体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2019年7月号(468号)

ー お便り紹介 ー

ヘトヘトに疲れきるまで頑張った福島県・Bさん 女

50歳代の夫は、2年前に若年性認知症と診断されました。頑張って仕事を続けていましたが、毎日ヘトヘトに疲れ切った夫をみていて、壊れては困ると思い、長期休暇を取っています。自宅での生活の仕方、社会との接点の持ち方など、日々考えています。
大切な夫とは、少しでも穏やかに暮らせたらと思っています。

納得のいく最期に…宮崎県・Cさん 女

私は、約3年半前に母の介護を終えました。この冬、叔父が最近入居した施設に訪問しようとして感じたことを述べます。
叔父は90歳代の認知症中期なのですが、お正月前から肺炎などを繰り返していて、「年を越せるかどうかわからない」と聞いていたので、顔を合わせられるうちに会いに行こうかと思い、叔父の奥さんに電話しました。
施設ではインフルエンザの流行期には家族も一切立ち入り禁止で、洗濯物も玄関の外で受け渡すという状態でした。確かに、病気予防の観点からいえば、領けるのですが、生命の危機が迫っているのだから、家族が声をかけて帰ることくらいは許されても良いのではないかなと疑問を持ちました。
もっと言えば、本人や家族がどういう最期を迎えたいのか、死に目に会えなくても施設に任せるのか、それとも、死に際には駆けつけたいのか、家族が本人に会えなくても、その状態を施設側の医療者と随時確認して、納得のいく最後にするなど、改善する余地はあると考えます。

母と楽しいことをしながら過ごしたい東京都・Eさん 女

母方の祖母が認知症だったため、自分もなるのではと恐れていた母は、現実となった今、まだ受け入れることができずに苦しんでいます。ただ、少しずつ進行して、いろいろなことができなくなるのを悲しむよりも、今の状況を感謝しつつ、何かできること、楽しいことをしながら、一緒に過ごしたいと思っています。しかし現実は、私もなかなか優しくすることができなかったり、ケンカをしてしまったりするので、他の方にいろいろと教えていただきたいなと思って、サポートグループを探していて「家族の会」を見つけました。

ー 私の介護体験談 ー

42年間介護した体験から長野県支部 80歳代

地区代表の熱心さに脱帽

5月から元号が令和となり、皇室も天皇様の退位と新天皇の即位と時代が替わりました。
突然、市内のある地区から私に、高齢者の集いに話をしに来てくれないかと電話がありました。私も80歳を過ぎましたので極力お断りをしたのですが、しっかり押し切られてしまいました。私よりはるかにベテランの介護経験者がいるでしょうに、どこにポイントを持っていこうかと考え込んでしまいます。
長野県内12地区の地区代表者が月一回、松本市に集まって県内の活動などの会議をしており、お茶も飲まずに一生懸命取り組む熱心さに脱帽です。仕事を持っている地区代表者がほとんどです。 2時間ほど仕事を抜けて、高速で飛んできて、また仕事に戻るということを毎月やっているのです。 また飯田の●●さんには、支部会報の編集を長年やっていただき、「縁の下の力持ち」的存在です。そんな「家族の会」の活動を話に入れようと思っています。

主人と義母との思い出

私が長い介護をしてきて、今思い出しても涙がこぼれますのは、義母の普段のズボンを洗ったのがいけなくて、義母がそのポケットに1,000円札2枚、5,000円札2枚、1万円札2枚を新聞紙にくるみ、デパートの包装紙にくるんで、さらに木綿のハンカチにくるんでおいたから、「盗ったお金を返してくれ」というのです。「何も入ってなかったよ」といいますと、返してくれの一点ばり。嫁姑ですから、「私が借りました」などと私も若かったものですから、勉強不足もあり、言えませんでした。夕方、親孝行の主人(親子どんぶりと私がつけました)が帰って来ましたので、義母は早速、「○○さんにお金を盗られたから返してもらってくれ」と訴えました。主人は私の泣きはらした顔を見て、自分も勤めから疲れて帰ってきたこともあり、「オフクロ、何言っているだい」と言いました。いつもは義母の味方についてくれる主人が、私の方に少し味方したように感じたのでしょう。義母は怒って、「警察を呼んでくれ。こんな盗人嫁は家におかれないから、実家に帰ってもらえ」と怒りました。私は20歳くらいなら言われなくても帰りますが…。実家には兄嫁もいて、父も亡くなっていて帰れません。 そこで主人は困り果てて、給料日前のチビタ財布を義母の前に出しました。「今これしか持ち合わせがないので許しておくりや」と小銭まで出しましたら、「■■、分かったで、もういい」。かわいい息子の言うことです、一件落着。私は盗ってもいないのに、主人の行動に腹を立てましたが、主人の苦肉の策だったのでしょうね。

42年間という長い介護で一番つらい出来事でしたが、今では懐かしく思い出しています。そんな主人もリュウマチを患い(40年間)、最後は難病で、あっという間にお浄土に旅立ってしまいました。お母さんとお浄土で楽しく話していることでしょう。

白梅の 匂う書斎に 主は亡し

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。