NHK Eテレ「ハートネットTV」で「認知症とともに生きるまちを行く」の二本を視聴した。タイトルにあるように、全体のテーマは「認知症とともに生きる」だろう。
8月30日にNHKとNHK厚生文化事業団の主催でオンラインフォーラムを開いた。タイトルは「コロナの時代に認知症を考える」である。
7月24日は芥川龍之介の河童忌、近代文壇の光芒となった稀代の才能がみずからの命を絶った日だ。「ぼんやりとした不安」という謎めいた言葉を遺して。
今年もまた「認知症とともに生きるまち大賞」の募集が始まりました。この「大賞」も、その源流をたどれば今から16年前の2004年に、この大賞の前史が始まります。
誰でもできるインタビューの技法というものがある。ふふ、企業秘密なんだがな。知ってます?これさえふまえれば、ともかくも世に言われる「インタビュー(らしきもの)」になってしまうのである。
「あのね、人生にはアイドリングストップが必要なんだよ」「あなた、燃費悪いものですね」といった会話が交わされたわが夫婦の緊急事態は収束に向かうのだろうか。
このコラムでこのところ連続して、新型コロナウィルスがもたらしたこの社会の姿を追うように記してきました。この事態を考えるたびに気づいたことがあります。
新型コロナウィルスの最前線で取り組む人々の奮闘で、私たちのステイホームが成り立っている。この最前線が決壊すれば、私たちのホームだけでなく、暮らしと命が崩壊していく。
私は長くメディアの世界で過ごしてきて、幸いすぐれたスタッフ、仲間に囲まれて、多くの至らなさ失敗を重ねつつも、とりあえず、まあまあ、やりがいや手応えのある人生だったと思っている。
6年前に認知症と診断された中見川清秀さん(59)は病状が進行して、夜中に起きだして突然怒り出すといった興奮状態が1年ほど続きました。
アメリカテキサス州出身の岩田スーザン・リンさん(68)は、23歳の時に岩田長太郎さんと結婚し来日。奈良県天理市にある長太郎さんの実家で暮らし、3人の娘にも恵まれました。
香川県観音寺市で暮らす渡邊康平さん(77)は、72歳のときに脳梗塞を発症。その後、物忘れなどの症状が目立つようになり、血管性認知症と診断されました。
2月15日に東京都町田市で「まちだDサミット2」が開催された。認知症をテーマに東京郊外の町田市が、認知症の資源の全てを結集させて取り組んだ大掛かりなイベントである。
「まだまだ寒いわね。一人で暮らしているから、部屋はなかなか暖まらないでしょ。コタツに潜り込んでも、それでも体の芯がとても冷たい。ある時、気がついたの。寂しいからなの。寂しさって、冷えるの。身体も、そして心が冷えて冷えて・・」本人の声を聴くということは、自分の中の声を聴くことだ。
「老人」という言葉も悪くない。そんなふうに思った。普段、福祉的テーマでは「高齢者」という用語を使い、口語的な語りでは「お年寄り」と言うことが多い気がする。
1月20日に都心で認知症の本人大使「希望大使」任命式のイベントがあった。多くの関係者、そして認知症当事者も全国各地から集まり、メディア各社のカメラに囲まれた晴れやかなイベントだった。
第3回 認知症とともに生きるまち大賞受賞 さがみはら認知症サポーターネットワーク 認知症の人とサポーターをつなぐウィッシュカード
フォーラム超高齢社会を生きる in 仙台〜認知症の人の思いから始めるまちづくり〜
今年の聖火ランナーに、認知症の人が町を走る。鳥取の藤田和子さん、仙台の丹野智文さん、そして東京品川区の柿下秋男さんたちだ。柿下さんは1976年のモントリオール・オリンピックにボート競技で出場したトップアスリートだ。
今年もまた東京国際フォーラムで「認知症とともに生きるまち大賞」の表彰式が開かれた。これまで、「認知症にやさしいまち」や「認知症とともに生きる社会」というのはいつもどこか、この社会の目指す姿として捉えられてきた。