翻訳家馬籠久美子氏、NHKディレクターの川村雄次氏、仙台の丹野智文氏、いずみの杜診療所、山崎英樹氏。「限られた時間ですが、とても深い話し合いができました」フィリーさんの言葉。

「あのね、人生にはアイドリングストップが必要なんだよ」
「あなた、燃費悪いものですね」
といった会話が交わされたわが夫婦の緊急事態は収束に向かうのだろうか。
わが夫婦に限って言えば、この事態は新型コロナウィルスがもたらしたというより、密かに堆積していたわが夫婦関係における緊急事態がたまたまこの機会に顕在化しただけなのである。
思えば、医療や介護以外の、社会全体がアイドリングストップだったわけだが、これまた私に限って言えば、何かいろいろと考えたり、あるいはこれが結構大切だったのかもしれないが、何も考えない時間があったりで、全国的に誰もがこうしたコロナの共通体験を持ったことは、この社会の深部どこかでの質的な変容につながるかもしれない。

先日、イギリスの認知症活動の研究者を交えて、いわゆる「認知症仲間」とネットでのオンライン会議を持った。2ヶ月以上も妻以外の人類と話していなかったので、久しぶりに人間と出会ったような気がした。単純に嬉しいものである。

オンライン映像でいいのは、マスクを外して話し合うことができることだな。どうもマスクをしていると表情が読めない。この事態でわかったことの一つは、話し合うことから表情を消去すると、いかに事務的でぎこちなくなるかということだ。誰かが話すときにそれを聞く誰かの表情があって、そうして語り合いは静かに深まっていく。今言われているSNSでの負の連鎖は、そこに表情が付随しないことも大きい。
ケアの現場は言葉より、豊かな表情の物語を読み取って成立する。ほほのこわばりや息遣い、口元のかすかな微笑など、暮らしの言葉である表情がマスクを介してのケアとなれば、その困難はさぞ増したことだろう。
誰もがむっつりとマスクする無表情の人波が押し寄せる街の光景はどこかSF的な恐怖を呼び起こし、「新しい生活様式」と言われても私は慣れそうもない。

ゲストとして迎えたのはイギリス認知症当事者ネットワークDEEPコーディネーターのフィリー・ヘアさん。彼女は何度も日本の認知症当事者や活動団体などと交流を重ねている。理論、実践双方での切れ者、キーパーソンであるが、同時にその人柄は誰をも魅了する快活な女性である。

私たちの側の参加者は、仙台のオレンジドア代表の丹野智文さん、同じく仙台のいずみの杜診療所の山崎英樹さん、通訳翻訳家の馬籠久美子さん、そしてNHKディレクターの川村雄次さんに私と、いつものメンバーである。
やはり最初はこの事態をどう過ごしてきたのか、その近況報告である。
これが通常なら、「もうかりまっか」「ボチボチでんな」といった友好親善のためのギルド的儀礼交換で済ますことができるのだが、この事態だとそうはいかない。

たとえば、丹野智文さんはこう報告した。
「2月から全ての講演などがキャンセルとなって今は、昼はトヨタの営業所でみんなと一緒に仕事をしている。また、人とのつながりを切らすわけにはいかない。毎晩、全国の人とズームやラインで話し合っている。そして介護職への応援メッセージとして、マスクを買い取ってはそれを現場に送る活動もしている。いつも助けてもらうのではなく、こんな時こそ応援したい」
てらいのない率直な信条というべきだろう。彼の人格なのか、認知症の当事者としての困難を突き抜けた勁(つよ)さなのか。

当然それぞれがこの期間の自分を語ったのだが、ある種の質的な変化というのは、誰もが当事者、経験者となったことで、ナラティブな感覚を獲得しているということではないか。
それはいわば、この事態の渦中にあって誰もが、自身の個人史の形成をしたのだ。あの時、私はこう感じこう考えた、というそれぞれの「個人史」は、誰かがこう語った、という論説よりはるかに確かなものとしてこの社会に生まれたのである。私はこの事態で起きたことのひとつは、論壇崩壊だと思っている。自己の語りの欠落のまま、外からのわかったような押しつけがましい論説の羅列は、いくつかの論考を除いて、この総当事者の感覚にはほとんど響くことはなく滑りぬけた。

フィリー・ヘアーさんは、スコットランドのさまざまな認知症の人や活動者をインタビューし、「大声ではっきりと言う(Loud and Clear!):スコットランドの認知症運動(仮)」というタイトルの本を書き上げたことを報告した。

スコットランドはよく知られているように世界初の認知症当事者によるワーキンググループが創られ(初代議長がジェームズ・マキロップだ)、差別偏見の解消はもちろん、そこから認知症本人の社会参加、発信へとつなげた世界の認知症活動の先駆的な地だ。
日本からも丹野さんや山崎さんたちもスコットランドで、現地の認知症の人たちと交流し、その様子はEテレで放送され反響を呼んだ。そうした交流は現在も続いており、そのことが今回のオンライン会議にもなっている。

そのスコットランドの認知症の活動についてのフィリーさんの言葉が強く印象に残った。
「スコットランドでの認知症の活動の歴史は世界にとって極めて重要です。それは認知症の当事者だけでなく、その活動に関わった人々を祝福することが大切なのです」

祝福する、セレブレイト(celebrate)すると、フィリーさんは語ったのだ。
およそ福祉的文脈では見かけない新鮮な言葉である。認知症当事者を祝福する。それはどういうことなのだろう。
通訳をした馬籠久美子さんはすかさずこう捕捉してくれた。
「祝福という言葉は社会運動の中で確立した用語です。それは陽の当たらない人や声を上げられない人たちの声を「聞いてやる」のではなく「祝福」の心で接するのです」

社会運動は従来、社会構造上の不正義や問題を、多くの人の集団的行動によって解決する活動だ。しかし近年、人々の不安や不満というのは多様多岐にわたり、マイノリティ、女性、平和、住民、消費者といった個の側から発生している。「問題」を「解決」するスキームというより、新たな価値の創造につながる取り組みに変化している。

認知症活動というのは、いわば声を封印されていた当事者の声を聴くことで、あらたな社会知を創り上げてきたと言える。
それは「問題化」することで組織化された「運動」を駆動していくこれまでの方法論から、人間としての共感や想像力を軸として個が連結していく祝福の運動が生まれてきたということだ。
フィリーさんは、本人の声を聴く活動に対しての、ある認知症当事者の言葉を紹介した。
「私の声を聴くということは、私の声を箱に入れ、包装紙で包み、そこにリボンをかけてくれたのです。それでようやく私の言葉が、ひとつの私の物語になって世に送り出すことができました」

この当事者の言葉にすでに祝福が寄り添っている。
箱に容れるということは、人生という物語の枠組みで、包装紙とリボンは、社会に発信するためのエンパワメントの装丁に違いない。
祝福とは、誰かが誰かを祝福するという営為を超えて、なにか、普遍的な人間存在の相互の承認であり、そこには以前から言われていた認知症の人とのパートナーシップの本質も織り込まれて、語る人と聴く人の共同作業自体が祝福されているのだろう。

たしかにこの「祝福」は、正直、私の育った文化風土からすればなじみにくい。神の下の人間という存在を基盤にする宗教観の全肯定的な祝福でくくるより、私は認知症の人との緊張感であるとか、自分の理解や立場との意識的な交換といった面倒なプロセスこそが共同体成立の要件だと思うからである。

たぶん、こうしたプロセスはスコットランドでも同じように積み上られてきたはずだ。
フィリーさんはその活動をまだ終わってはいないし、もっと本人の声を聴かなければならない。政治家は聴いたふりをしているだけだと辛辣に指摘する。
「聴く」ということの質的な深さといったものが、彼我では違う尺度なのかもしれない。

私は、「祝福」せよと言いたいわけではない。ただ、世界の認知症活動のホットスポットであり続けるスコットランドで、その活動の継続に「祝福」が据え付けられていることは心に留めておきたい。
思えば、あの「拍手を送ろう」というのもわれらの清々しい祝福表現だった。

ためしに、「認知症を祝福する」「認知症が祝福する」、そっとそうつぶやいてみる。
中世の写本のカリグラフィーのような響きの向こうから、ありありと「人間」が立ち上がる。

|第142回 2020.6.2|

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