認知症の人のナラティブと現在

認知症の人のナラティブと現在

最近、縁があって認知症で高齢の方のお世話をしています。

7、8年ほど前から言葉が出なくなって、趣味の仲間からも外れ、当たり前にデイサービスやホームヘルパーの支援を受けて来ましたが、転んだり、骨折したりで症状は進むばかりです。それでも、コロナを乗り越え在宅での家族介護で意外に元気で日々を暮らしています。そうした状況を少し距離を置いてみていて、様々な発見がある事に気付きました。その気付きを少し連載風にリポートしていこうと思います。

今、認知症に限らず、がん領域などでも語られるようになった、物語の大切さ「ナラティブベースドメディスン」を基調に進めたいと思います。ナラティブ!なんて、横文字苦手な人いますよね!簡単に言うと「ものがたり」その人の生き暮らしてきた折々の物語を探るようにして、その人らしさを基本として向き合い方を医療的な側面からも重要視しようと言う流れだと思います。わたしなりの解釈ですが。逆に、「ものがたり」が当たり前すぎて、その重要性に思いが至らないといけないな!?と言うことで敢えて「ナラティブ」です。

認知症の人の日常行動を理解する上で大切と言われるのが、その人が過去から現在をどう生きて来たのか?大切にして来たことはどんなことなのか?得意だったこと、誇りに思っていたこと、仕事は何?家族との関係は?などなど、認知症に限らず人と人が交錯する場には、それぞれの物語が大きな意味を持つことは当然です。???ここで???を敢えて使うのは、それだけ?と思うからです。

今、私とお付き合いしている彼女は言葉がほぼ出ませんし、過去のことを知っているわけでもありません。が、一緒に音楽を聴いたり、顔を見合わせて笑顔で声を出して笑い合うことがあります。顕著なのは、朝、目覚める瞬間に目を合わせる時です。眠っていると思っていても瞼の裏で目が動いているのがわかります。こちらの言葉を聞いているのですね!そして、目を開けると「おはよう!」と声をかける笑顔の私がいる。彼女は、思わずハニカミ気味に目を開けて、そして驚いたように目が大きく開いて、声を出し大きくうなづきながら笑うのです。そこで思うのは、この彼女は全てをわかっていて、今の全てを受け入れている!ということです。

認知症基本法ができて、スローガン「認知症観」を変える!

一方で、認知症になると「病識が無い」という医師がいたり、言葉が出ないのは何もわからなくなっているから、どこに行きたいのか分からないのに付き合うのは介護じゃ無い」と言ってみたりするのは、どうなんだろう?と思う毎日です。そんな、日々を綴りながら、介護する家族や専門職、医療者と様々な発見を共有できたらな?!と思います。

すこうぷ合同会社 横川清司

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