ー お便り紹介 ー
わがままな介護者でした兵庫県・Cさん 女
「お母さんはいいわねぇ。必要な時に必要な人が現れるね」。母の介護中に言われた言葉です。27年の介護の後半、16年間は介護サービスのお世話になりました。往診、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリ、訪問入浴、栄養士・薬剤師の訪問、車椅子のレンタル、福祉用具の購入、住宅改修、デイサービス、ショートステイ。在宅で利用できる、すべてのものにお世話になりました。私一人での介護でしたが、「母と最期までこの家で暮らしたい」「怒りっぽい母を穏やかに過ごさせたい」という願いを、若いケアマネジャーはすべて叶えてくれました。私はわがままな介護者でした。「ああしてほしい、こうしてほしい、なぜできないの?」と言い続けました。いくつもの事業所を断り、ケアマネジャーを変えました。それでも、最期に母に必要な人がきてくれた。母の認知症を理解し、受け入れてくれた。たくさんの人に感謝しています。ありがとう。
施設の限界を感じて…山形県・Dさん 女
私は、父がお世話になっている特養や勤め先であるショートステイなど、介護施設の現場を数年間見ていますが、最近、「施設の限界」をよく感じます。現場で働く人たちには、厳しい労働条件のもと、日々精いっぱい利用者のケアにあたっておられ、大変感謝しています。父が今の特養に入所した初日に、「父はできないことは増えてきつつあるが、励ませばいろいろな生活動作、立ち上がりや歩行など、できることはいろいろあるので、できるだけ本人の力を発揮させてほしい」とお願いしたところ、「ー人ひとりにそこまで時間をかけていられない」 と即答されました。施設は、転倒をとても恐れます。「安全第一」のもとに、立ったり歩いたりできる、またそうしたいと希望する人がいても、その願いを禁じる場合が多々あります。父は体格が良いので、「お父さんを立たせる、歩かせるには2人がかりだから…」と言われてしまいました。人間は動物なので、死ぬまで身体を動かさなければならない、安全第一と安静にばかりさせていると機能がどんどん失われ、寝たきりになる、できることはしてもらう方が、介護もラクになると思い、父が「できる」実際の様子もみてもらうなどしながら、何度もお願いしてきました。現場の介護士さんは、そんな私の思いや父の「元気で長生きしたい」思いを受け止めてくださり、限界まで頑張ってくださったと感謝しています。でも、現場にもっと人手があれば、「父は今もまだ立ち上がれていたのではないだろうか?」と悔しく、残念な気持ちになります。施設側に「娘さんも割り切って…」と言われる時もあり、施設の都合ばかりが優先されている「施設の限界」を感じ、とても悲しく悔しい気持ちになります。管理的で、制約の多い「施設」という環境のなかでも、あきらめず、認知症の父が生きる世界を理解し、父の人生を最期まで応援していこうと思っています。「家族の会」が要望しているように、国が福祉にもっとお金を使い、誰でも安心して地域でも施設でも、人間らしく、楽しく、元気に人生を全うできる社会になるよう望みます。
不安定な感情をどう鎮めるか山口県・Eさん 男
70歳代の妻は、少女時期から精神疾患を有し、服薬で対処しながら今日まで暮らしてきました。2年前にレビー小体型認知症と診断され、それ以来、認知症と精神疾患を併せ持つ状態を、私一人で介護してきています。最近困ったことは、私の外出を極度に嫌うようになったことです。結婚後の子育て期に、私が出張で家をあけ、妻が孤軍奮闘した苦い経験を思い出すらしく、外出のそぶりを見せるとパニック状態になって、わめきちらします。感情記憶というのでしょうか、過去のいやな記憶が消えずに蘇り、感情を不安定にするのです。対応は極めて困難で、手をやいています。