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認知症の市民向けセミナーは、本当は難しさに溢れている

コラム町永 俊雄

▲「共に生きる」認知症を考えるオンラインセミナーでの認知症の当事者のさとうみきさんと夫の佐藤洋平氏をはじめとした参加者の皆さん。現在の認知症と共にある社会を幅広い人々に語りかけた。

9月はアルツハイマー月間ということで、認知症関連のイベントのひとつのウェビナー、「共に生きる・認知症を考えるセミナー」に参加した。

これはケア事業を展開している企業SOMPOと、朝日新聞のWEBメディア「なかまぁる」とのタッグで開催されたものだ。
実はこうした市民向けのイベントでの講演やディスカッションは意外に難しい。学会や専門職、あるいは地域福祉に関わる人々での講演会であれば、最新知見をもとにより鋭角に深い地点まで語り込めばいいのだが、一般の生活者に対しては、どこに焦点を合わせればいいのかが確定できない。なるべく関心度のレンジを広くとって、暮らしの言葉で語ることが求められる。

これが難しい。関心度のレンジと言っても、どこかに認知症になりたくないという怯えを抱く人がいるはずなので、最初からその人を排除はできない。むしろ、そうした人々の関心をどう拾い上げ引き込みながら、認知症と共に生きることを語るのか、むしろ試されるのはこちらである。よく、この手の講演会などで共生を胸張って語りながら、一方で生活者の素朴な感覚を排除している不幸な論調が結構目立つ。

認知症のある人を支援と被支援の関係に置くのではなく、水平なパートナーとする、というのは、現在の専門職や関係する人々の合意と成果であり、多くはこの地点から認知症を語り始める。このことが坑道の切羽のドリルのような推進力を帯びて、この認知症の社会を切り拓いてきたのは間違いない。
しかし同時にこんな声をどこかに置き去りにしてはいないか。

うちの父ちゃんが認知症と診断されたときに、えっ、水平? なんやそれ、いきなりそんなこと言われてもオロオロするばかりだ。父ちゃん、ちゃんとせなあかんよ、しっかりしてな、と叱咤激励がいけないのなら、私、どないすればいいのや(なぜか関西弁になっているが他意はない)、そうしたうろたえに同伴するようにして、どう語るのか。

私は、こうした市民向けの認知症のイベントがこれからより重要な役割を果たすと思っている。
単一の観念で上塗りされた専門的な認知症ではなく、ためらい、口ごもり、怒りや、そして喜びに満ちた生きた人間観と重なる認知症観を造形しなければならない。

だから、このイベントの親しみやすさの演出の裏には運営する側の問題意識がギリギリと問われ、その難易度は高い。高名なゲストを呼んで話してもらってチャンチャン、というわけにはいかない。

でまあ、私がいうのもなんだが、このイベントは少なくともそのことに挑んでいた。
認知症への関心が一定水準に達したからこそ、多様な視点を交差させ、今一度社会全体を底からさらうようにして認知症の社会を一望できる基準点としての現在地を探る、そんなイベントであった。

基調講演は、北里大学病院、相模原市認知症疾患医療センター長の大石智さんの「認知症のある人と向き合う態度と言葉のヒント」である。
私は企画の当初、この実際的なタイトルだけを見て、ひょっとしたら、「こういう言い方が良くてこういう言葉はNGです」といったマニュアル的な話だとちょっと違うかなとかすかな違和感を持ったりもしたのだが、大石さんの講演は全く違った。
大石さんが繰り返したのは技法ではなく、ご自身も含めたそれぞれの認知症観の誠実な検証を促す内容だったのである。

大石さんはまず、診察室での医療者としての自分から語り始めた。
「自分の医療は認知症のある人から見たらどう思うだろうか、自分に対しても批判的に自分のふるまいを吟味し、省察することから始めた」と語るのである。

また言葉としては、専門用語を多用することで医療化を促してしまうことを指摘した。
医療化とはもともと社会学の言葉だが、私たちの逸脱行為などをなんでも医療の診断と治療の対象に取り込んでしまうことである。例えば、誰でも怒りっぽい人はいるのだが、それが認知症で、暴言や易怒性という診断用語が下されると安易な薬の処方につながってしまうといったことである。

大石さんは、どんな言葉がいいのか、といった単純な正解の提示は慎重に回避し、あくまでもそのヒントとしてさらに本人の心情を想像することへと向かう。
本人と対話すること、そうすると、認知症のある人は豊かに物語ることができることに気づく、そのことを教えられるといった指摘は、大石さんの内省的な語り口とあいまって、誰もが自分自身の認知症観、価値観、内在するスティグマを見直すための豊かな「態度とヒント」になったに違いない。

続くセッションがパネルディスカッションである。
パネラーは、基調講演者の大石智さんに加えて、認知症当事者のさとうみきさんと夫の佐藤洋平さん。ケアの立場から「認知症専門デイサービスOASIS」室長の遠藤祐子さんである。

このセッションの語り合いでは三つのステージが設定されている。
最初は、「認知症かも?」という異変を感じた時。次のステージが「診断直後の戸惑い」。三つ目が「認知症を受け入れ、新たな認知症と共に生きる人生への歩み」である。

これもまた新たな市民セミナーの特色であろう。
通常、認知症を語るときには、どこに焦点化しテーマ設定するかが大切なのである。医療情報としての先端を語るか、地域福祉から見た認知症であるか、あるいは当事者発信を紐解くのか、といった具合に。
しかし、ここでの三つのステージはあまりに網羅的、俯瞰的である。ひとつのステージを語るだけでたちまちタイムアップになる。

しかし見方を変えれば、これは認知症のある人の人生の縮図であり、認知症と共にある社会の全体図なのである。生活者というのは、専門に細分化された社会に暮らしているわけではない。統合され、それぞれが連続する自分の人生の時間軸の上を暮らしている。

私たちはどこにいて、どこに向かうのか、超高齢社会を航海する私たちの人生航路の海図のような役割として、このセッションが設定されている。ファシリテイトする難易度は高い。

このセッションで私は、認知症当事者のさとうみきさんご夫婦を軸に置いた。
何より夫婦というのは他者同士のもっとも緊密な結びつきと葛藤の関係性で、言い換えればこの社会をかたちづくる最小の共生単位なのである。

もちろん、夫婦と言っても多様で、その歴史、関係、愛情表現それぞれが全く違う。だからいいのである。人間関係の多様や認知症の多様性というと、自分と離れた抽象概念になりがちだが、夫婦の多様性はとても馴染みやすく、自分との距離感が実感できる。

みきさんと夫の洋平さんお二人のたたずまいは、その情報量が豊かだ。
自身が医療者ということもあって冷静さの洋平さんに、感情表現の豊かなみきさんとの間合いが絶妙なのである。互いに目を交わしながら弾んだトークは、できたらここで再録できればいいのだが、残念ながら紙幅に余裕がない。トークでのひとつのエピソードを紹介する。

みきさんが3年前に診断を受けたとき、洋平さんにも一緒についてきてもらった。
そこでみきさんは若年性アルツハイマーの診断を受けた。認知症当事者のほとんど誰もが、診断を受けたその時点で自分の人生が断ち切られたような衝撃を受ける。認知症の困難とつらさは、その瞬間に押し寄せるという。

一瞬だったか、かなりの時間だったのか、真っ白になったみきさんの頭の中に雪崩れ込んだのは、自分のことより家族のことだった。
まだ子供は未成年、働き盛りの夫、寿命が短いとするネット情報などが頭を駆け巡り、気がついたら、ただただ申し訳ないと、泣きながら洋平さんに「ごめんなさい」と繰り返していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」、繰り返すたびに、みきさんの目からはポロポロととめどなく涙が出た。

そばにいた洋平さんは何を言っていいのか言葉が見つからない。モニターの脳画像を見れば診断は理解できた。しかし、涙を流してごめんなさいと謝る彼女の思いに、かける言葉がなかった。とても大丈夫だ、などと分かったようなことは言えない。

思わず洋平さんは、みきさんの膝をポンポンと叩いていた。ただポンポンと。
そのときどんな思いだったのか、後から思えば、何があっても、みきを見捨てはしない、そのことだけを伝えたくて、気がついたら思わずポンポンと膝を叩いていたのだという。

冬の日差しが射し込むクリニックの診察室に、みきさんの膝をポンポンと叩く洋平さんとその度に小さく小さくうなずいているみきさんを、医師と看護師が見守り、静かに二人の時間が流れていたという。

これはこの夫婦の人生で最も厳しいつらさの局面で、互いのぎりぎりの思いを交差させた情景である。そしてそのことが、現在のこの夫婦の新たな関係のきずなの起点ともなっている。

そして、市民セミナーの本当の難しさは、実はこのセミナーを聴いた側にある。
このエピソードをどう聴いたのか。ここから自身の認知症観をどうたちあげるのか。誰かの解釈や正解に依ることなく、自分の中の想いやスティグマを探り当てることができるだろうか。
語る人、聴いた人の双方が互いの膝をポンポンとたたくようにして生み出す何かがあるはずだ。

そしてそれは、聴いた人の側、市民社会の私たちに祈りのようにして託されている。

|第223回 2022.9.28|

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