体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2017年7月号(444号)

ー お便り紹介 ー

髙見前代表に感謝を込めて山形県・Bさん 女

発足された日から今日までの一日一日、お仕事もなさりながら、これだけ大きな土台をつくってくださいましたことに心から感謝申し上げます。
世界の同じ思いでいるであろう仲間と手をたずさえていける機会を、2004年と今回の国際会議と2回も作ってくださいました。
これから厳しくなるであろう社会にあっても、大きな勇気と力を私たちにくださいました。これまで、本部スタッフの方々と共に社会、とりわけ国に対して、私たちの声を発信してくださったことで今日があります。ありがとうございました。私はこの思いを若い方々にバトンとして渡しながら、希望を取り戻しつつある若年のご本人の一人ひとりとも一緒に、「家族の会」が続いていくよう、世話人の仲間と歩んでまいります。

どこにも頼れなかった埼玉県・Eさん 女

60歳代の夫は物忘れがあり、アルツハイマー型認知症と診断されました。電話相談をしたところ、的確なご指示と細やかなお心遣いをしていただき、大変ありがたかったです。市や地域包括支援センターに相談しても、現時点ではあまりサポートを受けられないことが分かっただけで、どこにも頼れない気持ちになっておりましたので、本当に嬉しかったです。

心の扉があいて徳島県・Fさん 女

80歳代の夫は8年前ごろから認知症の症状があり、現在は要介護4です。認知症が進むにつれ、妻や子どもがわからなくなり、夜の徘徊も多くなりました。私は寝不足が続き、精神的・肉体的に限界で、死にたい気持ちに何度もなり、悩んでも答えが出ませんでした。そんな時に「家族の会」に参加させていただき、悩みを聞いてもらって、皆さんの明るい笑顔を見て心の扉があいた気持ちになりました。

頑張らなくていい奈良県・Gさん 女

夫は7年前にアルツハイマー型認知症と診断されました。いよいよ先が読めなくなってきて、思い切って支部の相談員の方の面談に伺いました。ゆっくり話を聞いていただき、「主人の過去を忘れ、今の病気を受け入れ、これ以上頑張らなくていい」と話してくださって、気持ちが楽になりました。

ー 私の介護体験談 ー

認知症の妻とドライブ三昧山口県支部 70歳代

 

今年72歳の妻が、アルツハイマー型認知症と診断されたのは9年前でした。その時からアリセプトを服用し6年前よりメマリーを併用しています。現在要介護2で、週4日デイサービスを利用。まだできることが多く進行が遅い方ではないかと思っています。掃除や料理は全くしなくなり、洗濯、食事、トイレ、お風呂は一人でできます。
妻の初めての異変は12年前、60歳の時。突然半日間の記憶が全く消え失せたのです。翌日には正常に戻りましたが心配で近くの神経内科の病院を訪ね、「一過性全健忘症」と診断。認知症の疑いはあるが認知症ではないとのことでした。その後、妹から「お姉ちゃんは変わった。もっと詳しく調べた方が良い」と言われ、認知症専門病院を訪ねました。そこで脳の画像や脳の血流を検査し診断されました。

覚えているのは、夫の私だけ

現在、日常生活に大きな支障はないものの記憶力だけは著しく低下しました。隣近所の人、友人親戚の人は顔も名前も忘れてしまい、子供、孫も時々間違えます。確かなのは、夫の私だけになりました。皆さんに失礼になるといけないので認知症になってからは隠さずオープンにしてきました。去年の記憶力テストは7点。先生から失語症にかかっていると言われ、確かに夫婦間でも簡単な意味の言葉が分からず会話が成立しないことが多くなりました。一方では新聞のテレビ欄を見て特に歌番組にチャンネルを合わせます。忘れても見ようとする努力は評価すべきと思っています。妻は花作り、家庭菜園が趣味でしたが、全く興味を示さなくなり、花などの名前もほとんど忘れています。

困っているけれど、妻のねぎらいに…

今一番困っているのはドライブ。私の体調、天候に関係なく時間があればドライブに誘われます。それも往復100キロもある岩国へ行きたがり、去年は115回も行きました。岩国は父親の故郷。妻の故郷の光へはほとんど毎日ドライブ。景色を眺めたり、道路標識や看板を声に出して読んだりします。助手席の妻からは毎回「いつも付き合ってくれてありがとう」とねぎらいの言葉をかけられ、いじらしさを感じています。子供からは薬だと思えばよいと言われ、先生からはそのうちなくなると言われていますが長続きしています。その意欲は認めるべきと思っています。
徘徊は今まで一度もありません。いつも二人で出掛け、たまに離れ離れになり捜すこともありますが、ひとりで家を出て行方不明になることはありません。しかし万一のことを考え3年前より携帯電話を使ったGPSを利用しています。時々テストしますが瞬時に鮮明な位置が表示され、わずかな費用ですので積極的に利用されたらと思っています。
私は今年77歳。過去クモ膜下出血を2回経験しました。2回目は主治医から「不死身だね」と驚かれました。この頃は妻を介護するために生かされていると思うようになりました。
自由がない、犠牲になっている、楽しみがないとは思っていないし、思いたくもありません。現実を素直に受け入れその中で私なりの楽しみを見出そうと思っています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。