認知症の人の不安を、行動から察することができますか?

当事者の声

わたしたちは、不安の中で生きています

――ときに、その不安が行動にあらわれてしまうこともあるのです。
認知症が進むにつれて、直前にしたことを思い出せなかったり、今いる場所がどこなのかわからなくなったり、大切な人の顔や名前があいまいになってしまうことがあります。時間の流れも、周りの様子も、なんだかぼんやりとして、安心できる場所が見えなくなることがあるのです。そんなとき、わたしたちは不安でたまらなくなり、安心を求めて家族に何度も同じことを尋ねてしまうことがあります。

「また同じこと聞いてる」と思われるかもしれません。でも、それはただ忘れているだけではなく、何か確かであってほしいという思いや、誰かに寄り添っていてほしいという願いの表れなのです。

たとえば、外に出て気分転換をしようと散歩に出かけたのに、帰り道がわからなくなってしまったり、自分から電話したのに、いざ相手が出たら、なぜか用件が思い出せなかったり……。それが何度も続くと、「私はどうなってしまうのだろう」「このまま自分が壊れていくのではないか」と、深い不安に襲われることがあります。

信頼している相手だからこそ、甘えたい気持ちやすがりたい思いが強くなって、「浮気をしているのでは」といった妄想や疑いに結びついてしまうこともあります。実際には何も盗まれていないのに、「財布がない!盗られた!」と思い込んでしまうこともあります。このような「もの盗られ妄想」は、近くで支えてくれている家族に向けられることが多く、そのことで家族が悲しみや疲れを感じてしまうことも、私たちにとっては本当に心苦しいことです。

けれど、こうした行動の裏には、言葉にならない不安や、自分を保とうとする必死な気持ちがあるのです。「徘徊」や「興奮」など、周囲には不可解に映る行動にも、私たちなりの理由があります。どうか「なぜこのような行動をとるのだろう?」と、少しだけ想像してみてください。そして、安心できる言葉やまなざしを向けていただけたら、私たちの心は少しずつ落ち着いていきます。

私たちは、病気になったからといって心を失ったわけではありません。今もなお、自分らしく生きたいと願い、周りとつながりながら、希望をもって歩んでいます。