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がんと共に歩む人とサードプレイス  〜「マギーズ東京」で考えたこと〜

コラム町永 俊雄

▲東京豊洲の「マギーズ東京」にて、センター長の秋山正子さんと。「がんと生きる」フォーラムでは石川県金沢市の「元ちゃんハウス」のがんの当事者の皆さんとオンラインで結んで語り合った。

サードプレイスという言葉がある。直訳すれば第三の場所、ということになるが、ま、何も難しい概念ではない。家庭や職場以外の第三の心地よい居場所がサードプレイスである。
ヨーロッパのカフェや公園を思い浮かべればいい。ふっと息抜いて、リラックスでき居心地がとびきりいい場所、それがサードプレイスだ。

この言葉が最近注目されているのはコロナの日々もあって、この社会の閉塞感の向こうの光明として捉えられているからだ。
とりわけ都市生活においては、駅前のマンションにガチャリと鍵かけてあとは駅から職場に満員電車に揺られ、毎日がその繰り返し。家庭と職場の往復運動で、ふと交差点で立ち止まっては、「なんだかなあ…」とため息をつく。

かつては、オヤジとしてのサラリーマン生活では、赤提灯がサードプレイスであった。(私は下戸で小市民的家庭人だったので、赤提灯体験をしていないのだが)。
そこで「てやんでえ、課長のバカやろう」とクダをまき、明日の活力を取り戻したのだという。ほとんど植木等のサラリーマン物語である。

しかし本来のサードプレイスとは、鬱憤ばらしの場ではない。自分に求められている職能や役割、機能でがんじがらめの自分を解放し、自分を取り戻す居場所である。
パリのカフェやロンドンのパブのように、ゆったりと自分をほぐすようにして、ただそこにいること自体が心地よく、周囲には人がいて、風景の中に時間が流れ、アフガンハウンドと散歩する女性と微笑みを交わすことができる(場合もあるかもしれない)。

サードプレイスを提唱したのはアメリカの都市社会学者のレイ・オルデンバーグで、それは市民社会、民主主義、社会参加の基盤であり、なによりコミュニティ機能の再生だとしている。
確かに、摩天楼と自動車という垂直と水平に爛熟の資本主義経済で埋め尽くされた感のあるアメリカ社会では、サードプレイスの存在は、人の世の崖っぷちでの踏みとどまりの場であろう。

では、この国ではどうか。
書斎の窓からは、幼稚園で節分行事があったのだろう。画用紙の鬼の面をつけた園児たちが送迎バスから降り立って迎えの親にしがみつく様子が見える。
そう、実は私たちの社会には豊かなサードプレイスが存在している。
私たちが「ふるさと」と思う時、多くはサードプレイスの風景を思い浮かべる。懐かしい家並み、思い浮かぶ人々の笑顔。声かけあう暮らし。

かつての地域社会には、どこにも縁台があり縁側や土間もあって、それは公と私、つまりパブリックでもプライベートでもない第三の居場所と言うべき緩衝地帯を家々は備えていた。
そこに立ち寄ってはお茶を飲み、話を交わし、将棋を指し、路地の子供達を見守った。駐在さんや御用聞きもそこに加わった。私たちの暮らしはサードプレイスの中にあったのである。カフェもパブも軒先にあったのである。それが私たちの「共に生きる」共同体を成り立たせた。私たちのサードプレイスはほとんど、ふるさとの原風景となって記憶されている。

しかしそうした私たちの風土としてのこの国のサードプレイスは急速に失われつつある。とりわけ地域の人口減少、高齢化が追い打ちをかけた。もはや故郷は哀しみのノスタルジアの中にしか描けない。
だから、まちづくりなのである。この社会はどうあったらいいのか、今、各地で取り組まれている居場所づくりや認知症カフェなどは、実は私たちのサードプレイスの記憶に基づいた意識的な地域の再構築である。私たちの豊かな地域の福祉ストックの再確認であり、コミュニティの再創造なのである。

コミュニティとは所与のものとしてあるのではない。そこで暮らす人々が織り上げていく暮らしの舞台である。
先日、自分を取り囲む切実な現実から、サードプレイスに集う人々とフォーラムを開いた。

私たちが定期的に開催する「がんと生きる」フォーラムは、この日、東京豊洲の「マギーズ東京」と石川県金沢の「元ちゃんハウス」とオンラインで結んで、「がんと共に生きる」をテーマに語り合った。「マギーズ東京」も「元ちゃんハウス」も共に、がんになった人や家族が気軽に立ち寄ることができる病院でも、職場、家庭でもない第三の居場所だ。

自分のがんについての相談もできるし、何を相談したいのかもわからずに自分の中のモヤモヤを打ち明けていく中でだんだんと顔を上げていく人がいたり、ただそこで本を読みながら過ごす人、片隅で声にならずにしのび泣く人のかたわらに人がいる。ぬくもりのある大きな一枚板のテーブルを囲んで語り合ったり、あるいはひとりで過ごすためのソファがあって、窓からの日差しや風景を眺めて過ごしたりすることができる。

このサードプレイスとしての居場所は、がんになった人々が自分の中の不安や悩みを抱えながら訪れる。がんの不安は、自分で抱え込んでいればどんどんと膨れ上がる。がん細胞については、先進のがんゲノム医療などで飛躍的に進歩しているのに、なぜ不安は居座るのだろう。

「マギーズ東京」のセンター長の秋山正子さんは、長年、看護師として患者と向き合ってきた経験を持つが、フォーラムではこんなふうに語る。
「ここに来るがんと共に歩む人たちは(秋山さんはがん患者とは呼ばずに「がんと共に歩む人」と語る)、お話を聞いていると、がんの不安以外のことで悩んでいることが多いのです。家族のことや経済のことを心配する場合もありますが、どこかご自分でも気づかないままに、自分の人生の深い悩みであったりするのです」

がんと共に歩む人が悩むこと、それはどこかで私たちが見過ごしてきた大切なことを示しているのかもしれない。「マギーズ東京」も金沢の「元ちゃんハウス」もそんな人々が集う場所である。語り合う中でがんと共に歩む人々は、「がん患者」と言うラベリングから、新たな自分自身を取り戻す。自分とは何者であるか。

秋山さんはこうも語った。
「そうしたがん以外の悩みや不安には答えはありません。答えのないことに悩んでいるとも言えるのです。ですがここは、その答えを提供するところではありません。この社会はどんなことにも答えを求めすぎています。そのことは実は解決にはならないのです。それががんと共に歩む人々の悩みです。
どうすればいいのか。答えのないことにひたすら寄り添うことです。聴くことです。そうしてがんと共に歩む人が、また自分の力で歩んでいけるように」

「マギーズ東京」は2016年10月にオープンした。
5周年となった2021年に、英国マギーズセンターCEOのローラ・リーとのオンライン対談が行われそこで、秋山さんとローラ・リーさんはこもごも、コロナの日々の中のことをこう語っている。
「マギーズがドアを開け続けていた意味は大きかった」

ドアを開け続ける。
新型コロナの日々、世界は閉じていった。私たちの暮らしもそれぞれのつながりが閉じていった。ドアを開け続ける、そのことは困難の中でも相談事業を続けていたことを突き抜け、この社会の閉塞に差し込む陽射しのような、そんな想いと意思を感じる言葉だ。

ドアを開け続ける。
私たちの社会はそのようなサードプレイスを持っているか。

|第236回 2023.2.7|

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