ー お便り紹介 ー
知ることは武器になる東京都・Aさん 女
会報等を拝見し、共感するとともに、もっと大変な思いをされている方々の貴重な体験談は他人事ではありません。両親同時に認知症の疑いが出た時は、パニックになりましたが、自分なりに必死に調べ、ある程度身構えることはできました。知ることは武器になります。しかし、予想外の事態に直面し、振り回されることも…。現在、兄と協力し、対応中です。いざという時の拠り所がある、相談できる場所があると知り「家族の会」に入会しました。
いつまで続くか分からない介護沖縄県・Bさん 男
母と私はふたり暮らし。仕事から帰ると、トイレの方向もわからなくなった母(糖尿病性緑内障で全盲)が、汚物で汚れた玄関の床に倒れていたことが何度もあった。歩くことも困難になり介護施設に入居後、今は病院に移った。年と共に仕事に余裕ができ、手足を自由に動かせない母のため、時々は食事の介助に行けるようになった。ある日、食事の介助をしている私に、向かいの100歳のオバーが、小指を立てて「奥さんか?」と聞くので、「アランド〜」と答えたら「ヤンヨ〜」と冷やかすので、両手の爪を立てオオカミのポーズをしたら、まわりの看護師、介護士が大笑いした。3年程前、誤嚥対策をいろいろ勧められ、鼻からチューブによる食事に変わった。しかし、それも負担ということになり、今年2月、胃ろうに変わった。現在は新型コロナの影響で、面会もできないままでいる。施設に入居してから14年位になるだろうか。私は今、自由に出掛けられる時間が増え、長い間会うこともなかった同級生とも、楽しい時を過ごせるようになった。いつまで続くか分からない母との時間を、悔いが残らないようにしたいと思っている。何より自分の時間を大切にしつつ。
もの云わぬ妻青森県・Cさん 男
先日、何週間ぶりかに、ガラス越しに対面が実現した。私の呼びかけにあまり反応はなく、なんだか焦点の合わない目で考え込んでいるようである。顔色は以前より良いようだが、ほっそりした顔になっていた。多分、痛い、暑い、冷めたいの表現はできないように思う。そのことについては、入院前に食事をしていても、ただひたすら食べ、味を聞いても、「何でもおいしい」と言う。その前には、食事制限をしていたが、1、2度、好きなものは何でも食べさせるからと聞いても、「ある物でいい」と言っていた。1年前に旅行していたある日のこと、好物のカニ・イクラを食べたいと良く言っていたが、高血圧、糖尿病の持病があり、制限していたのが心残り。今となっては、もっと食べさせてやれば良かったと後悔をしている。でも、もの云うことができなくても、いつまでもわが妻である。週に2回、洗濯物を交換し、持ち帰って洗っている時は、唯一の繋がりを感じる時である。