認知症になると、言葉が出にくくなる事が多い。
認知症に関わって20年以上、私自身の母がそうであったように発語にくり返しが多くなったり、ぽぽぽといった構音障害と言われる事が出てくる事があります。
私はこうした障害を持って認知症だからという考えを持つことには違和感があります。どのような言葉であっても、発生したものは本人の意思であり、本人の表現であろうと思います。そのためコミュニケーション障害は常に双方の課題であると言ってきました。つまり、聴く側にもコミュニケーションを円滑に成立させる責任も技量も求められると思うのです。
そのようなことを考えている時に、いくつかの海外の事例を取材する機会に会いました。ロサンゼルスの日系高齢者施設は完全に日本語での生活を保証している。(取材当時)アメリカから日本に嫁いできた女性が認知症になり日本語が出てこなくなりました。同じく、大阪で活躍したミュージシャンも日本語ではなく英語で語るようになりました。
そして、今回紹介する京都で暮らす在日の人々。日本に来た、暮らす事情は様々ですが祖国への強い思いを持ちつつ日本の社会に順応しようと努力を重ねてきた皆さんにとって、母国語とは何か?特に認知症症状が出始めると日常会話の多くがハングルになる。当たり前と言えば当たり前。生まれてから「私」自身としての言語はあくまでもハングルであるはずです。
京都九条の施設では、ハングルでのデイサービス時間を設けて、環境そのものから緊張を取り除き、母国にいるかのような時間を提供しています。
ぜひご覧になり、母国語が単なるツールではなく、その人のその民族の尊厳であり、権利としての言葉、認知症であるからこそ大切に育みたい人と人の繋がりそのものだと思うのです。

