認知症フォーラムドットコムの動画、
「私は私として生きていきたい」
〜吉田晋悟さん・多美子さんご夫妻 大阪府吹田市〜
の動画で紹介したご夫妻の愛の物語が本になりました。タイトルは、
アルツハイマー病の妻と生きる幸せ
「僕を忘れていくきみと」(いのちのことば社フォレストブックス)

認知症になると全てを忘れていく、何もわからなくなるという一般社会的な偏見はなかなか改まることはなく、認知症の本人たちにとって、活躍も努力もむなしく感じるのではないかと思うほど世間は変わることへの抵抗を示しています。
吉田さんご夫妻の物語、是非本を手にとって読んで欲しいと思いますが、この認知症EYESでは、あえて本人の本質とは何かということに注目します。
公益社団法人認知症の本人と家族の会は「認知症になっても心は生きている」を標語にしてきました。
その人の心・本質とはなんでしょうか?
尊厳とは何か?漠然とした「その人らしさ」ではなく、人権そのものと考えたいと思うのです。認知症になろうが他の病気であろうがどんな状態であろうと人権は侵してはならない人間存在の本質です。残念なことに日本の社会、医療機関、介護関連施設、そして家族・親戚・地域の人々が何を持ってそうした人権を補償してくれているでしょうか?
吉田多美子さん晋悟さんは様々な会で講演をしたり、TV番組で特集されたりしてきましたが、彼らが敬虔なクリスチャンであり、いつなんどきでも神に繋がっていることで平安な心で暮らされていたことを取り上げることはありませんでした。日本社会のメディアを含め信仰・宗教を語ることがタブーとされていると感じてしまいます。
クリスチャンの二人にとって信仰は二人の愛を超えて神との愛につながる事で成立しているのです。神の愛を知らずして、西洋的な個人、ましてや人権などは語りきれないのです。
2006年本人会議で多美子さんが「私は私として生きていきたい」と発言したのはオーストラリアから来られたクリスティン・ブライデンさんの言葉、そして彼女が書いた本「私は私になっていく」に触発されただけでなく、クリスティンさん自身と同様に神とのつながりを深く感じてのことだったのです。
そして、何と言ってもこの本の、そしてご夫妻の素晴らしい事は、認知症になることで薄れゆく自身の確実性への不安を乗り越えた先にある、純粋な神とのつながりに希望を見出したことです。この本の中で愚痴や不満、恨みごとを目にする事は一切ありません。全てを学びとして受け止める姿勢であふれています。全ては神様のご計画にあるという、神様の愛のうちにある充足感とでもいうべき豊かさにあります。
「神が私たち夫婦を用いて、求めのある人々の心を必要な恵みの光で照らされたと信じて喜んでいます」(P151)と、晋悟さんも同じ神の愛に包まれて生き続けます。
信仰を否定せず、むしろ信仰により頼んで物事を正確に語り伝えて行きたいものです。

