認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム
  • くらし

共生社会を創るためには 共生社会から語らないということ

コラム町永 俊雄

▲今月10日に共生社会をテーマにオンラインフォーラムを開く。こうしたテーマが選ばれるのも私たちが経験しているこのコロナの日々があるからなのだろう。あなたの「不安」とはなんだろうか、「安心」とはなんだろう。

NHK厚生文化事業団のディレクターのタカハシくんに取材され、「共生社会とはなんですか」と直球を投げてきた。知るか、そんなの。

そういうのはね、自分の中でしっかりと生きている言葉で置き換えるといいのだよ。で、それはね、「安心の社会」であると、五反田の喫茶店でそんな話をしたのだがその後またメールで、「安心できないということについて、マチナガさんはどう考えますか」と尋ねてきたので、メールを送った。
思いの外長くなり、せっかくなので、そのタカハシくんへのメールをコラムとして掲載したい。

タカハシさまへ

安心について、これが私の関心領域のすべてというわけではないのだが、共生社会ということを理念的な言葉だけで語っても実効的ではない。
「安心」と「日常」とが「地域」に展開して私たちの暮らしが成り立つが、今、とりわけ「コロナの時代」に誰もが感じているのが、安心できないということだ。それは生活実感としての皮膚感覚でもあり、あるいは政体システムの不備としての社会不安ともなっている。

社会を論じるに、街場では「社会が悪い」「政治が悪い」と言っておけば済んでしまう。これはね、要するに「市民」の不在なのだ。この社会は誰かがなんとかしてくれると思い込んでいる。福祉がそうで、自分たちの暮らしと命について、誰かがやってくれることと任せてしまっていいのか。
そのことに声をあげたのが認知症の人たちで、「私たちのことは私たち抜きに決めないで」というのは、当事者性であると同時に、共生社会の扉なのだな。

しかし、このコロナの日々は、実はこの社会は誰もなんともしてくれない、ということに誰もが気づいてしまった。自分たちの「安心」は誰かが保証してくれるものではない、と。

この国は、封建社会から一気に大衆社会に飛び込んでしまったといわれる。
封建から維新へ、決起はやった志士たちがチャンチャンバラバラやって近代国家が幕開けしたと思ったら日清日露と戦争国家になり、亡国の敗戦後には東西冷戦下のパワーバランスもあって、奇跡の経済成長国家へと自省することなく駆け上がり、大量生産と大量消費に明け暮れる大衆社会に突入、マハラジャで(世代的に知らない人はスルーしてくれ)浮かれまくった。1分でわかる近代史。

で、ここに何が抜け落ちてしまったのか。それは市民社会というものだと私は思っている。
市民社会とは、社会の成員それぞれが自分たちの社会はどうあればいいのかということの熱議を重ねていく市民的成熟のことである。民主主義の基盤であるが、その分、「やっかいな手間」がかかる。やっかいだから、エイヤっとうっちゃって経済成長の成功に酔いしれてここまで来てしまった。中抜きの近代国家なのである。
まことに遅まきながら、このコロナの時代になんとか私たちの市民社会を起動させなければ、共生社会など来るわけがない。
そのための手掛かり、キーワードが「安心」なのである。おお、やっと「安心」に戻ってきた。タカハシくん、安心したろう。

共生社会を語るのに何故「安心」なのか。それは安心をそれぞれの胸の中に探りとることで、自前の感覚に引きつけてこの社会のありようを論じることができるからだ。
生活感覚の中での言葉で共生を語ることが大事なのだ。評論的な「すべき」と「ねばならない」で語る社会は、いつもそのままどこかに漂い消えていく。
大きく強い言葉ではなく、小さくつぶやくような言葉を拾い上げて語る共生社会しか、共生を成立させない。

とまあ、ぐるっと大回りして、さておたずねの「安心できない」ということをどうすれば解消できるか、である。
「どうすればいいのか」とすぐにソリューションを求めるのはメディアに染み付いたDNAのようなものであるな。どんな大問題でも番組が終盤に差し掛かると、キャスターが「ではどうすればいいのでしょうか」と憂い顔で語りかけ、そこから対策としての解答が示されるのである。どんな難問も30分でカタがつく。だったら既にこの社会になんの問題もなくなっていいはずなのに。

「安心」の難しさは、安心を求めても見えてこないことにある。安心は、その人の不安を見ることでしか見えてこない。不安を見つめることだ。見たくない不安の代わりに希望を置いて安心したいだけの社会は、ハリボテの社会だ。
不安の時代から逃げないことだ。コロナの日々は誰もが逃げられずに不安の中に叩き込まれた。
不安は人それぞれである。この社会のあり方はひとくくりにできない。ひとくくりにできない価値観の人々が、それぞれの不安を抱えて佇んでいる。それじゃあ、どうすれば共生が可能なのか、といったメビウスの輪のような設問からも逃れたほうがいい。
共生社会はキレイゴトの理念などではない。誰も何もやってくれないこの「どうしようもない社会」では、つながっている方が生き延びる確率が高いというその一点で、私たちはつながらざるを得ないのである。

共生社会のポスターはいつも老いも若きも横並びになってニコニコと笑顔で登場する。私たちはこうした「みんな仲良し」の構図でしか共生社会を語れないのだろうか。
「安心できないとしたら、どうすればいいのか」とお尋ねである。あえて返答するなら、安心をいきなり求めず、まず不安を見つめよ、と言うことだろう。

マハトマ・ガンジーは「平和への道はない。平和こそが道なのだ」と言う言葉を遺している。それにならえば「共生への道はない。共生こそが道なのだ」と言うしかない。
だから、共生という道は、価値観の異なる他者との共存という不安に満ちたイバラの道でもあるだろう。

この新型コロナウィルスは、この国の本質的な脆弱をあらわにした。
それは施策者の誰も「この社会をどのようにしたらいいのだろう」と呼びかける言葉を持たず、私たちもまたそれについての市民的なふるまいを忘れていたのである。誰かがやってくれることとして。
少子超高齢社会というのは、やってくれる誰かはもういない社会なのである。そのことに遅まきながら気づいたのがコロナの日々だった。

タカハシくんは、「ヒントになりそうな具体的な取り組みを」とのお達しである。
虫のいい話のような気もするが、まあ、ないわけではない。
各地で認知症の人や子供達やひきこもりの若者や障害のある人などとのまちづくりの活動が起きている。こうした地域福祉的な動向の新局面に、不安から安心創造への動きを見ることができる。
詳説することは省くとして、今のケアリングコミュニティ、メゾレベルでのソーシャルワーク、予防的福祉などの新たな概念は、ほとんどが地域の生活者たちが笑い、泣き、語り合いの中で取り組む「まちづくり」から生まれている。

ここにある最も大きな変化要因は、これまでの個人の問題とされてきたことを社会の問題として把握しようとする転換だ。
例えば、認知症の人の困難は、疾患によるものとされてきたのだが、それは社会の側に埋め込まれた問題が、本人に困難を押し付けているという当事者からの指摘である。医学モデルから社会モデルという図式以上に、切実な当事者の思いの叫びなのである。そしてこの声の響きは、このコロナの日々で、誰もが自分の声として聞いたはずだ。

「まちづくり」とは「安心の社会」と同義だ。こうした取り組みを見ていけば、あなたの「不安」は、個人の問題として解消させるのではなく、地域の関係性の中で実践することで「安心の社会」につながっていくことに気づいていくはずだ。

「共生社会」という大枠から考え下すのではなく、あなたの不安から「安心の地域」に積み上げていく、そんなフォーラムになるといい。
それは同時に私たちが学んでこなかった市民的成熟の実践的演習の場であると、私はそう思うのだが、タカハシくんはいかがお考えなのだろうか。

 

*詳しい応募要項などは、こちら*
NHKハートフォーラム「共生社会創造‘ぶっちゃけトーク’『“新しい生活”に福祉の視点、足りてる?』」

|第154回 2020.10.2|

この記事の認知症キーワード