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「スローショッピング」はいかにして生まれたのか

コラム町永 俊雄

▲岩手県滝沢市のスローショッピングの様子。この取り組みは2019年のNHK「認知症とともに生きるまち大賞」特別賞となっている。右下に、紺野敏昭医師と町永氏。

「スローショッピング」という取り組みをご存知だろうか。
認知症のある人が自分自身で買い物ができるように、地元のスーパーや地域の人々がバリアフリーの取り組みをすることで、人や地域が大きく変貌した注目のまちづくりだ。

3年前に岩手県滝沢市から始まったスローショッピングは岩手県内はもとより、今や、福岡県行橋市、三重県伊勢市、秋田県鹿角市、そして福井県民生協のスローレジなど、形態を変えながら全国各地に広がっている。
岩手でスローショッピングを始めたのは、滝沢市でクリニックを開く認知症専門医の紺野敏昭医師である。

スローショッピングはさまざまなメディアで取り上げられ随分と知られてきているので、ここでは単に取り組みの紹介ではなく、その背景にある地域の現実や実践、ひとりの地域医療を担う医師の思いなどに焦点を当てたい。むしろそのことが、スローショッピングという取り組みや、まちづくりの本質が見えてくると、私は思っている。

スローショッピングを提案した紺野敏昭医師は、岩手県住田町に生まれ、岩手医科大学を卒業すると、久慈、大船渡、釜石などの県立病院に勤めた。
元々は神経解剖学から脳外科専攻だったのを、その後、症候学の奥深さに接して神経内科に移籍したのだと、酒酌み交わしながら、赤い顔してやや照れながら語ってくれたことがある。

症候学というのは、患者の訴えを丁寧に聴き、観察し、そこから診断に結びつけるという、いわば人間学であり、臨床医学の基礎とされている。だから、紺野医師は70過ぎた今も、診察室で、地域のお年寄りと世間話しながら診察を続けている。

これは、ご本人も語っていることなのでここでも触れるのだが、紺野さんは、日常わずかに右足を引きずる。一歳の時に小児麻痺にかかり、物心ついて2回の手術を受けた。日本でのポリオの流行は1949年頃からとされているから、その極く初期に感染したことになる。

彼の御母堂の嘆きは深く、生涯、「こうなったのも自分のせい」と自らを責め続け、息子には医師となってからも県内に留まることを懇願したという。母の一途な愛情は多感な青年期には負担でもあり、ポリオ後遺症での思春期のつらさなどの葛藤の中、彼は自身の存在理由を問い続けながら成長した。

「地域の中に、人のそばに、」といった紺野敏昭医師の、地域と人への濃厚な思いは、こうした幼少期からの人格形成の中で植え付けられたのだろう。
スローショッピングが生まれるのは、そうした彼の人生観やふるさとや、人間学としての地域医療への想いから湧き出していった物語でもある。人は自分のつらさや葛藤の中から確かなものを生み出していく。

実は、スローショッピングを発想するだいぶ以前から、紺野医師は地域での、多職種によるネットワークの構築に取り組んでいた。
これは行政の参加を待たず、彼の属する岩手西北医師会が認知症医療に関する連携体制を構築するという、例のない自治体を跨いでの医師会主導での取り組みだった。

岩手西北医師会は、岩手県滝沢市を含め、5つの市と町からなる地域だ。有病率から推計すると認知症の人は5,000人で、そこに認知症などの脳疾患を診る医師はわずか5人、うち認知症専門医は紺野医師だけ、という現実が横たわっていた。多職種連携は、極めて切実な要請だったのである。

あえて言えばこの連携は、医療内の「多」職種ではなく、地域の「他」職種との連携の構築でもあり、それはほとんど「まちづくり」ネットワークのようなものでもあったかもしれない。

まず、医師会が率先して、認知症医療に関わる医療連携を作り、それから各自治体の地域包括支援センターや介護職の参加を呼びかけた。
そして現在では、薬剤師、民生委員、家族の会や各社協、さらには一般の認知症サポーター、キャラバンメイト、スーパー事業者などの地元企業など広範な地域住民が構成メンバーになっている。
2013 年に立ち上げた「岩手西北医師会認知症支援地域ネットワーク」は、いま「やまぼうしネットワーク」という愛称で地域に親しまれている。

「地域の中に、人のそばに」と、このネットワークは、医療者たちが立ち上げた具体的な診断後支援であり、もうひとつのまちづくりでもあったのだ。

診察室での紺野医師は普段、白衣を着ない。ワイシャツに腕まくりで患者と向き合う。患者というより地域の人々である。
じっくりと話を聞き、脈を取ったり聴診器を当て診断し、必要なら薬を処方し、「お大事に」と送り出す。診察室を身体をかしげながら出ていくお年寄りが、いつも紺野医師は気にかかる。この後の暮らしはどうなのだろう。一人暮らしや老夫婦二人の暮らしだとなおさら気にかかる。

いうまでもなく、高齢者、認知症のある人の医療は、診察室では完結しない。
なにかできないか。そこから紺野医師は社会的処方として「スローショッピング」を発想したのだという。

紺野医師には、医療連携のネットワーク構築の手応えがあった。そこに多くの地域住民の参加を呼びかけたらみんなが参集した。自分達の地域なのだという意識は誰にもある。これはできる!と思った。
ネットワークは支援する機能だが、本来は地域の人が主人公である。では、認知症のある人はどうなのだろう。

外に出る機会がない。出してあげる、でいいのか。外に出たいのではないか。そうか、買い物がある。と、こんなふうに思考が積み重なったかどうかはわからないのだが、おそらく、やまぼうしネットワークという医療連携システムと、スローショッピングとは、発想の底の部分で緊密なつながりを持っているのだろうと、私は思っている。

「スローショッピング」、考えるほどに可能性があるように紺野医師には思えてきた。あとは地元企業のスーパーチェーンに働きかけなければならない。ここで紺野医師は臆病になった。ここで断られたら実現の道は途切れる。スーパーの側の反応が怖かったという。
「スーパー事業は薄利の積み重ね。そんな余裕はない」
「コストがねえ」
「他の客の迷惑にならないか。クレームがつかないか」

そんなことばかりが頭をよぎってハードルが高く、2年余りが過ぎた。
が、コトは案ずるより産むが易しだった。(産婦人科医ではない紺野さんはここが弱かったか)
意を決して、地域包括支援センター、社協の人とともにスーパーチェーンの会長と社長、統括マネージャーといったそうそうたる幹部陣に面会し、熱く「スローショッピング」構想を語った。
聴き終わった会長とマネージャーたちは、ほんのちょっと間を置いてから互いに顔を合わせ小さくうなずくと、「やりましょう」と快諾したという。
かくして、地元の企業体自体もここから地域福祉、まちづくりの重要な「仲間」となって成長していく。2019年のことだった。

このようにして「スローショッピング」は誕生した。
コロナの日々で2回中断した時期もあったが、現在は、さまざまなイノベーションを重ね、地域とそこに関わる人々を大きく変えながら、当たり前の地域の風景となっている。

私たちの社会での取り組みは、どうしても最大の結果を引き寄せることを目的化してしまう。しかし、地域での取り組みは、まず地域の現実を見つめることから始まる。見つめるのは、課題ではなくむしろ、地域に潜在する福祉ストックという力である。

確かに当初は「認知症のある人のために」という支援観があった。しかし、それは今、「認知症のある人がいるから」に代わっている。あの人たちがいるから、みんな集う。あの人たちがいるから、安心の地域になる。あの人たちがいるから、わたしも認知症を学ぶ。あの人たちは、私たち。

ひとつひとつ、自分のできることをつなぎ合わせて、自分を変え地域を変え、社会を変えていくような大きな結果を育てた北国の人口5万5千の滝沢市。

滝沢市は、チャグチャグ馬コの祭りで知られる。自然風物の中の一体感のある初夏の風物詩だ。
また、滝沢には南部片富士として親しまれている岩手山がある。燃えるような紅葉が始まるとやがて厳しい冬が近づいてくる。だれもが暮らしを確かめるような四季の中にあるこの地でスローショッピングが生まれたことは、何か、この社会の大きな希望のようにも思える。

滝沢市のスローショッピングは、認知症のある人とともに生きる地域として、全国からの視察がひきも切らない。

|第224回 2022.10.5|

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