佐賀県唐津市で暮らしてきたゆみ子さん(81)。ゆみ子さんの最期の日々と、家族や医師、介護スタッフなどの姿を通して、介護のあるべき姿を考えるシリーズです。
コロナの日々で変わったことのひとつに、オンラインの定着があります。当初は、対面でなければ互いの心情の機微がわからなくて、随分とギクシャクしたところもあったのですが、今ではすっかり馴染んでWEB上でのコミュニティの形成となっています。
長寿の未来フォーラム 記憶の見方が変わる 〜高齢者心理と認知症治療からひも解く〜
2022年の「認知症とともに生きるまち大賞」が決定した。コロナ禍の中、今年の応募団体はこれまでになく少なかった。今年の受賞は4団体だ。しかし、その応募内容を知るほどに、ここには「ともに生きる」社会への本質的な問い直しが込められている。地域とは何か。
今年もNHK厚生文化事業団の「認知症とともに生きるまち大賞」の受賞団体が決まった。その詳細はNHK厚生文化事業団のHPに掲載されており、またNHK Eテレのハートネットテレビでも放送の予定なので、全体はそちらに譲るとして、このコラムでは、このコロナの事態に改めてこの「まち大賞」が何を問いかけ、何を引き受けようとしているのかを見つめてみたい。
三橋昭さんが「幻視」の症状に初めて気づいたのは、2018年11月頃のこと。現実とは異なる感覚があり、幻視であることを意識したと言います。
2017年12月に若年性認知症の診断を受けた渡邊雅徳さん(45)。診断直前は、当時勤務していた会社で失敗を繰り返すことが増え、「同じ職場で働く人にとって、自分の存在が相当なストレスになっていたと思う」と振り返ります。
11月3日の文化の日、八王子で「懐かしい未来」を語り合うような、そんなイベントが開かれた。これまでの未来社会といえば、20世紀の科学主義の中、ロボットと空飛ぶ自動車と空中都市といった風に常に新奇なもの、まだ見ぬもので描かれた科学の想像図でしかなかった。
丹野智文 ADIリポート vol.2 コロナ禍の認知症の人
最近、「認知症のある人」という書き方をすることがある。もちろん、「認知症の人」と記すことも多い。どちらかに決めているわけではない。
若年性認知症と診断された中見川清秀さん(60)と妻の真理さんの日常を伝えるシリーズの第5回。
埼玉県越谷市で毎月開催されている「がーやカフェ」。認知症の人と家族、さらに自治体の職員も加わり、ゲームやおしゃべりをして過ごします。
認知症当事者の丹野智文さん(48)は、2022年6月、ADI(国際アルツハイマー病協会)のロンドン大会に参加し、講演を行いました。
9月はアルツハイマー月間ということで、認知症関連のイベントのひとつのウエビナー、「共に生きる・認知症を考えるセミナー」に参加した。
深夜、日付が変わる頃に開店する小さな認知症カフェがある。夜も更けた頃、女性オーナーがひとりで切り盛りするそのカフェに、ゲストがふらりとやってくる。認知症カフェである以上、認知症に関わる多彩な人が訪れる。
コロナの日々というのは、積極的な活動に制限がかかる分、どこかこれまでの取り組みや自分自身を振りかえると言った内省の時間を誰もが持ち、それはこれまで前のめりに突っ走ってきた社会を一旦立ち止まらせる体験につながったのかもしれない。
長寿の未来フォーラム 家族と暮らす 〜認知症を“ともに”生きる社会へ〜
丹野智文を読み解く、といったことがこれから大切になるだろう。たとえば、彼が決まって使う「笑顔で生きる」であっても、そのソフトな言い回しと彼の人柄が反映して、聴く側もついニコニコと笑顔になってうなずく。
不動産会社の熱血営業マンとして働いていた松崎敏彦さん(46)は、11年前にギランバレー症候群を発症。体に麻痺が出て車いすの生活になり、さらにうつ病、若年性認知症と診断され、次々に病気を抱えることになりました。
記憶とは一体、どんなことなのだろう。私たちは、通常、何気なく昨日という過去を今日につなげ、「おはよう、今日もいい天気」と言い、夕方には「じゃ、明日またね」と、今日と同じような明日という未来を信じているが、そこをつなげているのは「記憶」があるからだ。