これからは「認知症バリアフリー」なのだそうだ。どうも「認知症にやさしい社会」が出たと思ったら、「認知症とともに生きる社会」だったり、「認知症でも安心なまちづくり」とか、看板が次々と変わる。
第2回 認知症にやさしいまち大賞
2018年10月28日、認知症の人と家族への援助をすすめることを目的とした「第34回全国研究集会」が福井市で開催されました。
「認知症にやさしいまち大賞」の表彰式が行われた。晴れやかで楽しく、出会いと思いが交錯し自然に笑みが湧いてくる。どこかなつかしい共同体の匂いのするとてもいいイベントだった。
2018年9月22日、「世界アルツハイマーデー25周年記念イベント in 和歌山」で3名の中高年男性が語り合う「オジンジカフェ(オレンジカフェをもじったもの)」が開催されました。
9月16日に、東京神田の東京都医師会館で「認知症で日本をつなぐシンポジウム2018」というイベントが開かれた。今年の認知症をめぐる動きの中でも、ある転換を示す注目のイベントだったかもしれない。
金沢といえば加賀百万石の城下町。歴史と伝統が息づく古都である。そしてもう一つ、地域に根付く歴史遺産がある。1934年(なんという時代性か)、金沢市内に12の善隣館(いわば現在の公民館的福祉施設)が設置された。
この国の認知症をめぐる環境、状況というものを創り上げてきたのは誰か。それは、認知症の人を介護する「家族」だった。1980年に京都で「呆け老人をかかえる家族の会」が生まれる。当時、認知症は「痴呆」であり「呆け」と言われていた。
新宿の一角に「お福」という典型的な居酒屋があって、普段はだいたいサラリーマンがネクタイを鉢巻にして、「課長のバーロー、てやんでぃ、ウィッ」といった雰囲気なのだが(多分)、二ヶ月に一度ガラリと変わった人種たちでごった返した。座敷に人がひしめき、入りきれない人は店外にまであふれた。認知症の異業種勉強会「お福の会」である。
今年もあとわずか。認知症をめぐるこの一年を振り返ってみたい。といっても認知症はすでに個別の課題から抜け出して社会全体とシンクロしてきている。となると認知症を語ることはこの社会を語るようなもので私の手に余る。
認知症の政策展開が急ピッチである。12月1日に公明党は認知症施策に関する提言を首相官邸で菅義偉官房長官に申し入れた。タイトルには「総合的な認知症施策の推進に向けた提言・認知症の当事者、家族に寄り添うために」とある。
高見国生さんがこの6月で認知症の人と家族の会の代表を退く。で、この機会に高見さんについて一言、と言ってもとても一言で語れる人ではない。
日本は「認知症にやさしい社会」、世界一なのだそうだ。「だそうだ」なんて言う言い回しにいささか複雑な受け止めがある。エッ、ホントかよ。まだまだ課題山積のはずだぞ。と言った感じか。
今年もまた認知症をめぐる様々な動きが目立ちそうだ。4月には京都で国際アルツハイマー病協会の国際会議が開かれる。世界一の認知症社会である日本での開催だけに世界から注目されるだろう。
2016年に10月に長野市で開催された「地域カンファレンス in 長野」の様子を紹介します。医療・介護・行政・家族のそれぞれの立場から、家庭と地域を繋ぐための活動や想いについて意見を交わしました。
山形県天童市で暮らす富樫千佳子さん(77)は、9年前にアルツハイマー型認知症と診断されました。千佳子さんを介護しているのは同じ年の夫、智宏さん。夫婦は今後、認知症をかかえてどう暮らしていくかを自分たちなりに考え、試行錯誤を重ねてきました。…
若年性認知症と診断された丹野智文さんが葛藤しながらも前を向き、職場の理解を得ながら認知症とともに生きていこうとする姿を追いかけます。宮城県仙台市に住む丹野さんは、今から2年前、39歳の若さでアルツハイマー型認知症と診断されました。…
小学校で音楽担当の教員として働いてきた中西栄子さんは、定年後、もの忘れなどの症状が現れるようになり、若年性認知症と診断されました。当初はなかなか病気を受け入れることができなかったという中西さん。…
認知症になっても住み慣れた地域で人々と交流したり働いたりしながら暮らしていきたいと望む人は多く、そのための居場所づくりが全国各地で始まっています。栃木県で実施されている二つの取り組みを紹介します。