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夏の終わりに、人生という四季を思ったりして…

コラム町永 俊雄

▲京都の東山高校の入り口の石碑。東日本大震災からの復興を願って建てられたという。この学校は仏教系なので、ここでの共生は、現世世界を超えての「とも生き」の理念があるのだろう。

今年の梅雨明けを気象庁が、過去にないほど大幅に修正した。
関東は6月の末に梅雨明けとされていたのが、「すまん、実は7月23日頃だったことにする(こんなふうにいいかげんに言ったわけではないが)」と、一ト月近くずらして修正したわけで、これほどの大幅な修正は過去になかった。
北陸と東北は、ついに梅雨明けの時期は特定できなかったということなのだが、これはすでに予報の難しさを越えて、この地球を取り巻く大規模な気候変動がどこかに影響しているのだろうと思う。とても予報官を責める気にはなれない。

思えば私たちの日常は、気象の変化、四季の移ろいの中に心象を育ててきた。
和辻哲郎の著「風土」を持ち出すまでもなく、私たちは、この国のモンスーンの湿潤に繁茂する自然に包まれ、そして自然に生かされている感覚を育んできた。

私たちは、自分の人生を四季のめぐりになぞらえ、青春に旅立ち、灼けつく朱夏の中を突き進み、白秋にたたずみ、玄冬にゆく手を見据えながら、ひとり老路を歩んでいく。
私たちの人生観は、このモンスーンの風土の自然観につちかわれてきた。

中国の五行思想では人の一生を、青春、朱夏、白秋、玄冬と季節の動きの中に描く。
いい言葉だ。人生は天の星々の運行のようにして季節をめぐる整然とした秩序なのだ。
玄冬とは、通常は人生の冬としての老年期を示すとされるが、一方で、まだ木々が芽吹く前の暗い冬であり、人生のとば口以前の幼少期をあらわすとする解釈もある。なるほど、暗い地中の眠りから目覚めるようにして人生が芽吹くわけだ。

そういえば、あのビバルディの協奏曲「四季」は、私は、第四番の「冬」から聴くのが絶対のおすすめだと勝手に思っている。
激しく打ち震えるソロヴァイオリンで凍てつく冬の情景が奏でられ、暖かな居間の心地よさを思わせるラルゴを挟んで、終楽章のアレグロは、ソロを受け継いだトゥッティ(合奏)が、氷と北風の世界を、打ちつけるような弦の激しさでかき鳴らす。
この厳しく攻撃するような「冬」の演奏が過ぎてやっと、あの一斉に花開き、スキップするような第一番の「春」の協奏曲に出会うことになる。
聴き慣れた「春」が全く違った新鮮な世界に聴こえるはずで、思わず、深々とソファに座り直したくなる。これが「四季」だ。ぜひ一度聴いてみてほしい。
・・まあ、余談だな。

しかし、この人生の四季が、今、地球の吹きすさぶ気候変動の中にあって、その秩序が乱れてしまっている。輝く青春は沈鬱に押し黙り、朱夏の人々は疲れ果て、豊かな実りのはずの白秋は嘆きに枯れ、玄冬は誰からも疎んじられる孤立の季節となってしまった。

どうしてこうなってしまったのだろう。
それは私たちの人生から風土の息吹が掻き消えてしまったからではないか。
いつの間にか、私たちの人生は経済社会の適応型にデザインされ、青春は教育という産業労働養成課程に幽閉され、朱夏という成人は生産人口数でカウントされ、白秋は定年でお役御免、玄冬は高齢者という社会保障の負担として捉えられ、人生を貫くのは、年齢差別というエイジズムとなっている。
私たちの人生は、気候変動よりも社会変動の嵐に巻き込まれてしまっている。
私たちはどこかの時点で、自分の人生から「季節」を見失ったのである。

今では多くが、こうしたモノクロームの自分の人生を当たり前のものとして受け入れているが、実はそうした社会にプログラムされた人生というのは、私たち人間の歴史の中ではたかだか産業革命以降、近代の中でも戦後の経済成長の中で植え付けられたシステムでしかない。

本来は、私たちの暮らしは春夏秋冬という多彩な季節を生きることで成り立ってきた。
しかし同時に言っておかなければならないのは、自然と共に生きると言ってもその人生は、花鳥風月ののどかな世界とは限らない。自然は苛烈である。モンスーンの風土は台風、大地震、津波、豪雪などなどの自然の猛威が全てを薙ぎ倒すように次々と襲い来る。
繰り返されるその甚大な被害に、私たちはその度に呆然とする。

しかし、風土から逃れることはできない。
だからこそ、この風土の中で私たちは、自然との調和や忍従を探り、何より懸命に、支え合う共同体を作り上げてきたのではないか。
和辻哲郎の「風土」については、自然が人間を規定するという環境決定論と見る向きもあるが、私はそれはいかにも浅読みではないかと思う。「風土」のサブタイトルは「− 人間学的考察 −」となっていて、その序言には次のような記述がある。

「たといここで風土的形象が絶えず問題とせられているとしても、それは主体的な人間存在の表現としてであって、いわゆる自然環境としてではない」

つまり、自然と共にあるというのは、私たちの「主体的な人間存在の表現」なのである。
いま、社会課題として与えられている感のある「共に生きる」を考えるとき、季節の動きの中での「主体的な人間存在の表現」で捉えなおせば、仏教で言う「とも生き」の方がしっくり来るかもしれない。そこでは人間だけではなく、生きとし生けるもの、自然も小さな虫でさえも、共にこの世界に生きるもの、生かされているものとして、謙虚に受け入れていく思想だ。

おそらく、とも生きの時代には、認知症の人、ボケた老人もまた、その自然の中で童(わらし)のようにして遊んでいたにちがいない。そのような時代を生きたあの良寛さん、越後の良寛禅師は、晩年死期を悟ったとき、つぶやくようにこう詠んだと伝わる。

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

へめぐる季節の中で、誰もがやがては「散るもみじ」であるという無常感を漂わせながら、人生の裏も表も、主体的な自分の存在表現であるとして、私たちはこの風土を生きていく。

夏が終わりかすかな秋の気配の風に吹かれて、自然と共に生きる人生を、柄にもなく思ったりして…

|第221回 2022.9.7|

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