ー お便り紹介 ー
母の心には家族への愛情が富山県・Bさん 50歳代 女
母が呆けた時、私は40代でした。目の前に子どもがいるのに、「子どもがいない」と言って探しに行こうとするのを見て訳がわからなかったのですが、「家族の会」の人に電話で「お母さんの時間が昔に戻っていて、小さい自分の子が家に帰ってこないので、心配して探しに行く」のだと聞いて納得しました。「ぽ〜れぽ〜れ」で他の人たちの記事を読んでいても、みんな家族のことを思って、ごはんの心配をしていたり、財布を隠したと言って怒ったりするのも、たぶん大事な家族の生活のためのお金を知らない人に盗られたと言って怒るのではないかと思いました。「家に帰る」というのも親が心配しているから帰らなくては…など、家族への愛情が心の底にあるのではないかと思えるようになりました。母の愛情に気づかせてもらったおかげで、気持ちがものすごく楽になりました。
10分足らずの最期の再会新潟県・Eさん 70歳代 女
姉は、夫である義兄の死も認識できず、棺の中を見ても状況がわからないようで、10分足らずの最期の再会でした。長年支え合っていたように見えた夫婦ですが、互いの認知症という病を認められず、二人の急速に崩れていく姿を見てきました。施設は助かりますが、何かさみしい気持ちがする数年でした。近くにいた私は、「妹としてもっとできることはなかったのか」と反省の毎日です。
身体の中の空白に認知症カフェと旅岡山県・Gさん 60歳代 女
アルツハイマー型認知症の母の三回忌を昨年5月に行い、その年の11月に脳血管性認知症の父を「延命処置はしない」という本人の希望に近い形で看取ることができました。二人を同時期に介護した12〜13年を私は、「私なりに良くやった」と誉めたいぐらいでした。その反面、私の身体の中に空白が生まれました。母を看取ってすぐ、自宅を開放して「認知症カフェ房舎」を開設しました。房舎=休息する場所を与える意。資格はなく、あるのは介護体験だけ。3年目を迎え、定休日以外は開放しています。そのおかげで、身体の中の空白も縮小しているようです。介護しなかったら、今の私はなかったかもしれません。介護中からしたかったことのひとつは、「認知症カフェ」。もうひとつは、車の運転ができる間に1人旅をすること。セミキャンピングカーの軽自動車は注文した。さてと、どんな旅になるのでしょう。