体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2024年9月号(530号)

ー お便り紹介 ー

新潟県で母上を介護しているあなたへ北関東・Aさん 女

7月号で「私の近況…」をよせてくださった新潟県のDさんへ。4月号に「春夏秋冬の冬のとき」をよせた本人です。母上を在宅で介護されて、15kg位痩せて、変形性腰痛症、顔面神経麻痺になっているとのことです。今まで母上のためにあなたのすべてのエネルギーを注いできたことでしょう。しかし介護者であるあなたの命が尽きてしまうことを母上は望んではいないのでは。
施設に入ることによる経済的負担について、特養やショートステイには「介護保険負担限度額認定申請」があります。収入に応じて負担費用が変わります。
そして母上は食が細くなっているとのこと。私の母は認知症が進んだある時期から自力で食物を口に入れることが困難になりました。脳みそと手足の動きがちぐはぐになって、歩行も困難になりました。当初は理解できませんでしたが、介護の勉強で施設に実習に行ったとき、介護士の方が車いすの利用者に丁寧に食事介助をしているのを見て、食事介助の必要性がなんとなくわかりました。認知症は本質的なものを学ぶことが大切だと実感しました。
私がDさんの文章を読んで感じたことは、介護者である「あなた」を大切にしてほしいことです。医療はとても大切ですが、その他にも支援を受けられるかもしれません。地域にある地域包括支援センターなどは全般的な相談が可能です。ぜひ相談してみてください。

1月号埼玉県Cさんへ、私の場合をお知らせしたくて…京都府・Cさん 女

私の母は90歳で、アルツハイマー型認知症で要介護3です。令和4年9月から特養にお世話になっています。面会には1ヶ月に1回行っています。コロナの面会制限があり、5ヶ月間ほど会えない間に私のことが誰だかわからなくなってしまいました。けれども、毎日面会に行くと、「やぁ、久しぶり!」とうれしそうにします。私のことを「誰かわからないけれど、何か知ってる人」と認識しているようです。
話しかけても答えはちぐはぐで、もはや会話になっていません。でも、いつ行ってもニコニコして顔色も良く幸せそうです。そんな母を見て特養にお世話になって良かったと思います。
母は弟家族と同居でしたが、お嫁さんの言う事は聞かないので、お嫁さんは介護に苦労されていました。お嫁さんも大変でしたが、母も母で自宅に居てもストレスがあったようです。
私は10年間、毎週休みの火曜の午前中に実家に行き、母の話し相手をしていました。最後の方は何回も同じ事を聞いてくるし、話題もなくなり、母と居るのが苦痛になってきました。
そのうち、排泄の問題、便をもらすようになり、自分でできないのに汚れた下着を片づけようとして、部屋中便まみれとなり、どうにもこうにもならなくなり、特養へ入れてもらうことになりました。
今母が特養に入って、皆がそれぞれ充実した毎日を送っています。特養に入ったことで、母が私のことを娘だということを忘れてしまって寂しくはありますが、何より母が「今、何も困っていることはないわ」と幸せそうに話すのをみて、私も幸せです。私にとって母自身が幸せなことが一番大事なことです。そして、もうひとつ、施設に介護をお願いすることは、何も悪いことでは無いと思います。

大学で研究中です大阪府・Dさん 女

認知症だった祖父は3年前に亡くなりました。
祖父は二世帯住宅で一緒に暮らしており、看護師さんと母がお世話をしていたのですが母は医者なのですが介護鬱になってしまいました。私は今後、もし家族が認知症になったら正しいケアをしてあげたいと思ったので入会させていただきました。また大学4年生で卒業研究に認知症についてを研究しています。その研究にも活かしたいと思ったので入会させていただきます。

ー 私の介護体験談 ー

100まで生きる ぼけてもいいから福島県支部

〜とまどいと衝撃〜

母が私の所に来る1年位前、少しおボケさんになってきたかなとは感じていましたが、それ程のことではないと思っていました。言っていることも、まだまだ大丈夫と思っていました。でも進行はあっという間で週一の買い物の日や時間などがわからなくなり、外でずっと私を待ち続け、兄嫁に叱られたり、廊下にオシッコをして大騒ぎになるなど、今までになかった言動が多くなり、私と同居することになりました。母と一緒に暮らすと、認知症がこれ程ひどかったのかと衝撃でした。オムツをしながらのおもらしや幻覚が始まり、私を娘とはわからなくなり、母のお金を私が使い込んでいるとか、話すときりがないほどです。戸惑い、迷い、不安、悲しい、苦しい、辛いと一気に襲われました。母の幻覚も全否定、優しくしたいのにできない自分に腹を立て、一人になっては泣いてばかりいました。私自身もリウマチで身体が思うようにならず、痛みとの戦い、そして仕事も夜のために帰ってくると、母は起きてしまい、なかなか寝てくれず、オムツ交換、おもらしの布団交換、洗濯は毎日のことで、睡眠は毎日3、4時間だったと思います。笑顔など作れる余裕はなかった。母も私の所に来てからは、あまり笑顔を見せたことがなかった気がします。私がそうさせていたのでしょう。それでも自分なりに理解しようと認知症の説明会があれば、聞きに行きました。でも、今いち納得ができない、思っていてもできないの繰り返しでした。

〜認知症の人と家族の会との出会い〜

そんな時に、友人から「認知症の人と家族の会」を教えてもらいました。家まで来てくださった会の方々の母への優しい対応にびっくり。何一つ否定などしないし、母も穏やかになっていました。今までの私の努力は何だったのだろうと思いました。でも正直言えば、最初は他人だからいいこと言えるんじゃないのか、毎日接しているわけじゃないからわからないんでしょうと、反発心もあったのは確かです。でもその後、私の心も理解してくださり、私のねじれていた気持ちも解きほぐしてくれました。いろいろな知識を教えてもらい、今となっては本当にありがたかったと感謝しています。あのまま「家族の会」との出会いがなかったら、母は辛いまま、私は後悔のままだったと思います。

〜施設入所、これから〜

施設に入所するまでの間は、桜を見に行ったり紅葉やお祭りと、母と二人でいろいろな所に行きました。私の自己満足ですが、母との思い出作りは多少できたのではと思っています。緑内障のため目が見えなくなると、家での介護は無理になり、施設に入所となりました。入所後、母は全く食事は摂れなくなり、もうだめかもという時期が3回ありました。それでも復活して、今も頑張っています。49キロあった体重も今は34キロしかなく、以前の母の面影はありません。言葉を発することもなくなり、面会しても娘とはわかりません。それでもまだ生きてほしいと、願ってしまうわがままな私でした。でも、今回はさすがに私も覚悟し、母の耳元に「母ちゃんもう頑張らなくていいよ」と言った後、認知症になる前に言っていた母の言葉を思い出しました。「おら100まで生きてぇ、ボケてもいいから目標は100までだなぁ」と、そんな母の心の強さを見習いたいと思う私です。
母は4月10日で94歳になりました。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。