昔の思い出を語ることには、不思議な力があります。懐かしい記憶をたどる時間は、心を落ち着かせるだけでなく、脳にも良い刺激を与えると言われています。この「回想法」は、1960年代にアメリカの精神科医ロバート・バトラー氏によって提唱された心理療法で、高齢者のうつ病治療から始まり、今では認知症のケアにも用いられています。
認知症のある方の記憶は、新しい出来事ほど忘れやすくなりがちですが、子ども時代や若いころの記憶は、案外はっきり残っていることが多いものです。回想法は、この特徴をうまく活かしながら、過去を語ることで気持ちを安定させたり、自分の人生をあらためて振り返ることができる方法です。懐かしい出来事を思い出すことで、その人の中にある「私らしさ」や「歩んできた道のり」が自然と引き出され、安心感や自己肯定感が育まれていきます。
回想法は、専門家のもとで行うグループセッションのほか、家庭でも気軽に取り入れることができます。たとえば、昔の写真を一緒に眺めたり、子ども時代に使っていたおもちゃに触れてもらったり、若いころによく聴いた音楽を流してみたり。そうした「思い出のきっかけ」を用意し、ゆっくりと話を聞く時間をつくることで、自然と記憶がよみがえってきます。
問いかけも、答えを求めるものではなく、「どんな気持ちだった?」「そのとき、誰と一緒だったの?」など、やさしく、寄り添うような形で行うのがよいでしょう。話すこと、誰かに聴いてもらうこと、そして気持ちを通わせること。それらが積み重なって、認知機能の維持や情緒の安定につながっていきます。
実際に、国立長寿医療研究センターでは、回想法を継続的に行ったグループのほうが、行わなかったグループよりも認知機能が改善したという報告もあります。目に見えて症状が治るというものではありませんが、本人が無理なく、むしろ楽しみながら取り組める方法であることが、なにより大きな魅力です。
日常の中に、少しだけ「思い出を語る時間」を持ってみてください。それは、本人にとって過去を確かめる機会であると同時に、今を共に生きる家族にとっても、かけがえのない心の交流の時間になるはずです。そしてそれは、「認知症とともに生きる」という希望の姿を、日々の暮らしの中にそっと灯すことにつながっていきます。