体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2020年5月号(478号)

ー お便り紹介 ー

夫からの還暦のお祝い宮崎県・Bさん 女

夫は67歳です。64歳の時に若年性認知症の診断を受けました。すぐ「家族の会」に入り、月に一度のつどいには夫と参加しております。今年の2月15日のつどいはたまたま私の還暦の誕生日で、夫が会員の皆様に「今日は家内の誕生日です。」と紹介してくれ、「ハッピーバースデイ」を歌ってくれました。歌の途中から私は涙があふれてしまい、他の会員の皆様も感動してくださいました。
夫がまだ発症前「お前の還暦は俺が祝ってやる。」と言ってくれたことがありました。あの時の夫の言葉はこのことだったのかなと思っています。「家族の会」 の方の温かい拍手に包まれて本当に幸せなひと時でした。

努力はしたが…埼玉県・Cさん 男

70歳代の妻が認知症を患い2年半位たった。いろいろ努カしても、何の効果もなく、ますます重くなっている様子を身近に感じている。救いを求めたいと思い、「家族の会」への入会を決心しました。

睡眠不足で参っています愛知県・Dさん 男

70歳代の妻は2018年MRI検査の結果、海馬が縮小してきており、アルツハイマー型認知症が始まっていると言われた。この頃は、物忘れがひどくなったくらいで、顕著な兆候は見られなかった。
今年2月くらいから「傾眠」が現れ、覚醒しても無気力で意欲がなく、なかなか次の行動に移れない。曜日を何度も聞き、物忘れもひどくなり、自分で書いたメモを頻繁に見るようになった。出かける時には何度もカバンの中身などを確認している。傾眠が原因で、食事、入浴、夜の洗濯などが押せ押せになってきて、寝るのが深夜2時から3時くらい、時には朝方になることがある。急な変化に戸惑うとともに、見守りや介助などで睡眠不足で参っている。

ー 私の介護体験談 ー

夫は「認知症」という病気になった岩手県支部 60歳代

病名を告げられて

夫と一緒に話を聞いた。若年性アルツハイマー型認知症と告げられ、「幸いなことにごく初期の段階です」と当時の主治医はそう言った。夫が60歳の初秋の頃だった。その頃から自分の年齢も今日の日付も定かではなかった。退職し家で過ごす夫の様子に、病名を予想しての受診だった。昨日と同じ、病名が付いただけで何も変わらない。自分に言い聞かせた。病気の進行が怖かった。進行を緩やかにできるのならなんでもしようと思った。夫の病気のことをすぐに周りに話すことはできなかった。早く話すべきと言う娘といつも意見が割れた。
「会社を辞めたい」夫は自分の意思で退社した。だが仕事はしたいと社会との関りを求めた。サポートがあればできることはたくさんあると思った。仕事をして、役に立っていると思っている気持ちが、進行を緩やかにする何よりの薬なのに関わる場を見つけられなかった。

夫の苦悩と居場所を求めた日々

介護保険を申請したのは67歳の時。交流の場を求めたが、ご高齢の方の多いデイサービスには馴染めず、この時も夫の行き場のないことに打ちのめされた。家族だけの対応には限界がある。認知症と告げられた頃から、参加できる仕事や楽しく過ごせる場があり、やりがいや喜びを得られていたら、どれだけ救われただろう。昨日と同じように。どれ程強くそう願い、もがいても抗っても病気は進行した。それでも介護という実感はなく、病気になった夫とそれ以前のように一緒に暮らす、それだけのことだった。「俺は役にも立たなくなったから、ここに居ても何もすることがないから帰りたい」力なくそう言った。夜何度もトイレに起き「俺はいつからこんな風になってしまったべ、治りたい、俺は胸が苦しいんだ、お前にこの苦しさが解るか」と絞り出すような声で言った。
不安、怖れ、切なさ、辛さ、悲しさ、それらが混ざり合い、何とも言いようのない感情で私の胸はいつもいっぱいだった。一人でできないことが増え、思いもよらない行動でいらいらしたり、腹を立てたりもした。しかし、その後には悲しさが押し寄せた。目の前に夫が居るのに、私の知っている夫はもういない、何度そう思っただろう。病気の夫と暮らした11年間を「介護」と言うなら、私の介護は変わっていく夫の様子に向き合い、その辛さに耐えることだった。

夫と地域への恩返し

71歳で夫は逝った。桜が満開の頃だった。夫が逝って4度目の春が来る。夫が病気になり、多くの方に支えていただいた。同じ病気のご家族の方々との出会いにより、辛い思いを共有できる私は病気と向き合う勇気をもらった。心から感謝している。
これからその感謝の気持ちを私なりに返したく、認知症カフェ等を開いている。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。