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コロナの時代を切り拓く ~がんフォーラムが伝えたこと~

コラム町永 俊雄

▲「がんと生きる」オンラインフォーラム。下段、パネリストの皆さん。左から町永氏、北里大学医学部教授・比企直樹氏、オンライン参加の九州がんセンター 老年腫瘍科科長・西嶋智洋氏、歌手タレント・堀ちえみ氏、患者会「コスモス」世話人代表・松沢千恵子氏。

「がんと生きる」フォーラムを横浜で開いた。
このオンラインフォーラムというのはどこか不思議な雰囲気だ。誰もいない会場に何台ものカメラが並び、そこで話し合う。聴衆の不在。しかしカメラの向こうのオンラインでは千人を超える人々が参加している。その密度が、語り合うパネリストにも感じ取れるようで、話し合いは私たちだけで交わされながら、伝えたい思いが滲んでそれぞれの感度が高い。そのような空間である。

今回のテーマは高齢者のがん医療。
どういうことか。
二人に一人がかかると言われるがんは、同時に加齢リスクである。
国立がん研究センターによれば、がんになる人のうち65歳以上は70%を越え、がんで亡くなる人のうち65歳以上が85%を越えており、共に年々増加している。がんは老人病の側面を持っている。

ではそうした高齢者に、がん医療はどのように対応しているのだろうか。

がん医療の、患者への恩恵はがんの標準医療の充実にある。
標準治療とは、大規模な臨床試験によって治療効果の可能性が示され、かつ安全性が許容された最も推奨される治療法をいう。
しかし、その臨床試験には高齢者は対象とされていない。

臨床試験は一般成人が対象で、高齢者は外されている。
それは、例えば薬の効きかたも一般成人とは異なり、なおその生理的身体的な変化は高齢者個々によって大きく異なる。同じ70代でもとても元気な人もいれば、慢性疾患を持ち、日常の暮らしに大きな支障を感じる人もいる。それを一律に年齢で捉えることはできないからである。
となると、最良の治療である標準治療は必ずしも、高齢者にも最良最適であるかは言い切れない。
高齢者へのがんの治療の実態はどうなっているのだろう。
医療現場では、主治医の主観や経験(もちろんこのことはがん医療の大きな役割を果たしているのだが)に基づいて高齢者のがん医療が裁量されている。つまり、そこにはバラツキが出てしまうという。

そのバラツキとは、ひとつは過剰治療である。高齢患者の身体の状態が耐えられる以上の治療をしてしまう。例えば手術の後の抗がん剤治療で身体の衰弱を招いてしまう。
もうひとつは逆に過少治療である。高齢だからと言って治療を控えたり、できるはずの手術をやめる判断をされてしまう。

フォーラムのパネリストのひとりが、北里大学医学部上部消化器官外科学の主任教授、比企直樹さんだ。胃がんの専門医である。
比企さんはあるデータに衝撃を受ける。
がんは治る時代と言われるように、確かに早期胃がんの5年生存率は80代で9割ととても高い。しかし、その一方で胃がん以外での5年生存率となると、実に80代では6割を割り込む。
つまりがんの手術は成功しても、その後の身体的ダメージが大きく抗がん剤治療が受けられなかったり、食事の困難が命を縮めてしまったりする。

高齢者のがん医療には、医療の側面だけではなく、その後の暮らしを支えるという両面からの選択が必要ではないか。

このフォーラムでは、そのことを考えるためのがん医療として、パネリストの比企教授が考案開発したLECSという新しい手術に注目した。
LECSとは、腹腔鏡と内視鏡を合同で行うハイブリッド手術である。がんの正確な位置がわかるので胃を切除する範囲を最小にできる、ということは患者への負担が小さいという事だ。

その取材映像が紹介された。
83歳の患者の胃がんはステージ1の早期ながら転移の可能性が高い。主治医の比企医師は胃の3分の2の削除の定型手術を提案。が、最近ではがん患者も様々な情報で知識、情報に接している。
この高齢者である患者は、自らイラストを描きながら自分の腫瘍を示し、ステージ1なのだから、なるべく小さくここだけの切除ではダメなのかと相談する。
年齢から考えて、手術後の暮らしの負担を思ったのである。患者の妻は「手術が成功しても残りの人生が寝たきりの生活になってはねえ・・・」とつぶやく。

フォーラムでは家族会を主宰するがんサバイバーから、こうした医師と患者との対等な関係を評価するコメントも出た。
「あんな風に主治医に向かって、自分でイラストを描いて詰め寄る患者もエライが、それをしっかりと受け止める医師もまた心強い」

この患者の場合、なるべく小さく腫瘍を切除するにはLECS手術が最適だ。しかし、それだと再発のリスクが10%ほど上がる。
3分の2削除の定型手術なら再発は押さえ込めるが、手術後は食べることに支障が出たり食が細くなる懸念が残る。
再発のリスクを避けて万全を期するか、それとも自分の残りの人生を考えて、なるべく自分らしく過ごせる暮らしの時間を取るのか。リスク回避か、生活の質か、どちらを取るか。

それは高齢者にとっては自分の限りある人生をどう過ごすのか、どうあったらいいのかという医療から投げかけられた問いかけでもある。
取材対象の高齢のがん患者は、再発リスクも踏まえた上で、LECS手術を受けた。
それは治療の選択に納得したというより、自分の人生のあり方の選択に納得したのだろう。医療がその選択を可能にしたとも言える。

が、そうは言ってもがんになった時、その選択までなかなか冷静にできない場合もあるだろう。
そこにまた、新たながん医療の姿が手を差し伸べる。

もう一人の医療のパネリストは、福岡の九州がんセンターからオンラインで参加した老年腫瘍科科長の西嶋智洋さんだ。西島さんは、2018年に国内初の老年腫瘍科を開設。
高齢患者にとってどのがんの治療法が相応しいのかを選択する取り組みを展開している。

フォーラムの映像には西嶋さんによる、がん患者の「生活機能評価」のケースを紹介した。
これは極めて綿密な取り組みで、一人一人のがんにどのような治療が適切なのか、そのためには、身体機能、認知機能、栄養状態、こころの状態、持病、処方薬や生活環境までを、本人だけではなく家族からの情報も踏まえて客観的に評価し、その患者に相応しい治療法を選択する。
医療の側からだけの「最適」な治療法の提示が、ともすれば副作用や合併症、ストレスなどによって日常の生活機能や生活の質を落としてしまう患者もいるからだ。

ユニークなのは、この生活機能評価では、患者の価値観まで踏み込んで評価する。これは先行しているアメリカの老年医学や腫瘍内科にはない西嶋医師独自の項目で、これは超高齢社会でのがん医療の重要な視点だろう。

映像で紹介したケースでは、81歳のがん患者にこんな項目の優先度を尋ねている。
「自立の維持」「長生き」「痛みの緩和」「痛み以外の症状に苦しまない」
あなたにとって、今、一番必要なことは何か。

その患者は「自立の維持」を最優先とした。その上で、このケースでは西嶋さんは主治医に対して、手術ではなく放射線治療を中心にした治療法を提案している。
ここにあるのは、患者主体の治療法の選択をこの時点での最善のものとする医療の姿である。

高齢の患者の価値観も取り込んでの医療といえば、この延長線上には当然、ACP、人生会議にもつながっていくだろう。よく生きることは、よく死ぬこと。

今回のフォーラムで伝えたのは、まさに最新で先端の医療の取り組みだ。
しかしそれは従来の医療の側だけで完結している医療技法の先端、先進ではない。ここにあるのは、患者の希望や価値観や人生までも織り込んだ医療を患者との共同作業として構築した姿で、これこそを、私たちの先進医療であり先端医療としていいはずだ。

がん医療に関しては、これまで患者が声を上げることが、医療を育てると言われてきた。「患者主体」の医療は、なおす医療から、支える医療や寄り添う医療という新たな姿を生み、それが今、「人間主体」の社会へと止揚されていく。

コロナの日々は、個別の社会の課題のキワを溶かし込むようにして全体化していく。
フォーラムでがんを語っても、認知症を語っても、それは患者や支援される者の課題ではなく、「私」はどうありたいのか、この社会の潜在ストックを浮き上がらせる。

世間には、途切れたつながりを嘆き、そのことで自分の無為をやり過ごそうという無意識がはびこるが、時代の向こうに見るべきは、嘆きの合唱ではなく、コロナの日々に底流し始めた、本来の社会の中でのシェアード・デシジョン・メーキング(共同協働する意思決定)であり、「ともに生きる社会」への新たな胎動なのだ。

パネリストの比企直樹さんは、自分の担う医療を、「どれがいいのか、それを切り拓いていく道しかない」と語る。

正解がないということは、可能性を切り拓いていくことなのかもしれない。それはこのコロナの日々に誰もが切り拓いていく道であるようにも思える。

|第165回 2021.1.26|

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