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「弱さ」を「強さ」にする社会へ 〜「“あかさたな”で研究者になる」を視て〜

コラム町永 俊雄

▲写真下段、天畠大輔さんとノンフィクション作家柳田邦男さん。NHK Eテレ ハートネットTVで放送された「“あかさたな”で研究者になる」は、ひとりの重度障がいの研究者の姿を描く。彼は語る。「弱さを強さに」する社会へ、と。(写真・ハートネットTV HPより)

番組の冒頭は意表をつくような物語に満ちた映像から始まる。
深海から一群の泡が湧き起こり、そこに「潜水服は蝶の夢を見る、という映画をご覧になったことがありますか」という静かな語りかけのナレーションがかさなる。

「潜水服は蝶の夢を見る」というのは、フランスで成功した雑誌編集長が、脳梗塞によって突然、すべてのコミュニケーションの手段が絶たれ、残されたのはまぶたの動きだけ、その20万回のまばたきで著したとされる手記の題名で、映画化もされた。

番組の主人公は、同じ境遇の天畠大輔さんである。中学の時の医療事故で脳が大きく損傷し、話すことも文字を書くこともできなくなった。ロックトインシンドローム、閉じ込め症候群。文字通り鍵をかけられ閉じ込められてしまう重度の障害とされる。
番組冒頭のナレーションは、天畠大輔さんの手記の書き出しの言葉である。暗い海の底で潜水服に閉じ込められた、当時の自分の心情が反映している。この手記は第43回のNHK障害福祉賞の優秀賞になった。

番組で丁寧に描かれるのが、話すことも書くこともできない天畠さんの「あかさたな話法」によるコミュニケーションのシーンだ。
あかさたな話法とは、たとえば天畠さんが「天気」という言葉を伝えたいときには、まず介助者が「あ、か、さ、た、な・・」と50音の行の頭文字を声に出していき、天畠さんは「天気」の「て」が含まれる「た」のところで、手首の微かな動きで合図する。手首に触れている介助者はその合図を感じ取り、今度はた行を「た、ち、つ、て・・・」と声にしていき、「て」のところで天畠さんが再度合図して、最初の「て」の一文字を拾い上げ、この作業を繰り返していくことで、ようやく一つの言葉が伝わるのである。

が、このシーンを見ている側は、そのコミュニケーションにただ引き込まれる。圧倒される。息詰めて見つめてしまう。
そこにあるのはまるで、コミュニケーションの原初の姿を目撃しているようであり、言葉が生まれる現場に立ち会っているような感覚であり、また天畠さんと介助者とのやりとりに、共生という関係性が凝縮されて両者に行き交っているようでもある。

こうした天畠さんを見守るようにして関心を寄せていたのが、ノンフィクション作家で、NHK障害福祉賞選考委員の柳田邦男さんである。天畠さんが障害福祉賞を受賞したのが25歳の時で現在は39歳、天畠さんは現在、自分自身を対象とする研究者の道を歩んでいる。

番組は、柳田邦男さんと天畠さんとの対話を軸として、そこから天畠さんの深い内面世界の葛藤へと静かに潜航していく。
柳田さんの終始穏やかな慈父のまなざしは、しかし天畠さんの核心へと迫る。
「天畠さんは、自分の弱さなどを全てさらけ出し、それを自分の中心に据えるようにして研究しているが、それはどういう思いからなのか」 
柳田さんのこの問いに天畠さんと介助者が「あかさたな話法」で答えていくシーンは、圧倒的な人間存在の可能性である。

介助者と天畠さんのやり取りはノーカットで、「あかさたな」と声に出す介助者と、硬直する身体を揺らせながら一文字を合図する天畠さんの様子をそのまま映し出す。
よ、わ、さ、1分15秒かけて「弱さを受容してほしい」というひと言が押し出された。
何年も時間を共にしている介助者だからこの時間だったが、慣れない介助者だったら、膨大な時間がかかるという。

1分15秒と言うのは、通常の発話であれば、原稿用紙1枚以上の情報が発信できる時間だ。が、このシーンでは、天畠さん、介助者、そして柳田さんの三者は、一つの言葉が生まれる過程を共有し、互いの時間の余白にそれぞれの思いを注ぎ込みながら、天畠さんの生み出す一言を待ち受ける。ひとつの言葉を生む天畠さんの思いのすべてを聴く、そのようなシーンである。

思いというより自己の意思を伝えることがここには描かれている。発信する時間とプロセスも含めてが自分の意思なのであり、そのことの全てを受け止めることが聴くことなのだ。その関係性によって、天畠さんの世界は成立している。
この対話を成立させているのが柳田邦男さんで、柳田さん自身が生と死、人間存在や意思決定についての当事者体験としての洞察を重ねてきたことで、天畠さんの言葉をより深く響かせているようだ。

そして、柳田さんはさらに天畠さんの内面の葛藤へと迫っていく。
「研究者としての天畠さんが、介助者とともに文章化する時、どうしても介助者が介入して介助者の「予測変換」的な思考が入ってくる。そのことを天畠さんはどう捉えているのか」
この設問は、天畠さんの抱える大きなジレンマだった。

研究者として博士論文を手がけるとなると、介助者と高度な議論を重ね、意見を交換しながら執筆していく。しかしある時点から天畠さんは思い悩む。そのようにして書き上げた論文は果たして自分の論文と言えるのだろうか。人の手を借りて書いたものは、だれのものなのだろうか。
そこから天畠さんの新たな研究体制の組み直しが始まる。それはそれぞれの本質的な検証作業で、無意識に信頼関係が依存関係にすり変わってしまう危うさの気づきや共有を経て、天畠さんは新たな協働の形を作り直していく。
柳田邦男さんは、それを「介護、介助の本質だ」と評したが、まさにそれは、この社会の多様性や共生を自分自身を主体として引き受け、組み直した取り組みである。

人の手を借りて生きていく。そのことを考え続けた天畠大輔さんは、その著「〈弱さ〉を〈強さ〉に」でこう記している。
「他者の意見に左右されながら、そして協働しながら、モノを生み出していくことは、障がいがあるゆえの特別なことではなく、人間誰もがそういった側面を持っています」

コロナの日々の経験を経て、私たちは「弱さを受容する」社会へ歩むことができているのだろうか。
実はこのことは様々な流れに合流している。例えば、「認知症を受け入れる社会」「認知症と共に生きる社会」とは弱さを強さにする社会であり、認知症当事者の言う自己決定や発信は人のつながり、協働の中ではじめて機能する。
なにより、この番組の密度はこの共生社会への天畠さんの渾身のメッセージである。共に生きるという共生の社会について、天畠さんが示す意味は深くて広い。私たちはどう読み取るのか。

番組の終章には、天畠大輔さんの「能力がないことが「強み」なのです」という言葉が置かれるが、このことの普遍の意味合いについて、京都大学の数理哲学者、出口康夫教授はコロナ後の世界とは、「できない」が基軸の社会である、とこう語っている。

「近代社会は、人間を「できる」ことの束ととらえ、「できる」ことに人間の尊厳を見いだし、自分のことを自分で決めることが「できる」という自己決定を倫理や法の根本に置きました。しかし近代社会のいろいろな限界やあつれきが表面化した結果、哲学でも人間の弱さやもろさに注目する動きが出ています。
誰もが根源的な「できない」を抱えていて、支えられなければ一日たりとも生きていけない存在です。そこに、人間のかけがえのなさを見いだすべきなのです(2020/10朝日新聞・コロナ後の世界を語る)」

もともと「おしゃべり大輔」と少年時代言われていた天畠大輔さんは、四肢の硬直はあっても映像の中の彼は表情豊かで、とびきりの笑顔を見せ、その存在は私たちにどんな時でも前向きに社会を進ませる力を示している。

冒頭、「潜水服は蝶の夢を見る」と始まったこの番組のラストは、幻想的な海峡を渡るアサギマダラ蝶の群舞である。蝶は、私たちの夢を現実化する軽やかな羽ばたきをもたらすのだろうか。

|第190回 2021.10.21|

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