筆をとって絵を描いたり、手で粘土をこねたり――芸術を通して、心がほぐれ、脳がやさしく目覚めていく。そんなケアの方法が「芸術療法(アートセラピー)」です。
芸術療法は、1940年代のイギリスで始まりました。当初は心の病を抱えた人々の治療のために使われていましたが、近年では認知症とともに歩む方々のリハビリテーションとしても、少しずつ広がりを見せています。
芸術療法の魅力は、何かを「うまく作る」ことではなく、「表現する楽しさ」にあります。絵画、粘土細工、陶芸、詩、俳句、ダンス――どんな方法でもいいのです。大切なのは、その人が自分の気持ちや思い出、願いなどを、言葉に頼らずとも自然に表せること。そしてその表現を通じて、心が落ち着いたり、不安がやわらいだりすることなのです。
たとえば、「りんごの絵を描く」という場面では、ただ写真を見て描くのではなく、実際にりんごに触れて、香りをかいで、ひと口かじってみる――そうやって五感すべてを使うことで、脳がより豊かに刺激され、思い出もよみがえってきます。「昔、母がよくむいてくれたなぁ」と懐かしさがこみ上げてきたり、家族で過ごした秋の果物狩りの情景が浮かんできたり。そんな時間が、心と記憶をやさしくつなぎます。
芸術療法では、どんな作品もその人の「生きた証」です。完成した後には、周囲の人たちと一緒にその作品を鑑賞し、「素敵だね」「こういう感性、いいね」と声をかけることで、自信や誇りを育むことにもつながります。
自宅でも、お絵かき帳や色鉛筆、粘土などがあればすぐに始められます。やってみたいことを、無理なく自分のペースで。好きな時間に、好きな表現で。そんな自由な取り組みだからこそ、「その人らしさ」がよりよく輝くのです。
また、より専門的に取り組みたい場合は、芸術療法のプログラムを取り入れている施設やクリニックに相談してみるのもよいでしょう。
表現することは、生きること。心の奥にある物語が、形や色となって現れることで、本人も、周囲の人たちも、あたたかな気づきを得ることができます。芸術の時間が、日々の暮らしに小さな彩りと喜びをもたらしてくれますように。