認知症の人と家族の会 会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」 2024年5月号(526号)

ー お便り紹介 ー

癒やされ、救われました福島県・Aさん 女
認知症の母の介護中に「家族の会」のカフェに母と共に参加し、話(悩み、愚痴等)を聞いて下さり、とても癒やされ、私自身救われました。介護者の気持ちが少しですが、理解できると思い入会を希望しました。

母の時が止まっています京都府・Cさん 女
要介護4の81歳の母は施設に入り丸2年が経ちました。9月ごろには、食欲が落ち、反応が悪く、そろそろ看取りになるのかと思っていましたが、食欲も復活して元気に過ごしています。そんな母は、現在54歳の時代をいきているようです。面会に行き年齢を尋ねるとそう言います。その頃は、私達娘2人が結婚し、孫にも恵まれたころです。また、飲食店でパート勤めをしていた頃がその時でもあり、母の人生を思い返すと人生で1番楽しく、良かった時期なのかと思います。施設でもパート時代の話をよくしているそうです。職員の方々によくしていただいて、楽しく過ごしてくれ、ありがたいと思います。在宅介護では、54歳を生きている母のことも理解ができずに、イライラして、当たっていたことでしょう。施設に入ってくれているおかげで、母の話を面白く聞くことができます。

利き手が動かないを嘆かない義母京都府・Hさん 女
グループホーム入所中の義母の右手が手首から先が動かなくなりました。緊急受診しCTでは異常なし。整形外科での対診では一時的な神経麻痺かもの診断。義母は徐々に症状が進行し「なーんもわからんようになってしもうた。ボケのボーですわ」と嘆き、職員さんを「先生」と呼び続け、夜間不眠や暴言等での怒りも多くなっていました。右手が動かなくなったことは義母にとっては利き手でもあり重大な出来事です。体の不調に敏感だった発病前でしたら、嘆き悲しみ、将来を悲観しドクターショッピングも辞さなかったかもしれません。しかし認知機能の低下でそのようなことはなく、左手で器用に食事をしているとのことでした。不調に敏感だったのがうそのようでしたし、安堵しました。精査で脳梗塞の診断でした。たった3日間受診で、義母と過ごしました。暴言や怒りで物を投げたりもする義母で職員さんの苦労を実感しました。また死去し2年間一度も言わなかった次男(夫)の不在を問い、一瞬ですが「あんたに世話になった」とお礼を言う義母でした。認知症の人の心の壁に触れたように思います。職員さんはこのような状況でも、「義母らしさだからと」丸ごと受け止めてくださっています。そんな安心で居心地もよいと思われる中で過ごしている義母が帰りたいという家はどこなのだろうか。