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「新しい認知症観」を創り直す

コラム町永 俊雄

▲夏の盛り、木陰が嬉しい。こうした木陰に共生社会がある。普通の日常、普通の風景。普通を普遍とする。そのためには一人ひとりの誰もが小さくとも何かを創り直す、そんな時代だ。

さて、いきなりで申し訳ないのですが、「新しい認知症観」とはどういうことでしょう? と聞かれたら、みなさんはどう答えますか。
たぶん、このコラムをお読みになっているみなさんなら、鋭い問題意識と経験にもとづいて、自分なりの見識をくっきりと述べることができると思います。

では、そのあなたが駅の雑踏に立ち行き交う人々に向かって、「ちょっとすみませんが、あなたにとって「新しい認知症観」とはどのようなものでしょうか」と尋ねたらどうでしょう。どんな答えが返ってくるのでしょう。あるいは、どんな答えをあなたは期待しているのでしょう。

いや、いかにも唐突な設定なのかもしれません。でも、認知症基本法は今、そのことを求めているのです。

「新しい認知症観」について最近またよく言われるようになっているのですが、その発信元は、これからの認知症施策の基本計画を作るための関係者会議です。その項目に「新しい認知症観」が挙げられているからなのです。
政府の、その基本計画の叩き台といった素案の前文には、こんなふうに記されています。
「共生社会の実現には、「新しい認知症観」に立ちながら、認知症の人や家族などと共に施策を立案していく」とあるのです。

となると、その「新しい認知症観」ってどう考えればいいの?、となりますね。何を今さら、という感じもしないでもありません。

さて、ここからが今回のコラムの本題です。
あなたは、この「新しい認知症観」をどう考えますか?

認知症の当事者発信が盛んになって多くの人が「新しい認知症観」に基づく様々な取り組みを展開しています。では、ここで改めて私たちの認知症観を確認してみませんか。

「認知症になっても何もできない、わからない人ではない」 ふむふむ。当事者の声からだ。
「医学モデルから社会モデルに」 専門職や医療者かな。
「認知症と共に生きる」 当事者の声を受けての地域活動だな。
「認知症を見るのではなく、人を見よ」 認知症の人の権利を謳ったケイト・スワファーの言葉だ。

ではちなみに、政府の基本計画素案には「新しい認知症観」とは、どう書かれているのでしょう。
こんなふうに記されているのですね。

「共生社会の実現に向けては、認知症になったら何もできなくなるのではなく、できること・やりたいことがあり、住み慣れた地域で仲間とつながりながら、役割を果たし、自分らしく暮らしたいという希望があることなど、認知症の人が基本的人権を有する個人として認知症とともに希望を持って生きるという考え方」(「新しい認知症観」第4回関係者会議 資料1 内閣官房HPより)

まず「共生社会の実現に向けて」と書き出して、これまでの当事者の声も基本的人権も押さえて、内容自体は牛丼の全部盛りながら、まあまあソツがないと言えるでしょう。
でもどうでしょう。こうして改めて「新しい認知症観」を読んで、あなたは「なーるほど」と深くうなずいて、はい、わかりました、となりますか。これで新しい認知症社会にキッパリと歩み出すことになりますか。なんとなーく、それはそうなんだけどさぁ・・・・とか、ゴニョゴニョと呟くだけでどこかしっくりこないのではないでしょうか。

それは、「新しい認知症観」の答えを求めてしまっているからです。ここに列挙した声や見解はどれも誰かが言っていることです。あなたの中から生まれたものではありません。
これからの「新しい認知症観」とは、誰かの言葉ではなく、あなたの中の言葉でしか創ることはできないのです。
それはあなただけではなく、この共生社会の誰もが「新しい認知症観」を自分の中に創ることが求められているからです。それが誰もが「共生社会の実現を推進する」ということです。

いま、言われている「新しい認知症観」とは、実はこれまでの「新しい認知症観」と少し違った位相に浮上しています。同じ「新しい認知症観」と言いながら、この二つの認知症観はどう違うのでしょうか。
かつての認知症観というのは、「何もわからない人」に代表されるような根深い偏見や差別、スティグマにまみれていました。その古い認知症観を、認知症の当事者たちと「認知症とともに生きる」とする地域社会の変革の力としたのが、これまでの「新しい認知症観」でした。

対して現在、関係者会議で話し合われている「新しい認知症観」はそのことを踏まえながらも、未来に向かって限りなく拓かれるものです。いつも前段に置かれる「共生社会の実現」がその宣言でしょう。
つまり、ここでの「新しい認知症観」とは、私たちの共生社会の実現の推進力の役割を果たします。言ってみれば、「これまでを変えた認知症観」から「これからを変える認知症観」の分岐点に私たちは立ち会っているのです。

もちろん「新しい認知症観」が変わったと言っても、私たちが獲得した「新しい認知症観」の中身が変質したわけではありません。この「新しい認知症観」をこれからは社会に限りなく拓き、押し出して、共生社会の実現を推進していくということです。

そこで冒頭に、その限りなく拓かれることになるイメージとして、あの風景を描いたのです。
あなたが仲間内での熱心な話し合いの場から、今度は人混みに湧く週末の街頭に立って、「お急ぎのところすみません。あなたの「新しい認知症観」とはどういうイメージでしょうか」と尋ねるような、そんな風景です。

ガンジーは、「平和への道はない、平和こそが道なのだ」と言いましたが、そのひそみに倣えば、「共生への道はない、共生こそが道なのだ」ということになります。
共生社会は選択肢ではありません。とりわけ少子超高齢社会のこの国には、他に道はありません。

とはいえ、現実の共生社会とはなかなか厄介です。当然ながら、この社会には認知症の人とまだ認知症になっていない人がいて、そのまだなっていない人のかなりの人が本音では「認知症にはなりたくない」と思っています。
そのような人々にも、「新しい認知症観」を呼びかけることになります。そのような暮らしの中の語り口を私たちは持っているでしょうか。
「新しい認知症観」の語り口、それは誰かが語る言葉ではなく、自分の感覚と言葉で、自分の「認知症観」を創り直すことから生まれます。

例えば、「認知症とともに生きる」という言葉も、いわゆる関係者の間では言い慣らされ、語り尽くされた感がありますが、しかし、自分自身の「認知症観」を創り直すとは、こうした馴染んだ言葉こそを今一度磨き直す必要があります。

このコラムは、どちらかといえばまだ認知症になっていない私たちが、どう認知症を内面化するか、といったあたりを焦点としていますので、そうした私たちからすれば、どうもこの「認知症とともに生きる」を、心のどこかで「認知症の人とともに生きてあげる」としてしまっているんじゃないか、と思うことがあります。

認知症ではない人にとっては、どうしても認知症は他者性を帯びています。だって、なっていないのですから。理屈では自分ごとであるといくら自分に言い聞かせても、認知症でない以上、それは理屈の上だけを滑り、なおかつ心の底深いところでは、なりたくないとする心情がうずくまっています。
でも、私はそれは仕方がないと思います。むしろ、認知症にはなりたくないとする自分を否定しようと思い込むことには無理があります。そうした自分自身を認めた上で考えることが、「認知症とともに生きる」ということだと思います。

としたら、ことさら認知症だけを切り出すのではなく、自分の内面や自分の属する社会の側を探ることというふうに方向転換してみてはどうでしょうか。それが、あなた自身の「認知症観」の語り口を生むはずです。
それは現実にはすでに動いています。全国各地でのまちづくりは、そのようにして、ここにこそ「新しい認知症観」が根づいている、私はそう思います。

自分の「認知症観」を創り直す、とは、誰かの答えに依拠することではありません。
私がこうした「新しい認知症観」に対してかすかな危惧を覚えるのは、このことに誰もがひとつの「答え」を求め、その「答え」が出ると、なんとなく何かを達成した錯覚に陥ってしまうことです。

今の政府の関係者会議の基本計画は、やがて全国の地域自治体での基本計画の策定となり、地域の多くの人が関係者として参画していきます。
これからは全国の津々浦々に多様な一人ひとりの思い迷いながらの「新しい認知症観」が行き交い、そこでまた対話が始まることが共生社会です。

認知症観を創り直すとは、自分自身を創り直すようなものです。いつも外に向かって発信することは案外やりがいがある実感を伴いますが、自分自身に向かって自分で問いかけるのは、不慣れもあって戸惑います。
でも、それは難しいことでしょうか。

認知症の当事者たちは、不安と絶望から顔をあげ地域社会に歩み出し、自分自身の人生を創り直し、新たな自分と新たな地域社会とともに生きる共生の道を示した経験専門家です。

「新しい認知症観」を創り直す。ここにまた新しい力としての「認知症とともに生きる社会」、共生社会が創造されるはずです。

|第289回 2024.8.5|

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